05 ご予算は
「五千円……くらいかなぁ」
この答えに、当然俺は違和感を覚えた。
雪峰明里は社長令嬢であり、アピールこそしないが本人もそれを隠していないように見える。
雪峰の親がどの程度の会社を経営しているかは知らないが、五千円というのはソロキャンプの装備としても足りない金額だ。
そして、答えることを少し躊躇したようにも見えた。
つまりそれは──
「──分かった、五千円だな」
「う、うん。足りない、よね……」
雪峰は、俯いて肩を落とす。
「確かに足りない。だが、それは全てをまともに揃えた場合だ」
顔を上げた雪峰は、きょとんとした目で俺を見る。
つかなんだよ、いちいち可愛いな。
まあ俺には効果は無いけど。
俺は、白紙のルーズリーフを一枚取り出して、シャーペンを走らせる。
何も言わずにそれを見つめる雪峰の目は、真剣だ。
「よし、こんなもんだろう」
ルーズリーフに書いたのは、これからの季節で必要になる最低限の装備のリストだ。
「えっと、テント、グラウンドシート、寝袋、ランタンって……えっ、これだけ?」
「そう、これだけ。これだけあれば、野外で宿泊できる」
「え、でも焚き火とか」
まあ待て。これから説明するから。
「まずこれが、お前のキャンプ装備の核だ。そこに、自分のスタイルに応じて装備を増やしていく」
焚き火をしたいなら、焚き火台や火消し壺、ナイフ。
調理をしたいなら、野外用の鍋やフライパンなどのクッカー。
夜に読書をしたいなら、より明るいランタンが必要になるだろう。
「つまり、雪峰自身がどんなキャンプをしたいか。それが一番大事になる」
その瞬間、雪峰の顔から影が消えて、楽しそうな笑顔に変わる。
「やりたいことは、いっぱいあるよー。ちゃんと焚き火したいし、焚き火を使った料理もしたい。あとね〜」
指を折りながら、雪峰は自分がやりたいことを語り続ける。
雪峰の熱弁を聞きながら、思わず過去の自分に重ねてしまう。
やりたいことをやってみて、それを積み重ねて、俺は今のキャンプスタイルにたどり着いた。
雪峰は、今そのスタートラインに立ったのだ。
そんな雪峰に耳を傾けていると、ふと雪峰が笑い出した。
「へぇー、師匠もそんな顔するんだね〜」
「え」
「なんかね、キラキラしてる。夢見る少年って感じ」
そう微笑む雪峰の表情も、いつも教室で見せる化学合成品のような笑顔とはまるで違う。
無邪気に目を細めて笑う雪峰は、まさしく普通の女の子だ。
「お、俺のことはいい。今は雪峰の装備の話だ。あとな」
「なぁに、師匠」
ニヤニヤしながら雪峰が小首をかしげる。
ああ、もう。
「その師匠っての、やめてくれ」
「どうして? 師匠は師匠だよ」
「俺だって、キャンプ歴五年くらいしか無いんだよ」
その前はカブスカウトに一年だけいたが……まあそれはいい。
「だから、師匠なんて呼ばれるほどの達人じゃないんだよ」
「じゃあ、学校では苗字にして、キャンプの時だけ師匠って呼ぶよ」
まあ、それなら妥協案としては納得できる、かな。
「じゃあ師匠、話の続きを」
「ちょっと待て、今はキャンプじゃないだろ」
「キャンプの話だもん」
それ世間では屁理屈っていうやつだぞ。
だが、あまりにも満面の笑みで俺を見る雪峰に、俺は何も言う気が失せてしまった。
「ね、師匠。キャンプに一番大事なことって、なぁに?」
「そんなん決まってる。つか、大前提だな」
「え?」
キャンプに一番大事なこと。
それは。
「無理をしないで安全に楽しむこと」
「えー、そんなの当たり前のことじゃん」
だが、その当たり前がなかなか難しいのだ。
「雪峰、お前の初キャンプを思い出してみろ」
「……あ」
初キャンプの夜、雪峰は自力で焚き火が出来なかった。
そして下調べや装備の不足で、寒さに凍えそうになった。
「ま、そういうことだ」
「肝に銘じます……師匠」
キャンプとは、不便や手間を楽しむレジャーだと思っている。
そして、どのくらいの不便や手間を楽しめるかは、人それぞれ違うのだ。
自分のスタイルを作るっていうのは、楽しめる範囲や限度を知ること。
その限度も、その時々の状況や心持ちによって変わる。
昔、ファイヤースターターで火を起こしていた俺は、今ではターボライターで着火している。
しかしまたファイヤースターターを使う時もあるだろう。
そんなさじ加減すら、自由なのだ。
──脳内の独り言とはいえ、少し語り過ぎたかな。
もしかしたら、俺は嬉しいのかもしれない。
同年代の人とキャンプの話をするなんて、何年ぶりだろう。
けれど、うちの高校の制服を着た女子の集団が店内に入ってくるのを見て、我に返る。
やはりこの店は、陰キャな俺には場違い過ぎる。
早々に退去すべく、俺は立ち上がりながら雪峰に言葉を投げた。
「とりあえず、見に行くか」
「えっ、えっ?」
そのまま店を出た俺は、しばし黙考する。
やっぱりまずは、基本装備だな。
「ホームセンター行くぞ」
「うん、よろしくね」
なぜか楽しげにクルリと回った雪峰の栗色の髪が、四月の風に柔らかく舞った。