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SF短編集

駅の時計は、五秒だけ時を止めた

時間ってやつは誰にでも平等で、残酷で、でも時々、「もう少しだけ」って願っちまうよな。もし、そんな願いを、いつも時間を見守ってる時計自身が聞いたらどうなるのか。そんな妄想から生まれた話だ。

 カチリ、と。私の内部で、また一つ歯車が噛み合う。秒針が、定められた角度を正確に進む。私の存在理由は、この繰り返しだ。


 私は、中央駅の吹き抜けに掛かる大時計。銀色のフレームに白い文字盤、黒く、実直な長針と短針、そして絶え間なく動き続ける赤い秒針を持つ。七十年以上、この場所から人々の往来を眺めてきた。


 私の下では、いつも様々なドラマが繰り広げられる。涙の別れ、喜びの再会。待ち合わせに胸をときめかせる恋人たち。出張へと急ぐビジネスマン。故郷へ帰る学生。私は、彼らの時間の一部だ。だが、彼らの誰一人として、私に意識を払う者はいない。それでいい。時計とは、そういうものだ。感情を持たず、ただ正確に、冷徹に、時を刻み続ける。それが私の誇りだった。


 そんな私の退屈な日常に、小さな変化が訪れたのは、数年前のこと。


 一人の少年が、私の下に置かれたベンチに座るようになった。線の細い、少し気弱そうな少年。彼はいつも、誰かを待っている間、小さな声でメロディを口ずさんでいた。それは、まだ形になっていない、拙い旋律。だが、不思議と心が安らぐ、優しい音色だった。


 彼は時折、私を見上げては、そのメロディに合わせて指で小さくリズムを刻む。私の「カチリ、カチリ」という秒針の音と、彼の指が刻むリズムが、ふと重なる瞬間があった。その時、私の内部で、今まで感じたことのない微かな共鳴が起きるのを、私は感じていた。それは、ただの機械ではありえない、温かい感覚だった。


 少年は成長し、ヴァイオリンケースを抱えるようになった。彼の口ずさむメロディは、より複雑で、美しいものになっていった。


 そして、運命の日がやってくる。


 その日、駅は朝から混雑していた。少年は、真新しいタキシードに身を包み、緊張した面持ちで私を見上げていた。今日は、彼にとって大事なコンクールの日なのだろう。母親とここで待ち合わせをしているらしかった。


 だが、待てど暮らせど、母親は現れない。構内アナウンスが、人身事故による電車の遅延を告げていた。


 少年の顔から、みるみる血の気が引いていく。開演時間は、もう三十分に迫っている。今からタクシーを拾っても、間に合うかどうか。彼は何度も私を見上げ、その赤い秒針が一周するたびに、絶望の色を濃くしていく。


 まるで、時間そのものに「行かないで」と懇願するように。


 私は、ただ見ていることしかできない。時間は無情だ。誰の都合も待ってはくれない。それが、この世界の絶対的な法則なのだから。


 少年は、ついにベンチから立ち上がり、俯いて踵を返そうとした。その肩は小さく震え、夢を諦める瞬間の、あの独特の静けさに満ちていた。


 その時だ。


 私の内部で、何かが軋む音がした。七十年以上、一度たりとも狂うことのなかった歯車が、世界の理に、私の使命に、逆らおうとしていた。


 ――だめだ。


 この少年の時間を、こんな形で終わらせてはいけない。


 私は、意識を、私のすべてを、あの赤い秒針に集中させた。止まれ。止まれ。止まれ。


 カチリ、という音と共に進むはずの秒針が、ぴたり、と固まった。


 世界から、一秒が消えた。


 私の内部で、経験したことのない負荷が掛かる。まるで、全世界の重みをこの一身で受け止めているかのようだ。歯車が悲鳴を上げ、ゼンマイが焼き切れそうだ。


 それでも、私は耐えた。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 少年の背後、ホームに滑り込んでくる電車のヘッドライトが見えた。


 四秒。


 電車のドアが開き、息を切らした母親が駆け出してくるのが見えた。


 五秒。


「ごめん、電車が……!でも、これなら間に合うわ!」


 母親が少年の手を掴む。少年の顔に、驚きと、そして希望の光が差した。


 ――それで、十分だった。


 私は、張り詰めていた力をふっと抜いた。赤い秒針は、何事もなかったかのように、再び時を刻み始める。たった五秒。されど、それは永遠にも等しい五秒だった。


 少年と母親が、駆け足で私の下を通り過ぎていく。その一瞬、少年が私を振り返り、小さく頷いたように見えたのは、きっと気のせいだろう。


 数年後。


 私の身体は、もう限界だった。塗装は剥げ、歯車は摩耗し、時間は日に数分も狂うようになっていた。近々、最新のデジタル時計に交換されるらしい。


 これでいい。私の役目は終わったのだ。そう思っていた。


 ある晴れた午後。一人の青年が、私の前に立った。あの時の少年だった。彼は、今や世界的に有名な若き作曲家になっていた。


 青年は、懐かしそうに私を見上げると、静かに微笑んだ。


「君のおかげだよ」


 彼はそう呟くと、壁にそっと手を触れた。


「僕の代表曲、『五秒間の奇跡』って言うんだ。あの日、君がくれた五秒がなければ、今の僕はいなかった」


 その言葉を聞いた瞬間、私の内部で、最後の歯車が、満足げにカチリ、と音を立てた。


 私の刻んだ時間は、決して無駄ではなかった。たった五秒の反逆が、永遠に鳴り響く音楽を生んだのだ。もう、思い残すことはない。

こういう、ちょっといい話風のSFも悪くないだろ? 報われるとは限らないけど、誰かのためのたった一度の行動が、世界をちょっとだけ変える。そういうのが好きなんだ。

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