次世代ポテンシャル選手権「100メートルずり自由形」
「六回目の開催となる『次世代ポテンシャル選手権』のお時間です。二年に一度の世界大会への切符をかけた大事な一戦となります。今回も私、司会のシメサバ五郎と解説の」
「風間ロドリゲスでお送りいたします」
「はい。えーご存じない方はいらっしゃらないでしょうが、風間さんは第一回、第二回の次世代ポテンシャル『百メートルずり自由形』世界選手権の覇者でございます」
「三回目も狙ってたんですけど、三十歳になったので諦めました。ハハハ」
「そうなんです。この大会は次を担う世代のあらゆるポテンシャルを探るという目的で開催されるようになりましたので、出場資格はゼロ歳から二十九歳までなんですよね」
仕事から戻った尚子は、ソーセージともやしを塩コショウで炒めると、冷蔵庫から缶ビールを取り出してテレビの前に座った。
「始まった始まった」
もやし炒めをつまみつつテレビを眺め呟いた。
一人暮らしが長くなると、話す相手がいないので独り言が増える。
オリンピックやスポーツ大会など一部の選ばれたアスリートしか戦わない競技は昔からそこまで興味がなかった。
ストイックで自分からは遠い人たちというイメージがあって現実味がなかったからだ。
その点この次世代ポテンシャル選手権は普通の若い一般人同士が戦うという印象なので、つい毎年ハラハラしながら観てしまうのである。
尚子は二十七歳だ。
一応この若い世代には入るのだが、クレーマーや仕事の出来ない上司、ドロドロの職場の人間関係とストレスの絶えない飲食業界で長く働いているため魂はすっかりお年寄りだ。
せめて家の中で一人でいる時ぐらい、ビール片手に肩の凝らない番組で気分転換をしたい。
そんな気持ちにシメサバ五郎が穏やかに語るこの番組は最近増えた尚子の癒やしだった。
(……シメサバさん、「ジーザス!」始まった頃からまったく年取らないわね)
「ジーザス!」という番組は尚子が高校時代からやっている長寿番組で、その司会をしているのがシメサバ五郎である。
粒あんVSこしあんとかウナギVSアナゴという食べ物同士でどちらがいいかを競わせるもので、今も録画して楽しんでいる。
あれから十年以上経っているので三十代だったシメサバも四十代にはなっているはずだが、肌もツヤツヤでとてもそんな年齢には見えない。
見られるのが仕事の芸能人は恐ろしいものである。
「それでは、現在までの競技の結果をご案内いたします」
シメサバがホワイトボードの方へ歩いて行く。
十七歳までの参加者は個人情報保護の観点から顏出しをしない決まりで、戦いの様子が入る時でも顔にモザイクがかかっていたのだが、一度顔が出てしまった不手際があり、それからは結果だけ案内するスタイルになっている。
「ええと、まずは『ゼロ歳児十畳ハイハイ』ですが、何と八カ月のヤマト君が他を圧倒するハイハイスピード二十七秒五で勝利いたしました」
「今までの記録が三十一秒二でしたよね? これは世界大会が楽しみですね」
畳でのハイハイスピードが将来何の役に立つのかは不明だが、秘めた無限の可能性の一つだろう。
テレビの中のシメサバたちと一緒に尚子も喜んだ。
「そして注目されていた『亀甲縛りタイムトライアル』ですが、数々のベテラン紐ラーを押さえ、十六歳のマッハ遠藤君が三分五十八秒八を叩き出し見事世界大会への切符を手にしました」
ちなみに十七歳までの子は本人がいいと言っても個人情報保護のため本名は出さない。
いわゆる競技ネームを親か本人が決める。
ただ十八歳以上で本名をさらすと途端に成績が落ちる人も多いので、競技参加者である間はそのままの競技ネームでやる人たちが多い。
「ああマッハ君かあ」
前回は三位だったが、いずれは上がるだろうと思っていた。
中学生なのに亀甲縛りとひし形縛りの違いを説明出来る子で、なんでも親が漁師でもやい結びだの棒結びだのを教わっているうちに紐の結び方について興味が出て来たらしい。
一通りの結びを学んでしまったがそれに飽き足らずSM方面にまで手を出したようだ。
顏にモザイクこそ入っていたが話し方も落ち着いていて説明も分かりやすく、亀甲縛りにエロいイメージしかなかった尚子に芸術的な見方を与えてくれた少年である。
飲んでいたビールが空になったのでもやし炒めの空き皿を片付け、ついでに冷蔵庫から新しい缶を取り出した。
まだ口寂しいのでお菓子を入れているカゴからチーズおかきを出す。
それにしても変わった競技ばっかりだなあとテレビに視線を戻しながら思うが、尚子のような凡人が思いつくようなものは大概どこかでやっているし、それでは面白くない。
何かの可能性が見えるかもしれない。見えないかもしれない。
新たな競技でそれを探ることがこの大会の意義なのだろう。
「去年から種目入りしたヤンデレプロポーズ選手権ですが、今年も安定の媚薬王子イスルギが九十八秒のノンブレスで熱いプロポーズを耳元で囁き、五名の審査員女性のうち四名が貧血を起こして倒れるという素晴らしい結果で文句なしの圧勝でした」
「ほう、お一人は耐えきったんですね」
「耐えきったと申しますか耳が遠いご年配でしたので、何度も聞き返されているうちにイスルギ選手が戦意喪失したというのが正しいですね」
「なるほど」
この競技はずっと気になっているのだが、女性のメンタルに著しい悪影響を及ぼすらしく未成年だけではなく全選手の顔がモザイク入りである。使われた言葉も審査員しか知らない。
そして毎年変わる審査員の女性たちは守秘事項により口をつぐむので、視聴者も選手たちもどんな言葉が囁かれたのか分からないままだ。
心身のバランスが崩れて病院でカウンセリングを受ける女性も多いが、それでも審査員への応募が減らないのは審査料が高額なのと、怖いもの聞きたさというものらしい。
深夜の廃墟探索みたいなものだろうか。
そのほか、高粘度のジェルのプールを泳ぎ切る「五十メートルぬる自由形」、裸足で地雷原を進み避けられなかった数の少なさを競う「地雷でポン」(もちろん爆発はせず大音量と煙だけの偽地雷だ)などの細かい競技の結果が表示され、ふむふむと頷きながら尚子はチーズおかきを頬張った。
(変な種目ばかりに感じるけど、マインド系のタフさとかスピリチュアルな危機回避能力みたいなものを探れるのかもしれないわ)
尚子もメンタルのスルースキルは実戦を積んでいるので結構高いと思っているが、お金をもらっても敢えて経験したくはない。
そういう意味ではヤンデレ選手権の審査員はかなりのメンタル強者ではないかと睨んでいる。
「さあそれでは期待の百メートルずり自由形、そろそろスタートです」
シメサバの言葉に尚子も座り直した。
必ず中継されるこの競技が人気なのはいくつか理由があった。
まず一つは参加者がモザイクが掛からない十八歳から二十九歳の男性のみであること。
そして競技内容から大概の人が鍛え上げられた肉体を持っていること。
しかも出来る限り摩擦を抑えるため着衣はビキニパンツのみだ。靴もなし。
この選手たちがトラックの百メートルを人工的に作られた強風と大雨の中、腰にセットされた強力ゴムをものともせずゴールに向かって突き進むのである。
観客は見目麗しい肉体をさらして極限状況を戦い抜く男たちを応援する、という名目で正々堂々と「目の保養」が出来るわけである。
女性種目も一回大会にはあったらしいが、何しろポロリが多すぎて競技続行が不可能になることが多く、センシティブ過ぎると中止になってしまった。
男性も這いずるという競技の仕様的にポロリはあるのだが、隠すエリアが小さいためか選手自体が手で隠したりするし、テレビ局もモザイクを入れるのが容易らしい。
否定的意見が増えれば今後変わるかもしれないが、今のところ有識者の反対の声は上がっていないようだ。
「西園寺さんはまだかなあ」
尚子は個人的な推しの選手を探しながら試合の様子を眺める。
西園寺龍一郎は二十四歳。
前回こそ四位で終わってしまったが、実力だけなら一、二を争うと尚子は思っている。
イケメンという感じではないが切れ長の目をした和風の上品な顔立ちで、しかもムキムキじゃない適度な体型が尚子の好みだ。
近頃はポリコレがどうとか言われているが、尚子はガン無視である。
己の好みの見た目を愛でて何が悪い。
俳優だってゲームだって好きなタイプが出てくれば嬉しいのだし、応援したり買いたくもなる。
誰かを攻撃するわけじゃないのだから放っておいてくれというスタンスだ。
仕事でもストレスを受けてるのに、私生活でもストレスを強要されたらやってらんねえのである。
「あ! 西園寺さんだ」
お目当ての選手が出て尚子はご機嫌だ。
順調に決勝ラウンドに駒を進めた彼に何とか勝って欲しいと祈るような気持ちである。
「さて風間さん、今回の注目選手は」
「そうですね。やはりアモーレ竹内と西園寺龍一郎でしょうか。パワーならアモーレ、テクニックなら西園寺といった感じですね」
解説者の言葉にそうなんだよねえ、と尚子は思った。
アモーレはゴリマッチョの二十一歳。
若くてアイドルにもなれそうな甘いルックスなので女性たちから大人気だが、尚子の好みではない。
西園寺と並ぶと一回り以上は体格差があるので、パワーが必要なこの競技では有利なのは間違いないだろう。
だがそれでも決勝ラウンドの六人の中に入ったのだから、テクニックで西園寺が勝って欲しい。
「いよいよ決勝スタートです!」
様々な色のビキニパンツの六名が腰にゴムを装着する。
このゴムは九十メートルまでの長さはあるが、そこから十メートル先のゴールまではかなりの力を必要とする。
ゴムの強度を測る検証実験をテレビで以前やっていたが、マスチフなどの大型犬では九十メートル地点からはジャンプをする程度でまったく前に進めなかった。
重たい荷物を運べる馬や牛でもお年寄りの徒歩レベルの速度だったので、これぞ人間の未知のポテンシャルを探るいい競技ではないかと尚子は考えている。
フライングもなく皆一斉にスタートを切った。
通常の百メートル走などと違い、前面からのバカでかい扇風機の風と放水ホースからの水でハリケーンのような状況の中を進むので、走るというより四つん這いでほふく前進するというのが正しい。
選手たちが手足で地面を掴むような形で一歩、また一歩とゴールへ向かって進んで行く。
一人、また一人と爆風と水で手が滑って後ろに転がって行く選手が出る中、尚子の応援する西園寺はじりじりとゴールに向かって進んでいる。
アモーレも西園寺と接戦になりつつ生き残っている。
(残り十メートルはパワーがないと流石に厳しいか)
ハラハラしつつ拳を握り様子を見守っていた尚子だったが、残り三人となった選手たちの一人が前に出ようと無茶をして腰のゴムが下がって行き、ビキニパンツが落ちてモザイクが掛かりながら脱落して行った。
「これは西園寺かアモーレか。風間さんの予想通りの一騎打ちとなりました!」
シメサバの白熱した実況が聞こえる中、アモーレが一歩リードした状態で残り三メートルとなった。
ゴムの強度だけでなく、近づくにつれ強風も放水も強くなる。もう水しぶきがすごくてテレビからもまともに顏も映らない状態だ。
進む速度も落ち、二人とも五センチ、十センチずつ前に出るのがやっと。
まだアモーレの一歩リードは変わらない。
──ああやっぱり西園寺さんの体格じゃ一位は無理なのかしら。
尚子が半分諦めたような気持ちになっていると、アモーレが強風で脱げそうになったビキニパンツを守ろうとして体勢を崩した。
肘を下げ風の抵抗を抑えていたがしばらく動けない。
その一瞬のスキを西園寺は逃がさなかった。
そのままずり、ずり、と這いずって行きゴールラインに手を伸ばし、一着でゴール。
「一着は西園寺! 西園寺です! 二位はアモーレが入りました」
シメサバの絶叫で尚子もやった! と思わず立ち上がって喜んだ。
推しが勝つのは思った以上に嬉しいことである。
今夜はもう一杯祝杯をせねば、とビールを取りに行こうとしたところで、ゴール後にそろってゴロゴロと後ろに転がって行く二人を見た。
いつも試合の最後は今一つしまらないが、今年もアツい戦いだったわ。
明日のクレーマーも気持ちよくスルー出来そうだ。
尚子は仕事へのエネルギーを十分補給し、気持ち良く寝る準備をするのであった。