76:宝塚記念 前編
タンポポチャさんを送り出して、次は姪っ子が来るのかなと楽しみにしていたんですが、残念ながら今月末のレースに向けての追い込みで会えませんでした。
そういえば、タンポポチャさんは無事に安田記念を勝ったみたいです。グレードが落ちたらハンディが増えるそうですし、牡馬もいるしで簡単では無かったと思うのですが、勝てて良かったですね。
ついでに、金鯱賞で私が負けたトカチマジックさんが2着だったそうです。うん、タンポポチャさんがかたき討ちをしてくれたと思いましょう。
話は戻って、北川牧場で前に放牧した時もそうですが、デビュー前の2歳馬と、レース追い込み時期の私とでは練習量が違うので見送りになったみたいです。もしかするとレース後の北川牧場での放牧時に会えるかもしれません。
でも、デビュー前だと北川牧場での放牧は無いのかな?
そこら辺は良く判らないのですが、最近はまた鈴村さんと映像を見てのお勉強も復活しました。
「ブフフフン」(婚活はいいの?)
「ん? ベレディーどうしたの?」
一緒に映像を見ていて、そういえば鈴村さんは平日の夜に私と映像を見ていて良いのだろうかと疑問に思います。土日はだいたいレースで競馬場に缶詰らしいので、そうなると平日しか時間が無いと思うのです。
競馬ってシーズンオフが無いんですよね? 騎手の人ってお休みどうしているのでしょう? もしかすると結構ブラックなのかな?
普段空いている平日は、私の調教に付き合ってくれますし、夜は一緒に映像でお勉強。土日は競馬場でレースですか。うん、結婚は厳しそうですね。
私の憐れみの眼差しを受けながらも、鈴村さんはせっせと過去の宝塚記念の映像を再生します。
「こうしてみると、重馬場は滅多にないわね。稍重と良が半分半分かな? 今年がどうなるかはまだわからないけど、良馬場になって欲しいね」
「ブヒヒーン」(良馬場が良いよね)
流石に天候までは何ともなりません。どうせなら競馬場も野球みたいにドームとかにすれば良いんじゃないかな?
レースが来週末に迫っている中で、天気予報は曇りのち雨みたいです。ただ、その雨が前後にズレるのは良くある事なので、実際にはまだ確定では無いのです。
「台風が発生していないから、悪くて稍重だと思うんだけど」
結局の所、雨の日の走りはまったく、これっぽっちも改善しませんでした。
鈴村さんも、おじさん達も諦めましたね! 別にワザとじゃ無いんですよ? ただ、どうしても恐怖心を拭い去る事が出来なかったんです。せっかく馬肉になる運命から回避出来たっぽいのです。ここで怪我で薬殺処分は嫌なんです!
晴れた日は気分よく走れるんですよ。多少疲れても頑張ります! だから私は晴れの日のみ頑張ってもいいよね?
そんな思いで鈴村さんの話を聞いています。
「ベレディー、今までの傾向だと先行馬、先行差し馬が有利なんだよ。スタート直後から下りで速度が付きやすいから、良馬場だと特に速くなると思う。そこから・・・・・・」
う~ん、説明を聞いていると、最後の坂が厄介なのかな? ただ先行馬が有利みたいだけど、牡馬と一緒だとどうなるか判らないです。ただ、金鯱賞では周りを囲まれてスパートできず、その後直線で頑張ったけどあっさり抜かれちゃった。今度は、あんな事が無いように注意しないとだけど、どうすれば良いのでしょう?
やっぱり先頭に立つくらいが良いのかな? 先日の天皇賞はずっと先頭だったもんね。
最悪は周りを囲まれる事なんだと思います。それでも、芝2200mって多分思っているより距離は長いよね。
先日の持久走よりはそれでも短いから持久力が持つかな? それでも、宝塚記念の説明を見ていると持久力勝負みたいな事が書かれているみたいです。持久力勝負ですか、嫌な言葉ですね。
その後もいくつかのレースを見たというか、実況を聞きました。
ただ、やはり雨の日では様子が違うみたいです。
「ブフフン」(晴れると良いなぁ)
馬房の窓から空を見上げちゃいました。
◆◆◆
どんよりとした雲が阪神競馬場の空を覆っています。
土曜日に栗東トレーニングセンターへ移動した私ですが、残念な事にタンポポチャさんは既に放牧に出されていてお会いできませんでした。
久しぶりに会えるかなと楽しみにしていたんですが、ちょっとしょぼんとしちゃいます。
「今の所は何とか、あと少し天気が持ってくれないか」
私の引綱を持ってパドックを周る調教師のおじさんと、二人で再度空を見上げます。
「ブフフン」(持つかなぁ)
空の天気と同じ様に、何となく私の気分も盛り上がりませんよ。今週ずっとお空と睨めっこしてましたし、最後の最後までお空と睨めっこです。
パドックをちょっと気落ちしながらトコトコ歩いていると、パドックの周囲に私の応援横断幕があるのに気が付きました。
「ブフン」(あれ?)
桜花ちゃんは来られないと聞いていたので横断幕があるとは思っていませんでした。
そんな中、掲げられた横断幕に思わず注視しちゃいます。
「わぁ、こっち見たよ! トッコちゃん頑張ってね~! 桜花ちゃんの代わりに応援に来たよ~!」
心なしか声を抑えて、小さな声で声援を送ってくれる人を見ます・・・・・・えっと、誰ですか?
何か見た事があるような無い様な? う~んと、会った事がある・・・・・・気もする?
その周りにテレビの人達もいるから、テレビの人かな? そういえば天皇賞の時に見たような気もします。でも、桜花ちゃんと親しいのか、トッコと呼んでくれるのは何か嬉しいです!
「ブヒヒーン」(桜花ちゃんのお友達?)
「桜花ちゃんの為にも頑張って~~~」
うん、何か応援を聞いていると少しやる気が出て来ました。
そうですね、桜花ちゃんの為にも頑張らないとです!
ブンブンと頭を振って気合を入れ直します。
雨の日や雨が降りそうだと気分がドヨンとして、気持ちが引き摺られて駄目ですね。
◆◆◆
パドックへと来ると、ベレディーが珍しく首をブンブンと振っていました。
普段は大人しいベレディーからすると、珍しい挙動でちょっと目を見張りますが、近づくといつもと左程変わらない様子にホッとします。
「ベレディー、今日も頑張ろうね」
「ブフフン」(うん、頑張る)
いつもの様にベレディーが返事を返してくれ、鼻先を撫でてからベレディーに騎乗しました。
「うん、ベレディーいい感じだね」
「ブフフン」(うん、たぶん?)
何となく今一つな感じがちょっと不安なベレディーだけど、空をちょこちょこ見るので恐らく雨が降るのが嫌なんだろう。
「鈴村騎手、頼むぞ」
「はい、全力を尽くします」
本場場へと入る手前で掛けられた馬見調教師の言葉に、私は返事をして返し馬に入る。
そして、ゲート前ではヒヨリとは違い、ベレディーは他の馬を見る余裕もあるのかチラチラと周りを見ている。何となく牡馬がいる事が気になる様子だった。
「ベレディー、大丈夫だよ。牡馬の方がベレディーの視線にソワソワしているよ」
そう告げて首をトントンと叩く。
「ブヒヒン」(牡馬はごついね)
ベレディーの返事は、特に気負った様子がしない。
ただ、何時もはベレディーが私の心配をして、私が大丈夫だよと答える。それが今日は何となく逆転しているのが楽しいかな。
ファンファーレが鳴り響く。
いつもと違い観客席に近い位置でのスタートに、手拍子や歓声がより大きく感じた。そんな中で、何となくベレディーはその手拍子を楽しんでいるような感じすらするのが頼もしいね。
「さあ、ゲート入りだよ」
「ブヒン」(うん)
ゲートに入り、他の馬が順番に枠に入っていくのを確認する。
「最後の馬が入ったよ」
これも何時もの様にベレディーへと告げると、ベレディーがスタートの態勢に入ったのが解った。
ガシャン!
大きな音と共にゲートが開く。そして、ベレディーは勢い良くゲートから飛び出す。
「ナイススタートだよ!」
ベレディーへとそう声を掛ける。
スタート直後は緩やかな下りの直線で先行争いが始まる。好スタートを切ったミナミベレディーは枠順も有り先頭に立つ。しかし、外枠の馬達も次第に前へと進め、先頭争いはこれからだった。
「この先は上りになるから注意だよ」
私はベレディーに判るかはともかく、自分の頭を整理する為にも注意点を口にするのがベレディーとのレースでは癖になっていた。
そんな中、外から一気に前を窺う勢いで駆けて来る馬がいる。
宝塚記念は今始まったばかりだった。




