「愚劣の双呪」
もしもあの夜、何もしなかったら。
堕落の底まで落ちていく怠惰のifストーリー。
場面は第1話より。
詩丸がゼグレに狙われる数分前からスタートする。
出航から数日。
船の生活は昼は騒がしく、夜は妙に静かだった。波の音と船体の軋みだけが残り、笑い声も足音も寝息に溶ける。
詩丸は寝台で目を閉じたはずだった。
なのに眠れない。胸の奥がまだ浮き立っている。
自由。ゾラン。強さ。未来。
頭の中で言葉が回り続けて止まらない。
(……気晴らしに風でも浴びるか)
詩丸はそっと起き上がり、寝ている仲間たちを起こさないよう足音を殺して部屋を出た。廊下は暗く、灯りは最小限。板の冷たさが足裏に伝わる。
甲板への扉を押すと、夜気が一気に流れ込んできた。
冷たい。潮の匂いが濃い。空は月がなく、海は黒い。
詩丸は欄干に近づき、息を吐いた。
「……やっぱり自由っていいな」
言葉が夜に吸い込まれる。
静けさが、気持ちいい。
その背後に、冷たい気配が落ちた。
音はほとんど無い。足音ではない。
影が一つ増えたような感覚だけ。
詩丸が振り返るより早く、刃が閃いた。
「――っ」
首筋に熱が走り、遅れて血が重く落ちる。
喉を押さえた指の間から温かいものが溢れ、息をしようとすると喉が擦れて変な音が出た。
詩丸は膝をつく。甲板の冷たさが一気に現実になる。
視界の端に、銀髪の少年がいる。
眉がない。薄い青い目。表情が無い。
手には小型の短剣――暗殺用の刃。
狙いは最初から一つ。首。切断。
(……ただ殺すんじゃない)
(“首”を取りに来てる)
刀に手を伸ばしたいのに、腕が重い。
血が抜けていく速度が早すぎる。
銀髪が踏み込む。
短剣が喉元へ滑り込みーー
「ーーッ!!」
詩丸の首元から真紅の血が噴水のように吹き出す。
詩丸は首元を抑えながら倒れ込み、辛うじて息をしようとする。
銀髪の少年はトドメを刺そうと1歩、また1歩と近づく。
――その刹那。
空気が、歪んだ。
風が止まり、波の音が遠のく。
甲板が一瞬だけ“別の場所”になる。
紫がかった黒髪の少年が時空から、闇から現れた。
破れた黒いローブ、ボロボロのマント。
異様に長いマフラーが、風もないのに揺れている。
包帯で巻かれた手。死んだ気配がまとわりついている。
「おお……これは傑作だね。こんなに強い絶望の匂いを感じるのは久しぶりだ」
詩丸は理解できない。
突然の出来事に銀髪も立ち止まることしか出来なかった。
「じゃあ、繋いであげよう」
少年は優しく言う。
「君たちは……きっと僕を求める」
「なんだ…お前」
ゼグレが戦闘態勢に入るももう遅い。
包帯の少年が放った2本の黒い糸は瀕死の詩丸とゼグレに突き刺さったと同時に、意識がどんどん遠のく。
「一体…何が…!」
ゼグレの言葉も虚しく強い眠気が彼を襲う。
「…ぁ」
一方詩丸は出血多量。
「君たちは僕を殺しにくるだろう……あれ?」
包帯の少年が異変に気づく。
「…ああ。死んじゃった」
ーー詩丸が出血多量で死亡してしまった連鎖でゼグレも命を落としてしまったのだ。
「虚しいね。あぁ虚しい」
包帯の少年は亡骸を愛でるように撫で始める。
「僕もそちら側にいけたらいいのに。ーーそう思うでしょ?そこの君」
「ーー!!」
ネクロアは影で隠れているもうひとりの少年に気がつく。
ーー秋月アクラ。
「ずっと見てたよね…。そこの黒髪の子が殺されそうだったってのに…」
「……!!」
赤い布の少年、アクラはただ恐怖に怯え震えることしか出来なかった。
「ある意味これは…もしかしたら君にとって大罪になるかもしれないね」
包帯の少年は儚げな表情で漆黒の海を眺める。
「…お、おれの…せ、せいじゃない!!」
アクラは叫ぶ。物陰に隠れながらもプライドだけはいっちょまえなのだ。
「…そうかな?…本当に?」
「…………!おれの、せいじゃない…」
包帯の少年はつまらなそうにただアクラを睨む。
「…きみは、実に愚かだね」
彼はそう言い残し、時空の裂け目に飛び込み消えていった。
「し、仕方なかっただろ…!おれが助けれる状況じゃねえんだよ…!!」
アクラは何も見なかったことにし…
ーー静かに船の客室へと戻って行った。
それから船が到着する。
そのころには詩丸と銀髪の少年の死体だけが転がっており、たちまち大ニュースとなる。
アクラは何度か事情聴取されるも、全て無視し、あくまで何も見なかったことにした。
「(だって…おれのせいじゃないもんな)」
そう言い聞かせながら、ゾラン王国誓刃校の試験に望む。
「(…まあ、とくに目標とかないけど、楽そうなここの隊志望でいいか)」
アクラは試験のない、誰でも入れる"縁護隊"へと志願し、当然のごとく合格する。
そして1週間がすぎ、アクラは縁護隊のメンバーと初対面をすることになった。
「(うるさいやつとかいなきゃいいなー。なんか適当に過ごせたらそれでいいや)」
たいして気合いも入れていない服装に、ケアをするのをサボったボサボサな髪。
予定の座学室のドアを開けるとーー。
そこには10人ほどの人が座っていた。
「新入りかしら?」
背の高い薄金の少女が尋ねる。
「あ…は、はい」
アクラは可も不可もない返事をする。
この普通こそが全てを穏便に済ませ、波風立てず、かといって個性をださない最適解なのだ。
「お、おはよう」
奥に座っている筋肉がこちらにぎこちない笑顔で話しかけてくる。
「ワタシは刹那。やりたいことが特になくてここの隊にきたの。あっちにいるのはバロロくん。人見知りだけれど仲良くしてあげて」
「あ、あはは」
バロロが顔をひきつらせ笑う。
次の瞬間、部屋が揺れるほどの凄まじい怒号が響き渡る。
「てめぇ!はやく金よこせって言ってんだろぉが!!」
「そうだぜェ?ちょっと調子乗りすぎなんだよォお前」
二人の男が1人の背の高い少年を取り囲んでいる。
背の低い金髪の少年に、水色の髪の少年。
「ご、ごめん…今回はこれしかないんです」
背の高い黒髪の少年は前髪を伸ばし、涙目でうずくまっている。
「金髪はツヴァイくん。水色の方は光月くん。イジメられてるのはクレイね」
刹那が淡々と説明する。
「ふーん…」
アクラは特に興味がなかった。
周りで何が起きてようと関係ないのだから。
「ツヴァイさん、だからボクの医療知識はお金にならないんですって…!」
「は?お前言い訳すんなよ。ほら光月」
ツヴァイは光月に指図し、"へへぇ"と笑う。
「ほら、いくぞォ。またアレやってやる」
ツヴァイと光月は無理やりクレイを引っ張り、どこかへ連れ去ってしまう。
すると黒髪ボブの少女がこちらに近づいてくる。
「ねぇ。わたしはジャック。あなたは?」
少女は化粧で顔を染めており、胸元が大きく開いた服を着ている。
「あー…アクラ」
「いい男だね。今夜62ゾラで、どう?」
少女が色っぽく聞いてくる。
「…お前、なに。誘惑してんの」
アクラが鼻の下を伸ばしながら聞く。
「もちろん。で?返事は?」
「56ゾラなら」
「いいね。じゃあ今夜の待ち合わせ場所は…」
"全ての腐敗"
中庭で堂々と怪しげな薬を使う刹那。
大勢の前で辱めをうけるクレイ。
荒らされるみずきの墓。
それを見て見ぬふりする教授。
アクラはふと疑問に思う。
人生に"もしも"というのはあるのだろうか。
だけどあったところでどうなる?
別にいまのままでいいじゃないか。
だって、"悪くは"ないんだから。
自分から動く必要?…なんで?
「(まあ、考えるだけ無駄っしょ)」
そう。意味が無いのだ。
故に"もしも"なんてことはないし、興味が無い。
ーーもうすぐバリエ帝国と戦争が始まるらしい。
しかし内部分裂により弱体化したゾラン王国に勝ち目は果たしてあるのだろうか?
「…まぁ。いっか。どうせ勝っても負けてもおれには関係ないない」
そんなアクラでもたまに夢を見る。
あの夜、船の上で詩丸を助ける夢だ。
ーー結局彼は死んでしまうのだが。
「(結局死ぬじゃん。やっぱ意味なかったわ)」
ーーそれでも、もしあの日動いていたら?
もし、勇気が少しでもあれば?
「はは。あほくさ。さーて。寝よ」
ーー無責任と惰性が生み出した絶望。
愚劣の双呪 [完]
ifストーリー「愚劣の双呪」いかがでしたでしょうか。
本編では詩丸の代わりにゼグレとペアになってしまったアクラ。
だけど今回はそうではない。なにもしなかった。
そして登場するキャラクターも本編とはほとんど真逆の惰性に満ちた吐き気を催すもの。
完璧な所作だったはずの刹那は薬に溺れ。
元気一杯だったはずのバロロは臆病に。
人を見下していたはずのクレイは被害者に。
いつも怯えていたツヴァイは加害者に。
ナルシストの光月は侮辱の加勢者に。
天然で純粋だったジャックは売春を。
そしてみずきやエペはそもそも生きていない。
そんなあってはならない、しかし同時に有り得る物語、「愚劣の双呪」でした。




