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68.北方の町カルドナ


 八日目、昼過ぎ。


地平線の向こうに、灰色の壁が見えた。


「あれが、北方の街カルドナです」

レオンハルトが指差した。


近づくにつれ、巨大な城壁がはっきりと見えてくる。

高さは十メートル以上。

分厚い石で作られた、堅牢な壁。


「でかいな……」

俺が呟いた。


「ええ」

フィオラが頷く。

「王国の最北端に位置する要塞都市です」

赤い髪が、風に揺れた。

「昔から魔物の襲撃が多く、防衛のために築かれました」


「そして今は──」

レオンハルトの声が、少し重くなる。

「魔人の領域に最も近い、最前線の街となっています」



門の前。

武装した兵士が立っていた。


「止まれ。身分証明を」


兵士がこちらを見た。

その目が、大きく見開かれる。


「これは……レオンハルト殿!」


慌てて一礼する。

槍を脇に抱え、深く頭を下げた。


「どうぞ、お通りください!」



門をくぐる。


街の中は──思ったより活気があった。


石畳の道。

店が並び、人々の声が響く。

 

しかし街全体に、どこか張りつめた空気があった。

兵士の数が異様に多い。

 

「魔人の影響で、警戒が厳しくなってるっすね」

ジャックが小声で言った。


「ああ」

レオンハルトが頷く。



「レオンハルト様だ!」

 

街の人々が集まってくる。

 

声が飛び交う。

「レオンハルト様!」

「頼みます、魔人を……!」

 

母親が涙ぐみ、子供が手を振った。

 


「すげぇ人気だな」

俺が言った。


「ええ」

レオンハルトが静かに答える。


「期待されていますから」

フィオラが淡々と言う。


「プレッシャーっすね……」

ジャックが苦笑した。



「では、皆さんは先に宿で休んでいてください」

レオンハルトが振り返った。

「私は領主様に挨拶してきます」


「了解っす! 補給済ませとくっすね!」

ジャックが敬礼した。



日が暮れてきた頃。

俺たちは食料や回復薬の調達を終え、宿で休んでいた。


コンコン。

ノックの音。


「遅くなりました」

レオンハルトが入ってきた。


「お疲れ様っす!」

ジャックが立ち上がる。


「どうだった?」

俺が聞いた。


「夜に祈祷を行うそうです」

レオンハルトが答える。


「祈祷?」

俺が首を傾げた。


「カルドナでは、戦士が出陣する前に祈る風習があります」

レオンハルトが説明する。

「街を挙げての儀式です。参加しましょう」



夜。

広場に向かう。


石畳の道を歩くと、すでに多くの人々が集まっていた。

街の人々、騎士たち。

老人も、子供も。


松明の明かりが、顔を照らしている。



広場の中央には、大きな火が焚かれている。

炎が高く燃え上がり、火の粉が夜空に舞っていた。


「レオンハルト殿」


声がした。


振り返ると、白髪の老人が立っていた。

威厳のある佇まい。

領主だろう。


領主が気づき、手招きする。


「皆様もこちらへ」


俺たちは火の近くへ歩いた。

人々が、道を開けてくれる。


視線が集まる。

期待と、祈りを込めた目。



領主が口を開いた。


「皆の者」


低く、しかし広場全体に響く声。


「今宵、我らは祈る」


炎が、大きく燃え上がった。

火の粉が舞い、夜空に消えていく。


「北の守護神よ」


領主が両手を広げる。

その影が、広場に大きく伸びた。


「この戦士たちに、力を与えたまえ」



人々が復唱する。


「力を与えたまえ」


低い声が、広場に響く。


「勝利を」


「勝利を」


声が重なる。


「そして、無事の帰還を」


「帰還を」


祈りの声が、夜空に昇っていく。

人々の顔が、橙色に照らされている。

 

誰もが、真剣な表情だった。



やがて──。


領主が、こちらを向いた。


「ありがとうございます」


深く、頭を下げる。


街の人々も、一斉に頭を下げた。

老人も、若者も、子供も。

全員が、俺たちに向かって。


「どうか、ご武運を」



レオンハルトが一歩前に出た。


「必ず、魔人を討伐します」


真っ直ぐな声。

迷いのない、強い声。


人々が顔を上げる。

その目に、希望が灯っていた。


そして──。

静かな拍手が起こった。


一人、また一人。

やがて、広場全体が拍手に包まれた。



宿に戻った。

部屋割りは、ジャックと相部屋だった。


窓から外を見ると、まだ広場に火が灯っている。

祈る人々の列が見えた。

松明を手に、火の前に跪いている。


「負けらんないっすね」

ジャックが窓の外を見ながら言った。


「ああ」

俺が答える。


沈黙。


ジャックが、ベッドに腰を下ろした。

いつもの明るさがない。


「元気ねぇな、どうした?」

俺が言った。



ジャックは、しばらく黙っていた。

窓から差し込む月明かりが、彼の顔を照らしている。


「……オレ、実は怖いんすよ」

小さな声だった。


「魔人討伐とか……団長たちは平気そうに見えるけど……」


ジャックが俯く。


「オレは全然、怖え」



「ずっと……足りてねぇんすよ、力が」


ジャックが自分の手を見た。


「何でもできるけど……どれも一番になれるほどじゃない」

「器用貧乏って言われても、反論できねぇんす」



「団長みたいな圧倒的な強さも」


ジャックが窓の外を見た。

月が、雲に隠れていく。


「姐さんみたいな誇りも」

「サラちゃんみたいな天才性も」


声が、震えていた。


「オレにはない」



「だから……ずっと怖かった」


ジャックが膝を抱えた。


「いつか、このパーティの穴になるんじゃないかって」


沈黙。

窓の外で、風が吹いた。


「……もっと強くなりたいっす」



俺は、しばらく黙っていた。

ジャックの言葉が、胸に沁みていた。


そして──口を開いた。


「なに言ってんだよ」


ジャックが顔を上げる。


俺は立ち上がり、窓際に歩いた。

外では、まだ人々が祈っている。


「できること全部やりゃ、十分だろ」


振り返る。

ジャックを真っ直ぐ見た。


「一番とか、関係ねぇよ」



「この旅で、お前がいなかったらどうなってた?」

俺が言った。


「飯は? 火は? 荷物は?」


指を折る。


「全部お前だろ」


「戦いだって、なんでもできるお前がいるから隙がねえんだろ?」


ジャックが目を見開いた。


「器用貧乏? 上等じゃねぇか」


俺は肩をすくめた。


「何でもできるってのは、何にでもなれるってことだ」

「お前は、このパーティの穴なんかじゃねぇ」


俺がジャックの肩を叩いた。


「土台だ」

 

「お前がいるから、みんな安心して戦える」

「それって、すげぇことだろ」



ジャックは、しばらく黙っていた。


月が、雲の切れ間から顔を出した。

光が、部屋に差し込む。


「……剛くん」


ジャックが、ゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう」

「オレ、頑張るっす」



俺はニヤリと笑った。


「当たり前だろ」


拳を突き出す。


「一緒に、帰ってくんぞ」


ジャックが目を擦った。

そして──笑顔になった。

いつもの、明るい笑顔。


「っす!」


拳を合わせた。

コツンと、小さな音。


窓の外で、祈りの火がまだ燃えていた。

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