言えない本音
ゲブラーからの迎えは、魔族の男だった。というのはリアンにだけわかった。何故なら、その魔族は人間と唯一異なる見た目の特徴である角を魔法で隠していたからだ。
自分にだけわかるのは何故だろう、とリアンは不思議に思ったが、わざわざばらして揉め事を起こす必要もないだろう、と判断した。
森を抜けるには、魔族だろうとなんだろうと、大人の力が必要だったから。フロンティエール大森林は子どもが一人で抜けるにはあまりに広大で、寝物語に「迷いの森」として伝わっているほどだった。
「お前、気づいてたろ」
森に入ると、男が言った。リアンはぽやんと男を見上げる。
「何に?」
「俺が人間じゃないって」
「うん、まあ」
「どうして言わなかった?」
「……僕を迎えに来たことまでは嘘じゃないでしょう? それなら問題はないから」
「やれやれ。もっと警戒した方がいいぞ、ガキ」
わしゃわしゃ、と男はリアンの頭を撫でる。確か、フラムと名乗っていただろうか。フラムは旧い言葉で【炎】という意味だ。リアンの【氷】と対局にある。もしかしたら、リアンが暴走したときの歯止め役かもしれなかった。
頭を撫でられたのは初めてで、リアンは目を白黒とさせる。どういうときに頭を撫でられるものなのか、リアンはよく理解していなかった。
「まあ、迎えに来たのは確かだが、あれだな。ケセドの民ってのは本当に平和ボケしてるっつうか、のほほんとしてて調子が狂うな」
「……僕のこと?」
「いや、それよかあの大人たちだな」
変なやつらだ、とフラムは称した。フラムはゲブラーで暮らしている。そこからすれば、ケセドの民は確かにのんびりしていて、掴みどころがないのかもしれない。
そもそもフラムは魔族だ。しかも、魔族の中でも戦闘能力の高い鬼人族である。戦うことが生き甲斐ですらある彼らからすると、戦いと無縁の生活を送ってきたケセドの民との価値観は違って然るべきだろう。
「慈愛の民っつうから、もっとお前を手放すことに悲しみ? みたいなのあるかと思ったんだよな。すんなり渡すじゃねえか」
「セカイのためだからじゃない?」
「物分かりよすぎだろ。……ってか、それは理性の話だ。感情論の強いやつらだと思ってたんだよ。愛ほど複雑怪奇な感情はねえと、俺は思うんだがな」
その言葉にリアンは何も返さない。それはリアンも感じていたところだ。
少し、不安なのだ。もしかしたら、本当は愛されていないのかもしれない、という不安。大して思われていないのかもしれない。けれど、それを不安と口にするには【セカイを救うため】という大義名分が邪魔をする。
もしかしたら、みんなの言う【使命】というのに従ったら、自分の中のこの要領を得ない感情を理解できるのかもしれない。そう思って、リアンは迎えに来たのが魔族であることを黙っていた。
正直、まだ何も起きていないのに、種族が違うというだけで敵視するのは性に合わない。それに、違う種族だからこそ、リアンの知らない何かを知っているかもしれない、とリアンは推測した。
「へぇ、肝が据わってんな? 噂が本当なら、お前は俺に取って食われるかもしれないのによ」
「それが目的なら、もうとっくにしてるはずでしょう?」
「おーおー、可愛くねえなあ」
可愛くある必要はないのではないだろうか、とリアンは少しずれたことを考える。フラムは肩を竦めた。
「確かに、それは目的じゃねえな。目的だとしても、この森じゃ、やらねえよ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃ、おっかねえ森の守護者に怒られるからな」
「森の守護者って、土の民だよね? 戦闘種族の鬼人族から見て、そんなに強いの?」
意外にも、目を輝かせて食いつくリアンに、フラムは驚いた後、苦虫を噛む。
「土の民は温厚な種族だが、森を荒らすやつには容赦しない。それに、何百年かに一度、土の民の中でも最も強いとされる【グランソル】ってやつが現れるんだ。で、今代のグランソルが滅茶苦茶強いんだよな」
「フラムは、グランソルと知り合いなの?」
「ああ。訳あって、手合わせしたことがある。俺は剣術をメインとした近接戦闘が得意なんだが、グランソルは素手でそれを捌いて、圧倒するんだ」
「すごいね」
「戦闘種族として、俺もまだまだだと思い知ったよ」
「へぇ」
リアンの平坦な声に、フラムは口を尖らせる。
「お前から聞いてきたんだろ? もっと興味持てよ」
「興味はあるけど、それはあくまで知識として、で……僕が実際に戦闘することは、あまり考えたくないな」
おやおや、とフラムは首を傾げた。
「セカイに遣わされた勇者サマが、そんなことでいいのかね?」
フラムの言葉に、初めてリアンの表情が歪む。フラムはお、とびっくりした。
「勇者、なのかな。まだ何をするかもわからないのに……」
それは、リアンの熟慮であった。まだ、魔族や魔物の動きに不穏なものがある以外は、平穏である。不穏というのも、推測でしかない。必ず争いが起きるとは限らないのだ。
全てを決めつけて行動しているのが、リアンは引っかかる。責められるのが嫌で、ケセドの民には言えなかったけれど。
ふぅん、とフラムは感心する。子どもながらに、リアンはよく考えている。
「ま、わからんが、期待されてるなら、応えるのが筋ってもんじゃないか?」
「そう、なのかな。でも、僕は……」
しりすぼみになりながら、リアンは言葉を紡ぐ。
「別に、勇者になんて、なりたくないよ……」
「そらまたなんで? 勇者ってのは、セカイの英雄だ。未来永劫、死んだ後も、セカイの中で語り継がれる。栄誉ある存在としてな。それじゃ不満か?」
「僕は、英雄になることより、英雄になるために、命を見捨てなきゃならないことや、命を奪うことが、嫌だ」
フラムは意外としっかりと答えたリアンに驚く。もちろん、その言葉の内容にも驚いた。
「お前、勇者向いてないな」
「別に、向いてなくていい。僕は……」
そこで黙り込んでしまう。
自分がどうしたいのか、わからない。勇者になりたくないのなら、自分は何になればいいのだろう? 勇者になる【資格】があり、【義務】がある。それ以外、リアンには何もない。
「そんな悩むなよ」
フラムが、悩んで黙り込むリアンの頭をわしわしと撫でた。
こんな年端もいかない子どもが、セカイのことで悩み、役目に押し潰されようとしている。そこに手を差し伸べる大人はいない。だとしたら、自分が手を差し伸べるべきだろう。数年後の未来で、敵になっているとしても。
「そういうことは、この先、俺と剣術の修行でもしてから、考えるんだな」
「修行? あなたと?」
「ああ。別に俺が素性を隠したのには深い意味はない。揉め事を避けるためだ。今のところ、セカイは平和だし、何よりゲブラーは英雄都市で、軍事都市だ。腕に覚えのあるやつらがたくさんいる。そこに人間も魔族もねえよ。
もう一人、【ダート】の使い手を育てている。改めて、俺はフラム。お前に剣術の指導をするために迎えに来た。よろしくな」
差し出されたその手をリアンはまじまじと見つめる。この手を取っていいのだろうか。
少し悩んで、悩むほどのことではない、と開き直った。フラムの手を取る。
「リアンです。よろしくお願いします」
そうして、リアンはフラムから、剣術の指導を受けることとなったのだ。