86:サクラヒヨリと紫苑ステークス前
美浦トレーニングセンターへ帰ってきて、また調教の日々が始まりました。
私のレースは少し先で、その前にヒヨリが昨年の私と同じ紫苑ステークスに出走するみたいで、フィナーレちゃんはどうやら10月頃の新馬戦を目標にしているみたいですね。
う~んと、確か他のお馬さんにぶつけられたレースでしたよね? 何となくですが覚えていますよ?
という事で、ヒヨリに色々と注意をしてあげようと思ったんですが、調教中はさすがに会話の機会が無いのです。それでも、時間はどんどんと過ぎていって、どうやらヒヨリのレースが近くなってきたみたい?
今日は鈴村さんが私ではなくて、ヒヨリに乗ってコースを走りました。
美浦トレーニングセンターのコースでヒヨリの追い切りタイムを計るんだそうです。ちなみに何故か私もご一緒に走りましたよ。
「うん、ヒヨリの調子も悪くないね。これなら勝ち負けはいけそう」
「キュフフフン」
「ブルルルン」(ヒヨリ、頑張るんだよ!)
ヒヨリもヤル気に溢れています。ただ、あとは怪我をしないかだけ気をつけないとです。
私もヒヨリも桜花ちゃんの名前のレースに勝てたおかげで、お肉になる運命からはどうやら抜け出したみたい? あとは怪我だけには十分に気をつければ、幸せな老後がまっているのかな?
「ブヒヒヒン」(怪我には気をつけるのですよ?)
「キュフン」
ただ、そう考えると昔のように何としてでも勝たないとと言うような、危機感みたいなのはなくなっちゃうんです。逆に無理しないように、怪我しないようにって思っちゃうんですよね。これもお馬さんだとタブンない感情ですよね?
「ブフフフン」(でも、そう考えると不味いのでしょうか?)
いくら成績が良くても、走らなくなったらお肉にされちゃうんでしょうか? 競馬って良く考えたら賭け事ですよね? そう考えると負けてばかりいると駄目っぽい?
「ブルルルン」(お肉はもう無いよね?)
ヒヨリから下馬した鈴村さんに顔を突き出して尋ねました。
「あ、べレディー、大丈夫、あとで騎乗してあげるからね」
「やっぱりベレディーでも嫉妬するんですね」
私に騎乗していたおじさんがそんな事を言います。鈴村さんも何か見当違いのお返事です。
「ブヒヒヒン」(違うのよ? お肉が嫌なのよ?)
「うん、ベレディーは可愛いね」
駄目ですね。言葉が通じていませんね。あと、私は可愛いのですよ?
何となく褒められたので尻尾をぶんぶんさせます。
「キュヒヒン」
何故かヒヨリが拗ねて私の首をカプッとしようとしてきます。何か混沌としてきちゃいました。
◆◆◆
紫苑ステークスへ向けての前週の追い切りでも、先程の最後の追い切りでも、サクラヒヨリはまずまずのタイムを出してくれた。
実際のところ放牧から帰ってきたサクラヒヨリは、このままレースへ出しても問題ないのではと思えるくらいに状態は良く、今もその状態を維持していた。当初は逆にピークをどこへ合わせて調教すれば良いのか、肝心の秋華賞までこのピークは維持できるのかと不安もあった。
もっとも、その不安はミナミベレディーと合同の調教によって問題なく維持できている。
「3歳の後半になって馬体も更に仕上がってきてるな。放牧明けという事で精神面の方で若干不安もあったが、どうやら問題なさそうだ」
「出走メンバーも予想通りです。特にサイキハツラツとスプリングヒナノがいないのは助かりますね」
最近の傾向でもある栗東トレーニングセンターに所属している有力馬は、阪神競馬場で行われるローズステークスに出走する。この為、中山で開催される紫苑ステークスにはサクラヒヨリに対抗する有力馬は桜花賞で3着に入ったピスタチオラテくらいだろう。スプリングヒナノも、サイキハツラツもローズステークスに出走登録をしていた。
「本番に向けてここで確実に1勝を積み上げたいからな」
「そうですね、まあそれでも昨年のミナミベレディーのような事もありますから」
「怖いことを言うなよ、油断はできないが幸いにも天気も良さそうだしな、そうそうアクシデントもないだろう」
武藤調教師は苦笑を浮かべて助手を見る。先程の追い切りをもとにこの後に鈴村騎手と打ち合わせを予定しているのだ。
なんと言っても今週末に行われるレースで弾みをつけたいのは、厩舎も騎手も同じ思いだった。
「先行策は決まりとして、問題は枠順ですね。8番と微妙な位置になりましたね」
今年の紫苑ステークスは16頭で争われる。そして、サクラヒヨリは8番、先行するには若干厳しい位置取りだった。
「そういえば昨年のミナミベレディーも8番だったな・・・・・・」
「ちょっと先生、やめてくださいよ」
二人の間に微妙な空気が流れる。
勝ち負けなどを商売とする人達は、割とジンクスを信じたりする。ゲンを担ぐ人も多い。それ故に何となく姉妹で同じレース、同じ番号となると若干の不安を覚えずにはいられなかった。
そんな二人の微妙な空気を破ってくれたのは、サクラヒヨリに調教をつけ終わり報告に来た鈴村騎手だった。
「武藤先生、サクラヒヨリは絶好調ですね。今週も期待できますよ?」
厩舎に入り微妙な空気を感じた鈴村騎手が首を傾げる。しかし、武藤調教師はすぐに表情を改めて、レースの打ち合わせに入るのだった。
◆◆◆
紫苑ステークス当日、桜川はレースが中山競馬場ということもあって久しぶりに子供達を連れて競馬場へと足を運んでいた。
この後にサクラヒヨリが走る予定のレースは、秋華賞もエリザベス女王杯もともに京都競馬場となるため、なかなか子供を連れて行くには大変なのだ。その為、この中山で行われる紫苑ステークスに連れてきたのだが、下の娘は実際の馬よりも買ってもらった馬のヌイグルミにご満悦だった。
「お馬さん可愛い!」
それを微笑ましく見ている妻、ただ桜川はその馬のヌイグルミを見て若干複雑な表情を浮かべていた。
なぜそれを選んだ、娘よ!
実際に馬の違いは色くらいしかないのだが、そこに付けられているゼッケンで名前がわかるようになっていた。そして、娘が選んだのは綺麗な茶色の馬、タンポポチャのヌイグルミだった。
一応、桜川としては売られていたミナミベレディーのヌイグルミを勧めたのだが、若干濃い焦げ茶色のミナミベレディーのヌイグルミはお気に召さなかったようで、また春の桜花賞を勝ったサクラヒヨリのヌイグルミはまだ売られていなかった。
そんな一幕も、息子に手を取られて連れて行かれたパドックで、家族みんなでサクラヒヨリが出てくるのを待っていた。
「お父さん、そういえば、前のお姉ちゃんは今日は来ないの?」
「ん? 前のお姉ちゃん・・・・・・」
「うん、ほら、春に来ていたお姉ちゃん」
「ああ、北川さん所の娘さんかな?」
子供たちにとって、どちらかというと馬のレースよりも北川牧場の賑やかな娘さんの方が記憶に強く残ったようだった。夏休みには子供達を連れて北川牧場へ遊びに行ったのも大きいだろう。
「うん、僕、あのお姉ちゃん大好き!」
「あたしも! あたしも好き~」
兄に張り合うように言う娘を笑いながら、そういえば夏休みには子供達と都会では出来ない遊びなどで色々とお世話になったなあと思い出した。
「残念だけど、桜花お姉ちゃんは学校があるから来れないのよ。またお休みのときに遊びに行きましょうね」
妻の言葉に子供たちは大きく頷くのだった。
そして、そうこうしている内にパドックには引き綱を引かれてサクラヒヨリがやって来てパドックを回り始める。艶のあるしっかりした様子に安堵しながら、子供達にサクラヒヨリを指差して教える。
「ほら、あのお馬さんがお父さんのお馬さんだよ。覚えているかな?」
「覚えてるよ!」
「おぼえてる~」
下の子供は実際に覚えているかは怪しいところだが、息子はしっかりとサクラヒヨリを覚えていたようだった。その後、鈴村騎手が現れ、本馬場へと馬が移動するのに合わせて、桜川は家族を連れて馬主席へと移動するのだった。
昨日は申し訳ありませんでした><
活動報告には、出先から慌てて書いたのですが、家に帰る時間が大幅に遅れて更新が出来ませんでした。代わりに日曜日ですが、更新させていただきます。
更新って止めちゃうと書くのが一気に遅くなりそうな恐怖感があって、何とか更新しないとという思いで続いてたりするんですよねぇ・・・
あれ? ま、まるでトッコの馬肉恐怖症のような・・・




