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⑦ 疑問の思い出 



 あれから少しばかりの月日が流れ、とうとう、朝は布団から出られない時期がやって来た。

 


 窓には薄い結露が滲む。

 空気は身を裂くように冷え込んでいる。



 多くの人はこの季節を、灯油ストーブで暖かくなった家の中で、更には炬燵(こたつ)に引き籠って過ごすべきものとして捉えているだろう。

 


 しかし、僕はそうしなかった。

 当然ながら、山へと足を運んでいた。

 僕は鈴音と一緒に居られるだけで、その心に一足も二足も気の早い春が訪れるのだから。

 


 現状、僕の気持ちは三つ巴と呼ぶに相応しい状態だった。

 


 友愛と敬愛、そして親愛。

 かつての僕が抱いた君への気持ちはその三強であって、心はそれ以外が立場を主張する隙間のないほどに、完璧な三色で塗りたくられていた。

 


 だが、あの一件を切っ掛けに、新たに四色目が頭角を現した。

 


 それが友愛と親愛のどちらを塗り替えてしまったのかは定かではない。

 けれど、心が甘く踊るような気持ちが台頭したことは確かだ。

 


 今はまだ、それぞれが上手いこと均衡してくれている。

 でも、いつかその前線が破壊され、たったの一色に染まる日も近いのかもしれない。

 


 詰まる所、綻びが修復されたその日、解けた糸は別の形に結ばれてしまった。



 もちろん、僕にとってそれは天地が入れ替わるような大事件だった。

 けれども、鈴音にとっては何一つとしての変化はなかったことだろう。

 


 もしもあんなことが起きなければ、僕はこうはならなかっただろうか。

 いや、彼女の傍に居続ければ、遅かれ早かれ似たような気持ちを抱かされていたのだろうな。

 


 以前は混じり気のない友情が先行していたからこそ、僕は鈴音本人ではなく、彼女の持つ才気にばかり気を取られていた。

 


 しかしこのように、今となっては鈴音にこそ心惹かれ、好奇心を駆り立てられていることは言うまでもない。

 


 君の他愛ない一言一句、そして何気ない身振り手振りの一つ一つに、今日も僕の世界は大きく揺さ振られている。

 


 こうして僕が自らの感情を再確認しているのは、そうすることで、胸に抱くこの想いを深く染み込ませ、より強固なものへと発展させること以上の意味があった。

 


 近頃、僕の頭を悩ませている一つの事柄。

 それが、この感情と大きく関係しているように思われたのだ。

 


 と言うのも、これはそうして、彼女自身に意識を向けるようになって以来の話だ。

 いつからか僕は、鈴音に対して幾つかの不可思議な点を見つけ出していた。

 


 通常であれば、それはすぐに見落としてしまいそうな極々細かな点であった。

 それでも僕がそれらに気が付いたのは、やはり、鈴音に夢中になってしまった自身の心境の変化ゆえなのだろう。

 


 であれば、件の七不思議とは一体なんなのか。

 


「千風くーん。もう疲れちゃったの?」



 頭の上で、毎晩のように思い浮かべる疑問のあれこれを整理する。

 数メートル先で枯れ(すすき)をかき分ける鈴音が、大きな声で僕を呼び掛けた。

 


「ちょっと考え事してただけだ。僕が歩き回るぐらいで疲れるわけないだろ?」


 

 僕は息巻いた言葉で応えた。

 途端、彼女はペースを上げて森を突き進み始めた。



 僕の強がりを試すつもりなのだろうか。

 まぁ僕としても、最近は以前に増して、鈴音に虚勢を張りがちな傾向にあることは自覚しているんだけれど。

 


 話を戻そう。

 別に七つも見つけられたわけではないが、一つ目。

 


 まずは、薄の群生地で藻掻く僕の姿に着目して欲しい。

 次いで、一足早く抜け出した鈴音に目を向けてくれ。



 夏の過剰な熱線を浴びた僕の肌は、すっかり小麦色に焼けてしまった。

 


 一方、同じく時を過ごした彼女の肌は、出会った時と変わらず透き通った乳白色のままである。

 君は視認出来ない純白のドレスでも纏っているのだろうか。

 


 次に二つ目。



 兎みたく軽々と、鈴音は木々の茂る斜面を駆け登っていく。

 僕はそれに大きく遅れて、彼女を後ろから眺めることにしよう。

 


 こうして派手に動き回ろうとも、今や汗を掻かない季節に突入した。

 だから僕も少しばかり髪を伸ばすようになった。



 対して、彼女の滑らかな黒髪はどうだろうか。



 今日も鏡のように美しく木漏れ日を反射させているが、これまた、夏の頃から一ミリも髪が伸びたように見えない。

 その上、依然として毛先までもが綺麗に纏まっているのだ。

 


 がしかし、言ってしまえばこの二つは、前菜や副菜のようなものである。

 主菜はこれから語る最後の一つこそだ。

 


 何せこの二つは、それを実際に行うのが現実的であるかどうかは別として、何かしらの形で辻褄が合わないこともない。

 


 例えば前者は、鈴音が毎日肌の手入れをして、日焼け止めを絶やさず塗ったから。

 若しくは元々日焼けしにくい体質だとでも言えばいい。


 

 後者に関しても、鈴音が毎晩髪型を維持する努力をしたとか、或いは家族に気の利く美容師がいる可能性もあるかもしれない。

 


 がしかし、最後の一つばかりは、僕には筋の通る理由を見つけられなかった。



「おー、段々速くなってきてるね~」



 颯爽と斜面を登り切った彼女は、余裕綽々の表情でこちらを眺めている。

 ようやくゴールに辿り着いた僕は、両膝に手をつきながら白い息を切らした。



「鈴音は相変わらず、速過ぎる、だろ…」



 あれから数カ月経とうとも、どうにも君には敵わないらしい。

 僕もそれなりに成長したとは思うのだが、鈴音はまだまだ余力を残しているように思えた。

 


 息を乱した僕が愚痴を零す。

 鈴音は一層のしたり顔を作った。



 それからはいつも通り、僕が息を整えるまでの間、暫し僕らは勾配の急な斜面の下を眺めているのだ。

 


 一見、こんなことは僕の発見した不可思議とは無関係にも思えるかもしれない。

 けれど、よく注意して見て欲しい。

 


 空気が涼しくなり、更には底冷えに差し掛かっているこの時期。

 夏は半袖で過ごしていた僕も長袖を、そして今はパーカーまで羽織っている。

 


 こうして身体を動かして初めて、手足がじんわりと熱を取り戻し、身体が温かくなるような季節になった。



 例えば御伽噺を読んでいる時なんかは、身体を動かすわけでもない。

 当たり前のことだが、半袖では震えが止まらず読書どころの話ではないだろう。

 そんなことをした翌日には、体調を崩して痛い目を見るだけだ。

 


 それだけに、僕には解せないのだ。

 


 最後に三つ目。



 僕が季節に合わせて厚手をするようになったというのに、鈴音は相も変わらず、薄手のワンピースを身に着けている。



 それも、()()()()()()()()()()()()()()()を、だ。

 


 この寒さの中、平気で素肌を晒していられるなんておかしくはないだろうか。

 現に今の彼女は何食わぬ顔で、白いワンピースを一枚だけ纏っていた。

 


 尚も僕を理解不能に追い込んだことがある。



 それは、そんな恰好だと寒くて凍えてしまうはずなのに、君が一切白い息を吐き出さないことだ。

 呼気が湯気のようになってしまうのは、体内と外部の温度差によるものだと、理科の授業で習った覚えがある。



 となると、鈴音の体温はこの冷気と変わりない、はずがない。

 だって、あの時触れた鈴音の身体には、確かな温もりが宿っていたのだから。

 


 であれば何故なのか。

 これ以上は堂々巡りだった。

 そこには僕程度の頭脳では到底解き明かせない謎があった。

 


 しかし、一旦意識してしまえば、それを端に追いやり消滅させることは難しかった。

 鈴音のことを考えれば、必ずと言っていいほどにそのことが脳裏を過った。

 


 家に居ようと学校に行こうと、君と遊んでいようと。

 頭の中に鈴音を思い浮かべる度に、悶々と晴れない靄が纏わりつく。

 彼女に対する疑念は日を追うごとに膨らんでいった。

 


 その上、これまでの僕は、あまりに鈴音のことを知らなかった。

 だからこそ、貪欲にも僕は、もっと君を知りたいと願うようになっていたのだろう。



 そう、自らを制御できないほどに。



「なぁ、鈴音」



 好奇心という名の欲心に抗えなかった僕は、とうとう話を切り出してしまった。

 鈴音がこちらに顔を向けた。



「ちょっと聞きたいんだけどさ」



「鈴音は寒くないのか?こんな季節に半袖なんか着てて」



 募った疑念をようやく言葉に出来た。

 僕の心のもやもやは些かすっきりとした。

 問い掛けられた鈴音は、きょとんと豆鉄砲を食らったような表情を浮かべた。



 しかし、その唖然とした顔にも、次第に暗雲が立ち込めていくではないか。



 やがて彼女は落ち着かない様子で、自身の身体を見回すようになった。

 終いには僕を上目に見やり、その表情を憂わしげなものに染めた。

 


「…おかしいかな?」



 いつもと違って不安げな調子で尋ねられては、徒に疑問を解消した僕こそが悪者であるように思えた。

 


 やってはいけないことをしてしまった。

 自信なさげにワンピースの裾を掴む鈴音を前に、僕は久々にそんな心地に陥った。



「いや、おかしいとかそういう訳じゃなくて…その、寒くないなら構わないんだ。鈴音が風邪ひいたら心配だしな」



「…そっか。でも、大丈夫だよ、私は風邪なんてひかないから」



 彼女を安心させるよう、僕は努めて言葉を選んだ。

 そのお陰か、ようやく鈴音の表情にも微笑みが戻った。

 


 が、納得いかない部分もあるらしい。

 彼女は暫し小さな声で何事かを呟いていた。

 僕はそんな彼女をぼんやりと眺めながら、頭はまた別なことに作用していた。

 


 今の問答を通して、少なくとも、分かったことが二つある。

 


 一つは、鈴音が冬の寒さを意にも介していないこと。

 そしてもう一つが、気温云々以前の問題として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだろう。



 率直に言って、こんなことが有り得るのだろうか?

 鈴音の体感覚は普通とは違っているとか、そういうことなのだろうか?

 


 疑問を解消出来たと思ったら、また新たな疑問がふわふわと頭に憑りついた。

 手で払いのけようとも霧が晴れることはない。

 僕はどんどんと濃霧に呑み込まれていく。

 


 謎が謎を呼ぶ。

 上手くジグソーパズルを解いたつもりが、盤面からピースが根こそぎ抜け落ちてしまった。

 そんな歯痒い気分が身体中を撫で回した。

 


 それでも僕は性懲りもなく、ばらばらになったピースをはめ直そうと両手を動かす。

 かき集めた情報の断片を繋ぎ合わせることで、鈴音の全てを丸裸に出来るように。

 


 しかして以降の僕は、鈴音の不可解な点を見つけ出しては、その原因を突き止めようとした。

 


 だが、それは僕は探偵にでもなった気分だったとか、そんな自分に有頂天になっていたとかでは断じてない。

 


 僕はただ純粋に、彼女をより深く知り、もっと強く理解したかった。

 動機はそれだけのことだった。

 


 それ故、この日のように鈴音の表情を曇らせることのないよう、それからの僕は疑問を頭の中で解消しようとするに留めた。

 僕にとっての優先順位を履き違えることはなかったのだ。

 


 と言っても、僕が不可思議を解き明かそうとしたことに変わりはない。

 


 得られるリターンが未知数である一方で、強大なリスクが付き物である。

 秘密を暴くということは、言わば分の悪い賭けに挑んでいるようなものだ。

 


 公然であろうと内密であろうと、秘密が秘密でなくなったその時、何かが破綻してしまう。

 暗黙の了解がいい例だろう。

 


 そこまで分かっておきながらも、僕が彼女の不可思議について考えることを止められなかったのは、まぁ、そういうことだ。

 


 恋は人を盲目にする。

 とはよく言うが、実際はそればかりでない。

 恋とは、己を自分本位な思考回路へと至らせる破滅的な病でもある。

 


 過ぎた好奇心が滅ぼすものは、猫でも人間でもない。

 目には見えぬが大切なものなのだ。



次回の投稿日は、明日の7月17日、月曜日となります。


それでは、また次話でお会いしましょう!

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