15話 【2章】
ベンチで夜を明かした。
冷たい石の感触が、尻から背中まで這い上がってくる。体が芯まで冷えてやがる。
空が白んできた。
街に人の気配が戻り始める。商人が重い扉を開ける音。荷車の車輪が石畳を転がる音。冒険者たちの眠そうな話し声。
誰も俺を見ない。
いや、違うな。視線を感じることはある。でも、すぐに逸らされる。汚ねぇものでも見るような目で、一瞬だけ俺を見て、そして何事もなかったかのように通り過ぎていく。
見えてないのか、見ないフリなのか。
どっちでもいい。
俺は立ち上がった。
膝が軋む。足が痺れてる。
歩き出す。行く当てはない。
ただ、足を前に出すだけ。
機械みてぇに、右、左、右、左。
気づけば安宿の前にいた。
『旅人の宿・銅貨亭』
ボロい看板が、朝の光に照らされて情けなく揺れてる。一泊、銅貨五枚。俺みたいな落伍者には、ちょうどいい。
ポケットを探る。
神崎が投げた銀貨は拾わなかった。
プライドってやつか。
クソみてぇなプライドだ。
でも、まだ少しだけ残ってる。
残ってるのは、ゴブリン討伐で失敗したときにギルドからもらった支援金の残り。銀貨三枚。情けねぇ施しの金。
(……とりあえず、寝るか)
重い扉を押し開けた。
部屋は狭かった。三畳もねぇ。
ベッドと小さなテーブルだけ。窓からの景色は裏路地。ゴミ箱と、野良猫と、吐瀉物の跡。
ベッドに倒れ込む。固いマットレスが背中の骨に食い込む。でも、気にならない。何も、気にならない。
目を閉じる。
眠れなかった。
瞼の裏に、あの瞬間が浮かぶ。オーガの金棒が俺の体を砕いた瞬間。意識が飛ぶ直前の、あの無力感。
神崎の声が蘇る。あの軽薄な、見下したような声。
『もう君、パーティやめてくれないかな?』
『足手纏いなんだよ』
セリアの冷たい目。氷みてぇな、人を見下す目。
『荷物持ちなんて、誰でもできるわ』
ガルドの呆れた顔。失望と軽蔑が入り混じった表情。
『お前のツラ見ると、むしゃくしゃするぜ』
(……クソが)
拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。でも、痛みすら遠い。
何もできない。ただ天井を見てるだけ。穴の開いた天井を、ぼんやりと見てるだけ。
どれくらい時間が経ったのか。窓の外が茜色に染まってきた。
一日が、何もしないまま終わろうとしてる。
腹が減ってる。内臓がキリキリと痛む。でも、動く気にならない。体がベッドに縫い付けられたみてぇだ。
そのまま、また夜を迎えた。
⸺
翌朝。
目が覚めると喉がカラカラだった。舌が口の中に張り付いてる。
仕方なくベッドから起き上がる。関節がギシギシと音を立てる。
外の井戸で水を汲んで飲む。冷たい。喉を通る感触が、生きてることを教えてくれる。
ふと、周りを見渡す。街はいつも通りだ。
人が行き交い、店が開き、冒険者が装備を整えて出発していく。活気がある。希望がある。未来がある。
俺以外は、普通に生きてる。
(……俺だけ、止まってんのか)
近くの屋台でパンを買った。銅貨二枚。硬くて味気ない。小麦と塩の味しかしねぇ。でも、腹は膨れる。
宿に戻って、ベッドに倒れ込む。何もする気が起きない。
(……このまま、どうなんだ)
(……終わんのか)
答えは出ない。出るわけがねぇ。
⸺
三日目。
ふらふらと街を歩いた。行く当てもなく、ただ足を動かす。
冒険者ギルドの前を通りかかった。中から笑い声が聞こえる。
「今日はオーク討伐だ!」
「報酬、銀貨十枚だぜ!」
「よっしゃ、終わったら飲みに行こうぜ!」
活気に満ちた声。仲間との絆。達成感。俺が失ったもの全てが、そこにある。
俺はギルドに入らなかった。そのまま通り過ぎる。
気づけば街外れの空き地にいた。雑草が生い茂ってる。誰もいない。
石を蹴る。カラン、と虚しい音。
拳を握りしめる。何かにぶつけたい。この行き場のねぇ感情を、何かにぶつけたい。でも、何もない。敵も、味方も、目標も、何もない。
叫びたい。でも、声が出ない。喉が締め付けられてるみてぇだ。
ただ立ってる。それだけ。風が吹いて、雑草が揺れる。それを、ただ見てる。
⸺
四日目。
目が覚めると、体が重かった。起き上がる気力もない。天井を見つめる。
(……このまま、消えるか)
本気でそう思った。このまま誰にも気づかれず、消える。それでもいい気がした。
どれくらい経ったのか。ドアがノックされた。
「おい、宿代払ってないぞ」
親父の声で、ようやく起き上がる。ポケットを探る。銀貨一枚と、銅貨が数枚。
(……残り、これだけか)
宿代と飯代。あと数日で底をつく。
(……依頼、受けるか)
今度は、その考えが消えなかった。
(……受けねぇと、野垂れ死ぬ)
重い足を引きずって、ギルドに向かった。
⸺
ギルドの扉を開ける。中は相変わらず賑やかだ。
カウンターに向かう。受付嬢がにっこり笑った。あの時の受付嬢じゃない。別の人だ。
「依頼、受けたい。Fランク」
「こちらがFランクの依頼です」
『荷物運搬の手伝い』
『畑の雑草取り』
『ゴブリン討伐』
俺は『ゴブリン討伐』を指差した。
「これ、受ける」
「報酬は銀貨三枚です。無理はしないでくださいね」
受付嬢が心配そうな顔をしてる。
(……また、同じこと言われてんな)
俺はギルドを出た。
依頼は受けた。でも、行かなかった。
ゴブリン討伐の紙はポケットに入ったまま。宿代を払い、飯を食う。それだけの日々。
⸺
七日目の夜。
宿の部屋で、ぼんやりと窓の外を見てた。星が見える。綺麗だ。でも、何も感じない。
ポケットを探る。銅貨が三枚だけ。明日の飯も買えねぇ。
(……終わりか)
もう何も残ってない。金も、やる気も。全部、空っぽだ。
ベッドに倒れ込もうとした時、外から声が聞こえた。
「おい、聞いたか?」
「勇者パーティ、前衛募集してるらしいぜ」
「マジで? あの勇者パーティ?」
「前の前衛が無能でクビになったらしい」
窓の外、路地で冒険者たちが話してる。
(……勇者、か)
神崎の顔が浮かぶ。
(……どうでもいいな)
本当にどうでもよかった。怒りも、悔しさも、何もない。ただ、虚しい。
外に出た。夜風が冷たい。
(……どこ行くんだ、俺)
わからない。ただ、歩く。
路地に入る。暗い。誰もいない。
その時。
「きゃあああ!!」
悲鳴が聞こえた。
目を凝らす。路地の奥、薄暗い場所。女の子が壁に押し付けられてた。
派手な服装。金髪のツインテール。ギャルっぽい見た目。
押さえつけてるのは冒険者だ。三人。いかにもチンピラって風貌。
「おとなしくしろよ」
「金目のもん、全部出せ」
「お前みたいな貴族の嬢ちゃん、高く売れんだよなぁ」
女の子が震えてる。
「や、やめて……!」
「………」
なんでだろうな。
体が、動いた。




