⑦教授の講義後②
あれから、俺たちは幻想ルームに向かい仮想イベクバと戦った。
結論から言うと「話にならなかった」だ。
最初の一番の壁は奴の威圧の気を打ち砕くことができるかどうかだった。食物連鎖の頂点であるイベクバの体躯は高さ2.3m、横幅8m。高さはパーティメンバーのグバダと同程度で幅はでかいが、パーティ全員が大きさにビビるほどではない。
だが、アタッカーのプレゥは普段のスピードの3分の1程度しか出せなかった。イベクバの戦闘能力?捕食能力?それとも吐き気を催す異形のため?
後衛の三人の動きもぎこちなく、イベクバの威圧により呪文不発が相次いだ。まともに動けたのはリーダーのアザルだけだった。俺は心が委縮することはなかったが、やはり攻撃に対処できるレベルではない。
戦いが終わり疲れ果てたパーティ仲間を見回して
(だから、言わんこっちゃない・・)と心の中で俺は呟いていた。
「・・・明日の返事、どうするんすか・・・」力なく座っていたプレゥが誰を見るのでもなく呟いた。
全身汗だくで肩で息をしている。戦う前はもう少しやれると自分では思っていたのだろう。悔しさが体中からにじみ出ていた。
「このまま引けば次の仕事にも影響あるぞ」アザルが言う。
「しかし、全滅よりかは!?」魔法使いのボルドゥが珍しく叫んだ。
「会社の査定なんかはどうでもいい。事務屋がどう思おうとも。俺たちがこの先剣を振るえるかどうか
逃げた先のことを考えてみてくれ」
アザルの言葉に一同黙り込んだ。格下の依頼を空しくこなすだけに成り下がることになるだろう。
俺には解散、退職の未来が見えた。しばらく、皆黙り込んだ後に俺は言った。
「俺は受けるぞ、このパーティが受けないなら違うパーティに組み込まれてでもやる」
皆は黙って俺の言葉を聞いていた。溜息のような空気が漂う。「こいつならそうするだろ」と予想どおりの言葉で、皆の心にはさざ波すら立たなかったらしい。
「やる気満々な奴が一人いるしな」とアザルが苦笑しながら言った。
そしてまたしばらく沈黙が流れた。
「感想から始めるか」と一同を見回してアザルが続けた。
「グバダ、後ろから眺めてどう感じた?」
皆の中でも身長が頭2つ分は高い半獣人のグバダが思慮深く答える。
「そうですね、あの触手の攻撃スピードは皆の感じたとおりかと。それよりも驚いたのは本体の動きです。本体を支える無数の触手で細かい距離ですが人間以上に素早い動きができるようです。体全体から出る粘液と口から出す毒液、これを攻略しない限り討伐は不可能でしょう。細かい距離と言いましたがどれだけ持久力があるのかも未知数ですし」
素早い動きが何秒、何分、何時間、続行できるのか不明なのだ。過去の討伐は奴の動きを封じることから全て始まっていた。何人もの魔術師が動作、神経、範囲時間等を同時に拘束することで完全に封じ込めるのだ。(封じ込めが不完全で途中から動かれた場合もあるが。)
大人数と少人数では戦い方そのものが違ってくる。
アザルは頷いて次の者を指名した。
「ボルドゥ、魔術師としてどう思った?」
ボルドゥは年齢35才、魔術師としてはまだ駆け出しとみなされる。魔術を極めるには長い年月と強靭な意思が必要であり、体内時間停止や若返りの魔術をもってそれを為そうとするのは珍しくない。彼は家庭持ちであり、妻子と一緒に暮らしている。
「ふむ、厄介なのは毒ガスとも言える口から吐き出される息でしょうか。範囲は狭そうですが直接吸い込めば呪文どころではない。尋常じゃない悪臭も呪文阻害には威力十分です。それの対処を過去の戦績から調べないと・・、それと奴は魔力を帯びてます。言語を使用するのか不明ですが、もしも唱えることができるのなら脅威ですね。我々はまともな闘いになりませんでしたから、これ以上の考察はできません」
次は同じく魔術師ベルが指名された。
「う~ん、大方皆の意見と変わらないよ。一つ気になることが。異物は死体が残らない。だから、死骸から情報を得ることができないわけだけど。無数の触手を考えると奴の脳って一つじゃないんじゃないかな?って思う。それって複数の並列思考が可能?いくつもの攻撃手段を持っているけど、それを同時に実行できる。複数の相手に。そこは認識する必要があるんじゃないかな?と思う」
「次、レティ」と俺が指名された。
「んー、威圧に関しては「素」で跳ねのけることができる。技術がいるけど。悪臭については、幸い俺の鎧には悪臭止めの付呪が施されているから(幻想ルームの装備については本人が持っている装備の能力が反映される)、大して行動に支障はなかった。問題は触手攻撃のスピードだ。奴の癖、・・というより力の流れを感じ取ることができないと反応することは無理だな。ブレスや能力強化で何とか反応できるレベル。ベルが言う平行動作については俺も感じていたが、対処法が思いつかん。が、構造上できる行為とできない行為があるはず、と思いたい。そんなとこだな」
「最後に、プレゥ。・・喋れるか?」
今回の模擬で一番ダメージを負ったのがアタッカーのプレゥだった。威圧によりスピード減衰、彼女の一番の武器は封じられた。悪いことに彼女は悪臭や毒液に対して付呪を施しておらず無防備だった。防護魔法を施された後は悪臭と毒液についてはマシになったが。「威圧」に関しては呪文ブレスの効果は減衰されたとみえ、彼女のスピードが普段に戻ることはなかった。
通常であれば「ブレス」は彼女の能力を全体的に底上げしスピードについては1.5倍から2倍になるほどの効果をもたらす。その効果を打ち消すほど彼女の心は恐怖に支配されていたと言えよう。
恐怖は致命的な判断ミスを起こした。
攻撃を焦った彼女は最大攻撃力をもつジャンプ攻撃を選択してしまった・・。
彼女は床に足をまげて座っていた。足の間に顔を伏せており、肩で息をしていたが整ったようだ。こちらからでは表情は見えない。
アゼルは彼女がまだ喋れる状況でないと見て話し始めた。
「さっきはああ言ったがここは諦めて再起を図るのも「あり」だと俺は今は思っている。俺みたいな年齢になるときついがな。選択肢を狭める発言は取り消すよ。すまない。ただ、自分の気持ちに正直でいてくれ」
少し間を開けてアゼルは続けた。
「それでは俺の意見を言おう。今のパーティなら「勝てる」と俺は思う。パーティのバランスも良い。今回は事前情報のみで戦ったが、各々が対処法を身につければ問題なくいけるだろうと思う」
アザルは皆を鼓舞し続けた。歴戦のリーダーが言うと違うね、皆の目に力が戻って来た。
いつのまにかプレゥが顔を上げ胡坐をかいて座っていた。
「負けっぱなしは性に合わないんすよ」とプレゥが言った。
「いざとなったら逃げるわ」
「違う仕事だとワタシのチンギン、5分の一デス」とわざと片言で言い、珍しく冗談をグバダが言った。
皆の顔に笑みが戻った。
「よし、皆の気持ちが変わらないうちに今日返事するからな。もう後に引けねーぞ」とアザルが言う。
皆立ち上がり、円陣を組むように向かい合った。
「今日はもう休め、明日からここに詰める」
皆が頷き今日は解散となった。俺はもうちょっとやっていくがね。
それぞれが帰った後、幻想ルームに足を向けた。皆帰ったと思っていたら、アザルが廊下からひょっこり顔を出した。
「レテク、程ほどにしておけよ」
「気が済んだら帰るよ」
「それっていつだよ?」
「気が済んだら」
何も具体的な言葉を含まない返答を聞いて、変わらんな、こいつはと言う顔でアザルは顔を振った。
「じゃぁな、死ぬなよ」と言ってアザルは去っていった。
幻想ルームに顔を向けた俺の頭の中にはもうイベクバのことしかなかった。
「やるぞ」と一言呟いた。