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その十五 高校一年夏休み二十一日目・立村上総のさまよえる旅日記(8)

 こちらから頼んだわけでもないのに、矢高さんのボルテージは上がるばかり。

「彼女はね、結洲の専門学校生なんだけどほとんど学校には通わず、ひたすら『結洲群舞』の活動に情熱を燃やしているんだ。今日は煽り立てる側に回っていたけれども、普段のバトルではほぼ先頭で立ち向かうタイプなんだよ。君も見ただろ? 彼女の今日着てきた服と同じ格好の女子がいたことを」

 ──確かにいたな。

 上総が頷くと、拳を握り締めつつ矢高さんは語った。

「彼女はある界隈ではスターだからね。どんなに盛り上がった祭りであっても彼女が引き連れた軍団でぶつかれば、勝ち目はない。大抵飲み込まれる。僕は以前、五グループほど集まったダンスバトルの席で、彼女ひとりが踊り狂ったあげく観客全部持っていかれた場面を見たことがある。すごいよ。ひとりでサンバカーニバルやってるようなもんだからな」

 ──やはりサンバか。

 第一印象と同じところだったのに、思わず納得する。

「これは学生のグループ相手で盛り上がるためにやるものだから、後腐れなく最後はみんなで騒げばまるく納まる。だが問題は相手が今日のような、全く関係のない人たちに絡んだ場合なんだが、あれはまずい。本来ならば、絶対にやっちゃいけないことなんだ。仁義ともいうな。かたぎの人間に迷惑をかけてはならない、って言うものに近い」

「任侠映画の世界ですね」

「渋いこというね上総くん。実際、『結洲群舞』の世界はそれに限りなく近い。趣味で楽しく踊っているグループもいれば、相手をつぶすためにけんかを売るようなやり方をする連中もいる。北原さん、彼女は後者側だな。本来であれば大事になる前に止めるべきだったんだが」

「あの、矢高さんは止めなかったんですか」

「止められるわけないだろう。君がいたんだから」

 いつのまにか上総のせいにされてしまっている。不本意ではある。

「だが、どちらにせよ、あれが結洲の姿といっても過言ではないんだ。君にはいろいろと不安な思いをさせてしまったかもしれないけれど、これが結洲という学生街のリアルな姿なんだ。参考になったかい」

 ──参考にたって、なるわけないよ。

 心とは裏腹な言葉で、上総はお礼を言った。

「はい、ありがとうございます。青潟では絶対に見られないものでした」


 どこか行きたいところがないか尋ねられたが、すぐに思いつくものがない。食事を終えて三時半過ぎ。宿には七時頃到着すればいいと言われている旨伝えると、

「そうだったね、しかし中途半端だな。これから美術館なり博物館なり観に行くにしてもすぐ閉館になってしまうしな」

 首をひねって考え込む矢高さんに、ふと思い立ち上総は切り出した。

「それなら、お願いなんですが」

「行きたいところ見つかったかい?」

「大学の中を案内していただけますか」

 ぎょっとした顔をなぜかする矢高さんに畳みかけた。

「今まで、うちの学校以外の大学を見た事がありません。たぶんこの機会を逃したらもうそのチャンスはなくなると思いますので、矢高さんがよろしければお願いできますか」

「別に、いいけど、何もないよ。君の面白がるようなものは」

「かまいません。学校の中がまずいなら、この近くをぐるっと散歩するだけでもいいです。なんとなく雰囲気を感じられればそれで十分です」

 しばらく矢高さんは考え込んでた。目を上げて食堂の天井を眺めつつ、腕時計を覗き込んだ。

「君がそれでよければ、案内するよ。そうだね、それがいいかもしれないね」

 いきりたった時の表情とは全く別人の微笑みを浮かべ、矢高さんは立ち上がった。上総も皿を下げた後、その後に付き従った。


 調べておいたところによるとちょっとした日本庭園とか公園とかそういうものは結構あるらしい。リクエストしても本当はそれでよかった。でも、結洲大学の学食を口にして、見事に胃袋を掴まれてしまったのかもしれない。これ以上動きたくなくなった。厳密に言うと、

 ──ここから、なんとなく出たくない。

 そんな気持ちが湧いてきた。上総にとってそれほどしょっちゅう感じることではない。すれ違う学生たちがみな、開襟のシャツを着ていること……もっとも外のベンチでひっくり返っている人は除く……も好感を抱いたひとつだった。

 矢高さんは最初に、「学生事務室」なる部屋に向かった。

「ここでパンフレットもらってくるよ。君も来たほうがなにかといい」

 黙って付いていくと、矢高さんは学校職員の男性に声をかけ、

「すみません。学校の見学をしたいという高校生を案内したいんですが、パンフレット一部もらえますか」」

 分厚い封筒ごと受け取り、上総に手渡した。上総も矢高さんと、用意してくれた男性職員にきちんと礼をした。

「ありがとうございます」

「夏休みに学校見学ですか。ご苦労様です。どちらの高校から?」

 上総が答える前に、矢高さんが説明してくれた。

「青潟です。僕の母が主催する日舞の会で手伝いに来てくれました。確か高校一年だろ?」

 慌てて頷いた。するとその男性職員も格好を崩し、

「そうですか、青潟ですか。ずいぶん遠くからありがとうございます。せっかくだからゆっくり見学していってください。青潟だと、東、西、南、北、どこの高校ですか?」

「青潟大学附属高校です」

「ああ、青大附属ですか。あそこは勉強がえらく大変と聞いてますが」

「なんとかやってます」

「あそこは確か普通科と英語科がありますが」

「英語科に在学してます」

 そこまで答えると、学校職員の男性はふむふむと聞き入るようなしぐさをし、

「それであれば、矢高くん、いい機会だから図書館も案内してあげてください」

 さらりと提案をした。矢高さんも驚いた顔をしたが、すぐに納得したらしく、

「ありがとうございます。では外部入館証をいただけますか」

「どうぞどうぞ」

 ふたりの間でやり取りが行われ、すぐにまた一礼して廊下に出た。矢高さんがしてやったりといった風ににやりと笑った。

「たぶんこう来ると思ったよ。それじゃ図書館行こう」

「なぜ、そう来ると?」

 歩きながら上総が尋ねると、矢高さんは小声でささやいた。

「うちの学校は優秀な学生に集まってきてほしいもんだから、見学者にはやたらと優しいんだ。君、学校名を口にした瞬間のあの人たちの顔、見たかい?」

「ご存知だったようですね」

「そうだよ。青潟ではエリート高校だということをうちの学校の職員たちはみな知っているということなんだ。できるだけ優秀な学生を取り込むためにね。下見でうちの学校を気に入ってくれて、その上で受験して合格してくれたら、学校の名も挙がる。君にはそんな気持ちさらさらないかもしれないけれどね」

 ──いや、それ考えすぎじゃないかな。単なるサービスだよ。

 聞き流した。図書館に入ることが出来ることだけがうれしかった。

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