92:オールカマー 実況とその後の騒動 後編
その後の経過とすると、私や他の騎手の人達が問い詰めても、日比野騎手はのらりくらりとした発言をするだけで、そのまま騎手控室から出て行こうとする。それを押し留めようと他の騎手達が出入り口に立ち塞がって険悪な雰囲気を作ります。
日比野騎手は栗東所属のフリーの騎手です。ただ、栗東に所属している騎手は他にもこの場に居るのですが、敢えて関わろうとする様子はありません。
ある意味、美浦の騎手の皆さんが此処まで怒ってくれている事に思わず感激しました。
もし、ここで抗議するのが私一人だったら、さっさと帰られていたかもしれません。
そして、私達が一触即発のような雰囲気を漂わせる中、競馬協会の人と馬見調教師が慌てた様子で現れました。恐らく誰かが連絡したのだと思います。
「そこまでです! あとは競馬協会が引き継ぎます」
「落ち着いてください。ここからは協会に任せましょう」
競馬協会の人達が日比野騎手へと視線を向け声を掛けました。
「日比野騎手、これから聞き取りをさせて頂きますので、ご同行をお願いします」
「・・・・・・判った」
周りへと視線をめぐらし、このまま此処にいるのも拙いと思ったのか、素直に同行を承諾する日比野騎手に私は驚きました。あれ程にまで私達に対して言い訳を口にしていたのに、何を考えているのでしょうか。
「鈴村騎手、今回は難儀だったな。まあこれ以上は俺達は出しゃばれんからな」
「事故が無くて良かったわ。しっかし、今回思ったが中央も地方もこういうのは変わらんなあ」
「ほんと、良くあんなコース取りしたね。後ろから見てて吃驚したわ。しかも、それで勝っちまうしな」
「それそれ、やっぱ中央のGⅠ馬は違うなって思ったわ」
地方競馬から来ていた東浦騎手と、佐賀騎手の二人が顔を見合わせて苦笑いをしていた。
そして、徐に鈴村騎手を見ると近づいて来て挨拶をする。
「いやぁ、鈴村騎手ですよね! はじめまして、名古屋競馬場所属の東浦って言います。いやぁ、女性初のGⅠ騎手、凄いですねぇ。良ければ握手してください」
「え? え? は、はあ」
東浦騎手が近寄ってきて挨拶とともに手を差し出す。
香織は戸惑いながらも握手をする為に手を出そうとすると、美浦所属の他の騎手が割り込んで来る。
「いやあ、東浦騎手、お久しぶりです。前にユニコーンステークスでご挨拶した長崎です。先日以来ですね」
「あ、長崎騎手、いま鈴村騎手と会話を」
「あ、紹介します。同じ美浦所属の志賀騎手で、先日・・・・・・」
香織は、美浦の騎手達が次々と東浦騎手に挨拶に行くのをみて驚いていた。
もしかして、地方競馬で有名な騎手なのかな? 地方所属の騎手ってあまり知らないから勉強しないと。
そんな事を思っていたら、オールカマーで2着に入ったオリバーナイトに騎乗していた騎手や、オーガブラザーに騎乗していた美浦所属の騎手達が声をかけて来たためにそちらへと意識が移る。
「しっかし、ミナミベレディーにまさか差されるとは思わなかったよ。ゴールして抜かれた馬を見て吃驚したね」
「それそれ、オーガブラザーがミナミベレディーに追い付くどころか最後の坂で差が広がったのには驚いたね」
2着に入ったオリバーナイト、3着になったオーガブラザー、前残りで頑張っていたカゴシマホマレは結局の所はハナ差の4着となっていた。
「私もそこは吃驚しているんです。スタートで出遅れたのは初めてだったので」
思わず香織は素直にそう発言してしまう。すると、周りにいた騎手達がじっと香織を見る。
「え? な、なんでしょう?」
「いや、そっか、出遅れたのか」
「なるほど、そうだったのか」
「え? え?」
みんなの反応に動揺する香織だったが、馬見調教師がこれまた苦笑を浮かべながら声を掛ける。
「さて、鈴村騎手、そろそろ表彰式も始まるだろう。急いで移動しようか」
「あ、はい! そうでした」
慌てて表彰式へと向かう鈴村騎手と馬見調教師だったが、表彰式までの短い道中で馬見調教師が香織へと先程の皆の反応の理由を教える。
「さっきのはね、ミナミベレディーはやはり最初から先行策だったと教えてあげたようなものだね。本番前に中団からの差しを試したのか、それとも出遅れたのか、彼らも興味があったんだと思うよ」
「あ! そうすると、言わない方が良かったんですね」
「まあね。でも言ったとしてもそれ程問題はないよ」
馬見調教師がそう言ってくれはするが、ミナミベレディーがどういうレースをするか最初から判っているのと、判っていないのではやっぱり違いはあると思う。そう考えると、先程の発言は思いっきり失言だと思う。
「すいません、今後は気をつけます」
「いや、今日は本当に良くやってくれた。ネクロミアに対しても、良く対応してくれた。負けても仕方が無いと思ったのだが、嬉しい誤算もあったし、まあ良しとしようか」
「あれは、ミナミベレディーも気にしてる様子だったんです。やたらと日比野騎手が此方を振り返るので、変だなって」
「うん、まあこれ以降は競馬協会に任せよう。しかし、今は映像に残るしね、何を考えたのかね。ネクロミアの関係者はこれから大騒ぎだろう」
そう言って首を傾げる馬見調教師だが、競馬協会の人と一緒にやって来たという事は、恐らくレースを見てすぐに抗議に行ってくれたのだろう。
その後、表彰式でも大南辺さんからも労いの言葉を貰い、よくミナミベレディーを守ってくれたと感謝された。
「いやあ、人馬共に怪我など無く終われてよかったよ。ネクロミアの馬主である神足さんは顔を真っ青にしてたね。すぐに謝罪に来てくれたんだが、日比野騎手とは見習いの頃からの付き合いらしい。ネクロミアは重賞はまだ勝ってないが、掲示板にはちょこちょこと載っている馬だし、主戦は日比野騎手だったそうだが」
表彰式で大南辺さんが首を傾げていた。聞いている限りにおいて、馬主の神足氏が今回の騒動に関与しているような雰囲気はないらしい。
「ネクロミアは5歳だが、この先も怪我が無い限り走らせるつもりでいたそうだが、ダークなイメージが付くと困ると顔を青くしていたね」
その後、ネクロミアを預かっている栗東の西澤調教師の助手が表彰式を終えるのを待っていて、謝罪にやって来た。本来は西澤調教師自身がやって来るところだが、現在競馬協会からの聞き取りを受けている為に来れず、調教助手がまずは謝罪に訪れたとの事だった。
「この度は、申し訳ありませんでした。競馬協会には全面的に協力をして原因を解明していきます。また、後日改めて西澤が謝罪にお邪魔させていただきます」
そう言って頭を下げる調教助手も、特に何か問題のありそうな人物では無さそうに見える。
香織は、後の事を馬見調教師に任せて、ミナミベレディーと共に美浦へと戻る準備をするのだった。
◆◆◆
競馬協会では、緊急会議が行われていた。
「今日のレース映像は一通り御覧になったと思います。また、パトロールカメラの映像でも明らかに故意に馬を外へと膨らまそうとする手綱さばきをしています」
幾度となく映像は繰り返し確認された。
そして、一部で指摘のあった通りミナミベレディーが最後の直線で大きく遅れた所で、日比野騎手が小さく拳を握りしめている様子も確認できた。
「テレビを見ていた視聴者からも抗議の電話が殺到している。早期に事態の収拾を図らないといかん」
「それで? 肝心の日比野騎手は何と言っているんだ?」
「ミナミベレディーのロングスパートを封じようとしていた事は認めました。ただ、最後のコーナーでの挙動は故意ではなく、内に居ると思ったミナミベレディーが外でスパートを掛けていた為に動揺して手綱捌きを誤ったとの事です」
映像で確認した所、確かに内に居ると思ったミナミベレディーを見失い、外からスパートを掛けて来たミナミベレディーに驚いた様子が映っている。しかし、その後の手綱捌きは決して故意では無かったとの言葉を信じる事は出来ない。
「どう見ても馬を大きく外へ振ろうとしていますね」
「ミナミベレディーがコーナーに沿ってスパートをしていたなら、確実に接触していたな」
「それどころか、落馬や転倒などしていれば後続も巻き込まれた可能性が高い。これは許される事ではない」
複数の馬が巻き込まれての事故など、とてもではないが考えたくない事案だ。ましてや、今回巻き込まれかけた馬は牝馬でありながら天皇賞春秋制覇する可能性の高いミナミベレディーだ。
競馬協会としては、競馬人気の復活も狙って秋の天皇賞に向けて大々的にコマーシャルまで打つ予定をしていた。併せて、桜花賞を姉妹揃って制覇、奇跡の血統などと大々的にテレビ番組が組まれている最中だ。
「しかし、出来れば大事にしたくないのだが、せっかく、ミナミベレディーやサクラヒヨリ、タンポポチャなどの御蔭で少しずつではあるが競馬人気も回復してきている。今此処で競馬に悪いイメージをつけたくない」
「ネクロミアの馬主である神足氏の聞き取りの感じでは、おそらく神足氏の関与は無さそうです。ハッキリ言って神足氏のメリットがあまりに無さすぎます」
「確かになあ、推測でものを言ってはいかんのだろうが、過去の事例でいくと金が絡んでいるんだろう。今回は圧倒的な1番人気になったミナミベレディーが飛べば馬券の金額も凄いことになるだろう。闇賭博などであればそれこそな」
「有賀さん、想像でものを言われては困りますよ」
「とにかく、我々の中で決められる処分としては騎手免許無期限停止かな」
「さて、今回は幸いにして鈴村騎手の好判断で事故にはなりませんでした。そうなると厳しすぎるのでは?」
「ここで軽くしては第二、第三の同様の事件が起きかねん」
「それはそれとして、警察に依頼する方向で?」
「致し方あるまい。我々には捜査権などないからな。金の動きを追うなど出来ない」
「まったく、余計なことをしてくれる」
会議室に集まった面々は、基本方針を定めながらも上へとお伺いを立てる為の資料作成に入るのだった。
とりあえず、後は後日どうなったかが語られる感じかな?
何とか今までの全体の雰囲気を壊すことなく次へと言うことで、鈴村騎手の恋愛フラグを。
ただ、鈴村さんが此処で美浦の騎手を意識する・・・・・・無いかなぁ?
・・・・・・無さそうですねぇ。
頑張れ、美浦所属の男性騎手!




