37.決勝戦開幕
控室。
俺──鬼塚剛は、深く息を吸った。
肺に空気を送り込み、ゆっくりと吐く。
心臓が規則正しく鼓動を刻んでいる。
早くもなく、遅くもなく。
ただ、確実に。
準決勝のダメージはほぼない。
リリィの回復薬が完璧に効いている。
体は万全だ。
だが──。
(今までとは、違う)
胸の奥で、何かが燃えている。
高揚。
期待。
そして──闘争心。
ダリウス・ジンガ。
あの男と拳を交える。
アルヴィンと十年間、決勝の舞台を分け合った男。
純粋な武を追い求める求道者。
(やっと戦える。待ちくたびれたぜ)
拳を握りしめる。
関節が鳴った。
⸻
決勝。
第三百回記念大会の最後の舞台。
係員が顔を出した。
「鬼塚選手、まもなく入場です」
「おう」
短く答える。
その時──。
「おりゃ!」
背中を思い切り叩かれた。
「ってーな! 何すんだよ」
振り返ると、リリィが笑顔で立っていた。
「あたしの気持ちを込めた!」
目がキラキラしている。
「何か言って?」
「は?」
思わず笑ってしまう。
「……んじゃまぁ、軽く捻り潰してやりますか」
「うん! 期待してる!」
リリィがにっこり笑って見送った。
廊下を歩く。
鉄の扉が目の前にある。
扉の向こう、会場から観客のざわめきが聞こえる。
今回は違う。
いつもより大きい。
いつもより熱い。
期待と興奮が渦巻いている。
ギギギ……。
重い音を立てて、扉がゆっくりと開き始める。
光が差し込んでくる。眩しい。
だが目を細めない。
真っ直ぐ前を見る。
⸻
一歩、踏み出す。
砂を踏む感触が足裏に伝わる。ザクッ。
もう一歩。ザクッ。
リングの中央へ向かって歩く。
観客の声が一気に押し寄せてきた。
「うおおおおおお!!」
「鬼塚ぁぁぁ!!」
「来たぞ! ダークホース!」
歓声。怒号。期待。
全てが俺に向けられている。
アナウンスが響き渡った。
『皆様、お待たせいたしました!!』
観客がさらに沸く。
『第三百回記念、王都武闘会──』
『ついに、決勝の時です!!』
地響きのような歓声。
闘技場全体が揺れている。
『西の門より──突如現れたダークホース!』
『初戦、大魔導士アルヴィンを一撃で撃破!』
『二回戦、勇者パーティの戦士ガルドを圧倒!』
『準決勝、王国騎士団の剣士エドガーを完封!』
『三戦全て、圧勝!』
『その名は──鬼塚剛!!』
歓声が最高潮に達する。
「鬼塚! 鬼塚! 鬼塚!」
名前が連呼される。
拳を振り上げる観客たち。
興奮で顔を赤くする者たち。
だが俺は動じない。
ただ真っ直ぐ、前を見る。
対面の入場口を。
そして──。
扉が開いた。
ゆっくりと。重々しく。
そこから男が現れた。
黒髪短髪。鋭い目つき。
筋骨隆々とした体。
傷だらけの肉体が、道着の袖から覗いている。
黒い帯。無精髭。
歩くだけで空気が変わる。
圧倒的な存在感。
ダリウス・ジンガ。
観客がさらに沸いた。
「うおおおおお!!」
「ダリウス! ダリウス!」
「武神だ!!」
アナウンスが続く。
『そして東の門より──』
アナウンサーの声が一段と高まる。
『十年間、この舞台を支配し続けた男!』
『過去十回の武闘会、全て決勝進出!』
『アルヴィンと優勝を奪い合い、五勝五敗の完全互角!』
『魔法と格闘を融合させた独自流派、魔闘術の開祖!』
『その名は──”武神”ダリウス・ジンガ!!』
観客席が爆発した。
「ダリウス! ダリウス! ダリウス!」
地響き。歓声の嵐。
闘技場全体が熱狂に包まれている。
俺とダリウスは、リングの中央で向かい合った。
距離、約五メートル。
互いに相手を見据える。
ダリウスの目が俺を捉えている。
鋭い。だが敵意はない。
ただ純粋な闘志。
俺も、同じ目をしているはずだ。
(こいつだ)
(この男と戦うために、ここまで来た)
拳を握る。血が熱い。
ダリウスが口を開いた。
「鬼塚剛」
低く、落ち着いた声。
「お前の戦いを見せてもらった」
「アルヴィンを倒し、ガルドを圧倒し、エドガーを封じた」
「見事だ」
礼を尽くす言葉。
だが──。
「だが私は負けない」
ダリウスが拳を構えた。
「武神の名にかけて」
静かな闘志が、空気を震わせる。
俺も拳を構えた。
「上等だ」
「全力で来い」
口元が、自然と笑う。
審判が中央に立つ。
「両者、準備はいいか」
俺は頷く。
ダリウスも頷く。
審判が一歩下がった。
観客が息を呑む。
静寂。
一瞬の静寂。
審判が手を上げた。
「それでは──」
時間が止まったように感じる。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
ドクン、ドクン、ドクン。
そして──。
「試合、始め!!」
ガァン!!
銅鑼が鳴り響いた。




