その十九 高校一年夏休み二十五日目・立村上総の天敵と対決する日々(1)
いよいよ夏休みも最後の一日。しつこいようだが宿題は終わらせた。自由研究はもちろんのこと苦手分野の数学・理科のプリント集も友だちから答えをもらって手写しして完了した。国語の読書感想文も英語の長文翻訳も、すべて完璧だ。
──休みも最後だし寝てようかな。
朝六時に目が覚めた。上総にしては比較的遅い目覚めだが、明日からどうせ五時起きに切り替えなければならないのだから少しくらいとろとろしてたっていい。カーテン越しのあっさりした青い空はなんとなくのんびり散歩するにはよさそうだった。
──のんびり過ごすのもいいよな、たまには。
ずいぶんいろいろ出歩いた夏だった。旅行もしたし友だちとも遊んだしおいしいものを食べ歩いたし、充実していたの一言だ。結洲旅行では全くもって新しい出会いにも恵まれた。青潟という楽園の中でゆらゆらしていた自分にとっては、母の言いなりというのも悔しいがいい刺激になったとは思う。
──あ、そういえばそうだ。
結洲の街を思い起こしながら、気がついた。
──戸高さんに約束のもの、送らなくちゃな。
上総はすぐ飛び起きた。
身支度を整えた。朝の涼しいうちに青潟駅に行くことに決めた。たぶん駅ならば観光案内のパンフレットなど置いてあるんじゃないかと思う。もし足りなかったら、歩いて市役所に寄ってもよい。一、二箇所くらいだったら直接どこか回るのもいい。そうだ、昨日大量に使った使い捨てカメラ、もう一台用意して青潟の街並みなど撮って送ってもよさそうだ。矢高さんもお母さんが青潟の人なのだし、それなりに自分のルーツに興味があるのだろう。
薄い生地の濃い青シャツを羽織り、ほぼ同色のベストも重ねた。あまり砕けた格好だとお堅い場所では浮き上がりそうだし、さすがにジャケットというのは暑さでまいりそうだ。万が一母と顔を合わせても「どこかのチンピラ」と罵倒されないだけのコーディネイトはしたつもりだった。
「どうした上総、朝からめかしこんで」
朝が早い父は、自分でコーンフレークに牛乳をかけて勢いよく食べている最中だった。夏休みなど関係ない。平日の朝だった。
「別にそんなわけじゃないよ。少ししたら駅に行って来る」
「また友だちと遊ぶのか?」
「違うよ。観光関連のパンフレットとかまとめてもらってくるつもりなんだ」
理由をかいつまんで説明した。
「結洲でお世話になった人がパンフレット欲しがってたから送ろうかなと」
「ああ、矢高さんの息子さんだな。お前も本当に世話かけたようだからなあ。パンフレットだけでほんとうにいいのか」
首をひねる父。もっともだ。そんな無料の紙の束を送りつけるだけで礼を尽くしたことにはならないような気が上総もする。もちろん続けて説明した。
「それだけにはしたくないから、お菓子も用意するよ。カステラとか、栗饅頭とかそのあたりがいいのかな」
「二十歳過ぎだろう? その矢高さんも。母さんから聞いたが今年地銀に就職が決まったと聞いたがな。優秀な息子さんなんだろう。お前の気持ちだけでもいいような気はするが、いかんせん親としてはそれだけでは落ち着かないな。そうだ上総。何時頃出るつもりだ?」
自分の分のコーンフレークを盛り付け、ブロッコリーとイチゴを混ぜ合わせて牛乳を最後に流し込んだ。今朝はなんとなく、生ものが食べたかった。
「朝のうちに行こうかな。涼しいうちがいいしさ」
「急ぎじゃないんだろう? もしかまわないのなら、昼過ぎにでもお父さんと待ち合わせしないか。午前中に取材があってそれから夕方五時までちょうど時間が空いてるんだ。せっかくだし昼飯を食べてそれから少し青潟の街並みを見て歩こうか」
「父さん、それ、会社をさぼるってこととイコールだよな」
不良社員でいいんだろうか。子としては認めたくない父の一面だ。
「いや、それは心配するな。定食屋で食べるくらいの時間はあるんだよ。お前がいろいろやらかした時にはいつも融通利かせてくれていた会社だ。お前の事情でと伝えておけば、あうんの呼吸で受け止めてくれるよ」
──父さん、あんまりそんないい加減なことしてたら、会社首になるよ。
決して不真面目な社会人と考えたくないのだが。かなり不安がよぎる。
「それなら、青潟駅の待合室で十二時前に待ってなさい。その頃には仕事も一段落するだろう。腹いっぱい食える場所に連れて行くから余計なもの食べたりするんじゃないぞ」
──父さん、完全に俺が食べ物に意地汚い性格だと誤解してるよな。
さりげなくプライドが傷ついた。
まだ時間もだいぶある。父が車で出かけたのを待ち、ベストだけ脱いで洗物をさっさと済ませた。結局家事作業も夏休み中は全く手抜きせずに行ったので、普段よりも部屋がきれいになったくらいだ。洗濯物もあっという間に終わらせて脱水まで完了したので、すぐに全部干しておいた。外に干しっぱなしにしておけば出発前には乾きそうなくらいの風が吹いている。
──父さんと出かけるんてめったにないな。
母を含めて、であればしょっちゅうだが、父子でというのはめったにない。
たまに親戚筋へ挨拶に出かける際は母抜きのこともなくはない。ただほとんど車での往復なので食事をして、顔をつき合わせてといったおきらくなムードではない。
──別にいいのに。なんだかかえって面倒だよな。
とは思うが、さすがに小遣いのことを考えるとすべてを賄うのはきついのも確かだった。昨日、杉本から預かった三台の使い捨てカメラを現像するにあたり、予想以上の金額が飛び出していってしまったため、今月は経済しなくてはならない。
──昼ごはん、豪勢なところに連れて行ってくれるとか言ってたけどほんとかな。
少なくとも父と一緒に出かけるということは、いくばくなりとも昼ごはん代が浮くということになる。まさか学食レベルということはないだろうから、完璧に胃袋を空にして出かけていいと思いたい。ああ見えて父の舌はかなりうるさいのだ。母の料理を基準としているので、中途半端な外食は好まない。上総が作る日頃の食事も、「母と同じ味付け」の点だけは評価してくれているが、それでもかなり物足りないらしい。
──と、いうことは。昼ごはんは期待していいってことだよな!
気づいた。やはり父は自分の息子をよく観察している。食べ物で釣られる自分が情けない。