あの子に化粧の仕方を教えたら……
女子というものはまだ十代でも女という生き物なんだなあと、そう思うことは多々ある。
「正弘。いつものお願い」
「姉さん、ちょっと待って」
そうして僕は姉の部屋に連れ込まれる。
正直普通の姉弟の関係じゃないとは思う。
でも長女という存在は姉弟間では絶対的な存在なので、逆らうことは出来ない。
そうして僕らはいつもの日課――姉に化粧を施す。
姉曰く、『私が目指している化粧は女子から好まれるものじゃないの。男子視点で見てかわいいって思える化粧にしたいの、わかる?』とのこと。
そこまでしてモテたいものなのだろうか? 僕にはよく分からない。
でも女子というものは『かわいい』に対して妥協が出来ない生き物らしい。
一時間ほど掛けて姉に化粧をしたところで、僕は登校した。
靴箱から上履きを取り出し、自分のクラスへと向かう。
引き戸をゆっくりと開けて自分の席に着き、朝のショートホームルームが始まるまで時間があったので鞄からスマホを取り出し、それをいじってスマホゲーのログインボーナスを受け取る。
デイリークエストを消化していると、僕のそばに近寄ってくる人影。
「おはよう、藍川くん」
「おはよう、仲島さん。ごめんね? スマホいじってたからすぐに気づけなかったかも」
「ううん、そんなことないよ。良かったら、またお話しよう?」
ということで僕らは談笑をし始めた。
会話の内容は取り留めのないもので、登校中ねこさんが目の前を通りかかったとか、外国人に道を尋ねられたから拙い英語で道順を教えたとか……そんな感じ。
僕と仲島琴乃さんは割と会話がかみ合う。どっちからとは言いだしたわけではないけど、気づいたら友人と呼べる間柄になっていた。
SHRの時間が迫っていたので僕らは会話を切り上げ、仲島さんははす向かいの席へ戻っていった。
◇
午前の授業を終え、学食で仲島さんと一緒に食事をした後、僕らは教室に戻った。
お互いに軽く別れの挨拶を済ませ、各々の席に戻る。
すると事件が起こった。
「どけよ! 邪魔なんだよ、ブスがよぉ!」
「――っ! ……ごめんなさい」
長元くんが仲島さんとすれ違った際に、そう恫喝した。
仲島さんは委縮しながら、申し訳なさそうに謝罪を入れていた。
このような件は今回が初めてではない。
長元くんはことあるごとに仲島さんにつっかかる。
大ごとには発展していないけど、ほぼいじめと言ってもいい。
もう限界だった。
彼らは知らない。彼女の本当の魅力を。
仲島さんはダイアの原石だというのに、それに誰も気づかない。
気付いたら、僕は長元くんと仲島さんの間に割って入っていた。
「長元くん。さっきの言葉、取り消してよ」
「あぁ? 藍川、お前、俺に喧嘩うってんの?」
正直怖かった。
僕は暴力とは縁のない世界で暮らしてきたし、彼は僕より体格がいい。
でも――でも……それでも男には引いちゃいけない時というものがある。
「そうだよ。そもそも仲島さんはかわいいじゃない? 長元くんは女性を見る目が無いんじゃないの?」
「わ、私なんてかわいくなんてない――」
その仲島さんの会話に割り込むようにして、長元くんは大笑いした。
「ははははっ! 仲島がかわいいだって? 藍川、お前の目、腐ってんじゃねぇのか? こいつの顔を見てみろよ。そばかすだらけで目も当てられねぇ。ブスじゃん」
「――それなら、そばかすが無ければ彼女はかわいくなれるんだね?」
「知らねぇよ、そんなもん」
その言葉を最後に、彼は自分の席に荒っぽく座り込んだ。
僕が長元くんに食って掛かったのが彼は気に入らなかったんだ。だから不機嫌になっている。
そんな彼のことは後回し。とりあえず仲島さんの同意を得なくてはいけない。
何のためにかって? それは勿論、女子が喉から手が出るほど欲しくてたまらない『かわいい』を与える件についてだ。
「ごめんね、藍川くん。嘘をついてまで私を庇ってくれて」
「違うよ。あれは本心。仲島さんはかわいいんだよ」
「――そんなことないよ。そばかすがあって不細工なのは事実だし」
「じゃあ、そのそばかすが無ければいいんだね? で、本題なんだけど……明日、朝に仲島さんの家にお邪魔しても良い?」
「うん、いいけど……何をするの?」
「化粧」
彼女は目を見開いていた。
驚き半分に加え、疑問に思うところもあるだろう。
でも、それでも僕はあの長元くんを見返してやりたかった。
ダイアの原石を磨いたらどうなるか、どれだけの輝きを放つのかというものを見せつけてやるんだ。
◇
翌日の朝。
僕は前もって姉に断りを入れて化粧道具一式を借りることにした。
そのために姉に早めに化粧を施す必要があったのは言うまでもない。
化粧ポーチを鞄に入れて、僕は仲島さんの家へ向かった。
チャイムを鳴らすと玄関の向こうからパタパタという足音が聞こえてくる。
「おはよう、藍川くん」
「おはよう、仲島さん。入ってもいい?」
「うん、何もおもてなしは出来ないけど、どうぞ」
僕はリビングにいる彼女のご両親に挨拶をしてから、仲島さんの部屋へと向かった。
男子が女子の家に来てもご両親が普通に接してくれたところを見る限り、前日に彼女は両親に事情を説明していたと見て取れる。
彼女は既に化粧水と乳液を塗り終えた後らしかった。肌のキメが細かい。
すっぴんでこんなにかわいいのに、なぜ学校の男子たちはその魅力に気づかないのだろうか。僕は不思議でならない。
「ねえ、藍川くん。本当にこのそばかすってお化粧で目立たなくなるの?」
「うん。ファンデーションを塗れば見えなくなるよ。仲島さんは鏡を見ながらでいいから、自分がどんな風に化粧をされているか覚えてね。じゃあ始めるよ?」
僕はまず彼女に化粧下地を施し、次にファンデーションを塗ってそばかすを目立たなくする。コンシーラーやフェイスパウダーを使用したところでようやく化粧のベースが完成した。
本番はここからだ。
僕が彼女の可能性を限界まで引き出して見せる。
◇
化粧を終え、僕らは一緒に登校した。
登校中、僕らに突き刺さる視線の数々。
それは僕に向けられたものではない。
そう、生まれ変わった仲島さんに向けられたものだった。
校門を抜け、校舎に入る。そして僕らは自分のクラスの引き戸を開けた。
「おーう、藍川……って、隣の美少女だれだよ!?」
そのお調子者のクラスメイトの声を皮切りに、クラスメイト全員がこちらを見る。
そんな視線が集中することに慣れていないのか、仲島さんは僕の後ろに隠れながらひょこっと腕越しに横から顔を出す。
そしてその化粧を施した仲島さんを見た彼ら彼女らは周りのクラスメイトと何かを話し始めた。
クラス内が騒がしくなる。
仲島さんは長元くんの席の前を通り、彼に一言。
「お、おはよう、長元くん」
「――あ、ああ。ってか、あんた、誰?」
どうやらまだ誰も彼女が仲島さんであることに気づかないらしい。
そして仲島さんが歩いて自分の席の椅子を引き、そこに座ったところでわっと喚声が上がった。
「はあ!? あの子、仲島!? 別人じゃねぇか!」
「えっ? どゆこと? 仲島さん、化粧してる? お願い! 化粧の仕方、教えて! めちゃくちゃかわいいじゃん!」
男子は遠巻きに彼女のことを眺め、女子は仲島さんのもとへ集まり女子トークを繰り広げていた。
そんな和気あいあいとした空気の中、長元くんが僕の元へ来る。
「おい、藍川。お前、仲島に何をした」
「化粧、それだけ。だから言ったじゃない。彼女はかわいいって」
「……化粧であそこまで変わるものなのか?」
「女は化粧で化けるんだよ。知らなかったの?」
「知らねぇよ、そんなもん」
彼はいつものように不機嫌そうに自分の席に戻っていった。
これで仲島さんと長元くんの間にある問題は解決したものとみていいだろう。だって罵倒する理由がなくなったわけだし。
僕は鞄からスマホを取り出し、いつものようにログインボーナスを貰うためにゲームを起動した。
~~~
色んな人が私に話しかけてくれるけど、私は何もしていない。
容姿の基礎となるものは両親が分け与えてくれたものだし、そばかすが消えたのもあの藍川くんの化粧技術のおかげ。
だから何か違うなって思うことがある。
かわいくなれたからって調子に乗ると、多分後悔することになる。
だから――だから、私がまだ原石だったころにきちんと私のことを評価してくれた人とのつながりを大事にしなくちゃいけない。
藍川正弘くん。彼ともっと仲良くしたい。
私はクラスメイトの女子たちに断りを入れてから人の輪を抜け出し、藍川くんの元へ向かった。
彼はスマホをいじっている。いつものようにゲームをしているんだと思う。
「藍川くん、お願いがあるんだけどいいかな?」
彼はその声を聴いて私に気づいたらしく、スマホを机の上に置いてこちらを向く。
「うん、いいよ。で、僕は何をすればいい?」
「――私のことを名前で呼んで欲しいの。私もあい――正弘くんのこと、これからは名前で呼ぶから」
「そんなことで良ければ全然構わないよ。よろしくね、琴乃さん」
名前で呼ばれた時、私は動悸がした。
これは恋心と断定してもいいと思う。
容姿にコンプレックスを抱いている私と普通に接してくれた彼が好き。
あの時、間に入って仲裁してくれた優しい性格の彼が好き。
化粧の仕方を教えてくれて、私を煌めくダイアのように変貌させてくれた彼のことが好き。
だから、これからはもう以前のように後ろめたさを感じないで生きて行こうと思う。
彼に振り向いてもらえるような、視線を釘付けに出来るような――そんな女性になりたい。
そして、正弘くんと共に、一緒に前に向かって歩ける自分でありたい。
その時が来たら、その思いの丈を全て彼にぶつけるんだ。