48:鈴村騎手とサクラヒヨリ
香織は美浦トレセンへ今週の騎乗予定の馬の調教へとやって来た。
ここ最近はメディアに多少は顔が売れてしまった為、休みの日であろうと美浦トレセンへ来るのが常態化しており、来たなら騎乗予定の馬の調教を手伝うのが日常になっている。
そして、美浦トレセンへと来るなら最低1回は馬見厩舎にも顔を出す。中々ベレディーが放牧されている牧場まで足を延ばすのは大変で、ベレディーの日々の様子を聞く事が日課となっていた。
そんな香織がいつもの様に馬見厩舎へと訪れると、珍しい人達が馬見調教師と面談している所に出くわしたのだった。
「おお、丁度良い、鈴村騎手ちょっと来てもらえるか」
香織の姿を見つけた馬見調教師に手招きされ、事務所の中へと招き入れられる。
「おはようございます。あと、武藤先生、桜川さんご無沙汰しております」
この集まりの理由が良く判らず、内心首を傾げながら香織は挨拶をする。もっとも、武藤調教師との接点はほぼ無く、桜川の持ち馬に騎乗した事が無い香織は、あくまで面識があるだけで二人と特に親しい訳では無い。
「いや実はな、先日満を持して京都2歳ステークスを走らせたんだがサクラヒヨリが11頭立てで10着だったんだが知ってるか?」
「え? あ、いえ。すいません知りませんでした。ただ、11月頭の百日草を勝ったと聞いていますが、もうレースに出たのですか?」
サクラヒヨリの事はベレディーの全妹という事で知っている。ただ、そこまでレースを気にしているかというと、特にお手馬という訳でもない為にチェックまではしていなかった。
「うん、まあ状態は悪くなかったんでね。疲れもすぐ取れたし、出来れば早々に3勝して放牧したかったんだが。まあミナミベレディーの活躍でちょっと焦ったというのも無くはない」
そう言って苦笑する武藤調教師と桜川を見ながら、恐らくは春のGⅠ戦線を意識したのだろうと予想は出来た。何せベレディーは桜花賞馬だ。勝てないにしろ出走させてみたいと思っても可笑しくはない。
「まぁ結果は惨敗だったんですがね。6番だから先行するにも悪い枠順でもない。勝てないにしろ掲示板は期待していたんだが」
武藤調教師の話を聞きながら、香織はそういえば先日の週末は雨だったなぁと思い当たった。
ベレディーは幸い晴女だと馬見厩舎で言われるくらいに雨でのレースが無い。唯一あった2歳牝馬優駿も、小雨くらいであった。それに対し先週末は稍重どころか思いっきり重で、あれではベレディーも惨敗しただろうなと香織は思ったが、敢えてベレディーの弱点を教える事も無いと黙っている。
「一応、鷹騎手にお願いしていたんだが、鷹騎手が騎乗する2歳牝馬カゼノモウシゴがオープン馬になったからね、今後は騎乗が難しくなるって言われたんだよ。謝っていたけど彼は栗東所属の騎手だし、あっちを優先するのは仕方が無い。百日草を勝ってくれた事で満足するしかないね」
そう言って溜息を吐く桜川を見て、香織は何か話の流れがおかしな方向に進んでいるのを感じた。
「まあ、サクラヒヨリはまだ幼いがGⅢなら勝てると思っている。全姉のミナミベレディーに良く似ているからね。上手くすればそれ以上と夢を見たんだが、思った以上に難しい馬でね」
武藤調教師の愚痴のような説明を聞きながら、何となく話の展開が読めてきた香織だった。
「あの、という事は私に騎乗依頼という事で宜しいのですか?」
「うん、お願いできるかな? まだ次走は決めて無いからミナミベレディーと日程が被ったら当たり前だけどミナミベレディーを優先して貰って構わない。こちらも出来るだけ日程は調整する。ああ、あとサクラヒヨリは今はミナミベレディーと同じ牧場に放牧に出した」
「え? ベレディーと同じ牧場にですか?」
「うん、少しでも良い影響を受けてくれないか、少しでも運を分けて貰えないかとね。武藤さんと話してて、まあゲン担ぎみたいなもんだね」
桜川の表情を見て、まあ嘘では無いんだなと思っている。それに、桜川は北川牧場の常連とも聞いているし、ミナミベレディーの母馬のサクラハキレイも桜川の所有馬だった。
「判りました。今週は無理ですが、来週なら牧場に顔を出せると思いますのでその際にちょっと乗ってみようと思います。あ、あともしもですが、ベレディーが嫉妬したらお断りするかもしれません。あの子は大らかですから無いとは思いますが」
馬は意外と嫉妬したりする事がある。特に自分のお気に入りの人間が他の馬に構っていると機嫌を損ね言う事を聞いてくれなくなったりする。
割と冗談ではなくベレディーが嫌がるなら断ろうと思うが、ベレディーが他の馬に嫉妬する様子が思い・・・・・・浮かばなくもないかな?
「あの子は結構何って言うか幼い所があって、他の馬をパドックで挑発してみたりと読めない所があるんです。ですから、一応そこは了承をいただきたいです」
「そうだな、ベレディーは変な所に拘りそうだしな」
馬見調教師も香織の意見に同意する。
「勿論それで構いません。北川さんに聞いたところ、ミナミベレディーは面倒見が良い馬だそうですし、牧場でもよく仔馬の世話をしていたそうですから。大丈夫だとは思いますが、もしそうなったら諦めますよ」
桜川はそう言ってサクラヒヨリの騎乗を香織へと依頼するのだった。
翌週、香織はベレディーが放牧されている栃木県の牧場までやって来た。
そして、ベレディーとサクラヒヨリが仲良く連れ立って牧場を駆けまわっているのを見て驚きの声を上げたのだった。
「え? ベレディーと一緒の馬ってサクラヒヨリ? 何か走り方がベレディーに似てきてる」
サクラヒヨリに騎乗する事となり、香織は前走5回分の映像を確認していた。
その内、勝った未勝利戦はまさに先行逃げ切り勝ちであり出走メンバーを見てもサクラヒヨリが頭一つ能力的に抜け出ている感じがした。ただ、新馬戦は粘り負け、3戦目は先行できず馬群に包まれての惨敗。4戦目は先行しての粘り勝ち、そして問題の5戦目は雨の日で最初から集中力に欠け、これも馬群に沈んでの惨敗だった。
そんなサクラヒヨリの変化に驚く香織に気が付いたベレディーが、嘶いて私の方へとサクラヒヨリを連れてやって来る。
「えっと、ベレディー、こっちはサクラヒヨリよね? ベレディーに似てるね」
ベレディーにそんな事を言いながらもサクラヒヨリの様子を確認すると、明らかにベレディーに甘えているのが判る。ベレディーもこの全妹を気にしている様子を見せる為、一応サクラヒヨリに乗る旨を説明した。
「知らない人がいたら馬鹿な事をしているなって見られるんだろうな」
そんな事を思いながら、とにかくまずはサクラヒヨリに騎乗して様子を見てみない事にはと、香織は騎乗する為の馬装をする牧場の装鞍場へ連れて行くのだった。
そして、軽く並足で牧場を走ってみるが、反応は悪くはない。なだらかな丘を上がる時には先程見た小さなステップを刻む事で速度を維持しようとする。
「映像では明らかにストライド走法だし、昔のベレディーを見ている感じだったんだけど、坂を登る感じはストライド走法からのピッチ走法に近いわね」
ベレディーと仲良く駆けていた様子は、どちらかというとレースを想定したような走りに思える。もっとも、ベレディーが明らかにそういった走りをしながらサクラヒヨリにレースを教えている様に見えて来た。
「・・・・・・うん、深く考えるのは止めよう」
答えの出るものでは無いし、手応えは想定していた以上に悪くはない。これであれば天候さえ味方に付ければ勝負になる。
「最大の問題は天候なんだよね。雨だとなんともならないからなぁ」
実際の調教は美浦へ戻ってからになるが、サクラヒヨリ自体はひいき目に見ても悪くはない。それこそ、GⅢは問題なく行けるんじゃないかと思わせてくれる。もっとも、まだ碌にコースすら走っていないので、思いっきりベレディー馬鹿視点であるのだが。
「うん、これから宜しくね。次のレースは私が乗るからね」
軽く牧場内を駈けた後、馬体を洗ってあげながら香織はサクラヒヨリに優しく声を掛けるのだった。
「キュヒヒーン」
そして、その後に遠くでベレディーの嘶きが聞こえてきた香織は、慌てて氷砂糖を持ってベレディーの下へと向かうのだった。流石に放置したまんまではベレディーのご機嫌を損ねかねない。
「まあ、あの子は氷砂糖をあげれば大体許してくれるから」
付き合いが長い故の本音が、思わず口に出る香織だった。
ご指摘いただいてオリエンタル賞が3歳以上のレースだった為訂正いたしました。
あぅ、何気に手ごろな2歳レースが無いのでGⅢ初挑戦、しかも遠征になっちゃった><




