3:育成牧場へお引越し!
翌週、馬運車と呼ばれるお馬さんを運ぶ車に乗せられて、牧場を後にしました。
牧場のおじさんや桜花ちゃん、厩務員の人達とみんな総出でお見送りしてくれます。ちなみに、同期のお馬さんでは私が最速みたいです。
「頑張って来るんだぞ~~~」
「怪我だけは注意してね~~」
「しっかり走るんだぞ~~、集中して走るんだぞ~~」
走り出す馬運車に、みんなの声が聞こえて来ます。ただ、誰もグレード何たらを勝てとか、桜花賞を目指せとか、そういう声が聞こえないのは何故でしょう? 私的には桜花ちゃんの名前が付いたその賞は出来れば勝ってみたいなあと思っているのですが。
私が引退するまでに何とか勝てないものでしょうか? どうもグレードが一番高い賞みたいなので厳しいかな? ともかく、牧場には年に一回か二回は帰れるそうなので、それが楽しみです。
「ブルルルン」(やっと到着しましたか?)
馬運車に設置されていた飼葉桶もとっくに空になっていますよ。
空調完備で居心地は悪くは無いのでしょうが、ただ車に揺られての移動は結構ストレスが溜まりますね。
ガタゴトと音がして、漸く馬運車の後ろが開きました。
「ミナミベレディーの調子はどうだ? 初めての長距離移動だろ」
「移動を苦にした感じは無いですね、途中でも何度か確認しましたがケロッとしてますよ」
んっと、ミナミべレディーって私の事でしょうか? 何かパッとしない名前ですね。
どうせならカワイイとかキレイナとか、そこら辺が良かったです。そもそも愛称とか付け辛い名前ですよね。愛称は人気を出す為には必要なんですよ?
その後、ここでの滞在先になる厩舎へと連れていかれました。
凄い数の馬の姿が見られるので吃驚です。厩舎の数も想像していた以上の数で、まるで長屋がずらっと並んでいるみたいです。
「おお、この馬がサクラハキレイの仔馬ですか、悪くないじゃ無いですか。以前お預かりしていた全姉のヒダマリガンバレも良い馬でした。姉妹だけあって何処となく似ていますね」
ん? あ、ご主人様と知らないおじさんがやって来ました。
「そうでしょ? サクラハキレイの産駒牝馬は今までに4頭いますが、2頭が中山牝馬GⅢを勝っていますし、この馬も期待できるんじゃないかと。売れ残っていたと聞いて衝動買いしましたよ」
ご主人様がご機嫌で知らないおじさんと話をしています。
「ああ、牝馬なら期待できますね。サクラハキレイの産駒はなぜか中山牝馬しか勝ちませんが。牡馬は全然ダメですが、牝馬はそこそこ走りますから、良く売れ残ってましたね」
「ええ、北川さんに聞いたところ、幼駒の頃には余り走るのが上手くなかったらしく、変な走り方をしてたらしいんです。それを見た他の馬主さん達はみんな購入を躊躇ったそうです」
「ふむ、変な走り方ですか、気になりますね」
近づいて来た知らないおじさんは、私の足元を触ったり、お尻を触ったりとそこら中触りまくります。
馬でなければ通報物ですね! まだ少女の領域ですよ私は。ともかく、一通り触診したあと安堵の溜息を吐いていました。
その間にも厩務員さんがやってきて、今度は私を連れて厩舎の方へと移動していきます。
むぅ、変な印象を持ってほしくないのですが、仕方が無いですね。素直に移動しましょう。
「走り方というか嬉しいと踊るんですよ。ぴょんぴょんと跳ねる様にですね。流石にニンジンだとそこまでではありませんがね。角砂糖やリンゴ何かを貰うと大喜びで、本当にかわいい馬なんで思わず会う時には角砂糖を常備してたりしてね。まあ北川さん曰く、それ以前も色々あったそうですがね」
そう言って笑う大南辺に馬見調教師も苦笑を浮かべる。
「まだ1歳ですから無理をさせずにやってみますよ。出来れば来年の6月デビューで、ライバルが少ないうちに2歳GⅢあたりを取れればいいですね」
「気性は人懐っこく大人しい馬なのでレースが不安と言えば不安なのですが、馬見調教師宜しくお願いします」
「大人しい馬は確かにレースで気合負けする事もありますね。臆病という訳ではないので、あとは私達の腕次第ですか。責任重大ですな」
そう言って笑う馬見調教師は、育成牧場での育成指示をする為に厩舎へと足早に歩いていきます。
「おや、先生、お早いですね」
馬見調教師が厩舎へと着くと、依頼していた獣医である石井獣医がミナミベレディーの診察を行っているのに驚いた。
「おお、いやなに、他の馬の診察した後にこの馬に絡まれてな、人懐っこい仔馬だなあ。ついでに一通り見てみたが悪い所はない。まだまだ成長途中だがこの時期で見ると良い感じじゃないか?」
「ブルルルン」(だよね! 良い感じだよね!)
褒められて嬉しくなってこの先生をベロンベロン舐めます。
「おおお、本当に人懐っこいなあ」
何処となく消毒液とかの香りもしたし、お医者さんだよね? 病気や怪我は怖いので、お医者さんと仲良くなっておくに越したことはないのです。
「今日来たばかりのまだ一歳馬ですよ。大南辺さんの所有馬でミナミベレディー、サクラハキレイの産駒ですね」
「ほお、サクラハキレイの産駒牝馬か、なら期待できそうだな」
「まあ中山牝馬は勝ってくれそうですね」
先生達は笑っていますけど、中山牝馬って勝ちやすいのかな? なら頑張って勝ちたいです。お肉になるのは嫌なのです! とにかく、頑張って訓練します。訓練は裏切らないって誰かが言ってましたよね。
そして、調教牧場での日々は鞍乗せから始まって、騎乗しての練習やら、馴致というのをさせられて、ただ初めて鞭を使った調教をされた時には思わず吃驚して前に走らず飛び上がっちゃいました。
何か嫌な物持ってるなあと気が付いていたんだけど、まさか走っている途中でお尻を鞭で打たれるとは思いもしなかったです。ピョコピョコした変な走り方になっちゃうのも仕方が無いですよね?
「鞍乗せもハミも、それこそゲートすら問題が無かったのですが、追い切りで鞭使うと変な走りになります。吃驚して上に撥ねるみたいで、危うく落馬しかけました」
馬見調教師は、ミナミベレディーの調教を任せている助手からの報告に思わず首を傾げた。未だかつて鞭を入れて上に飛び上がった馬など見た事が無い。
「良く判らんがとりあえず見に行く」
そして、調教をつけてくれている若手騎手の騎乗を見ながら、この時点でのミナミベレディーを見て手ごたえを感じていた・・・・・・鞭を使うまでは。
「何だあれは?」
「恐らく、鞭を使われたことが無いんだと思いますが」
「う~む、もともとミナミベレディーは変な走り方をする馬だったらしいからなあ、今でもぴょんぴょんダンスはするんだろ?」
「ええ、嬉しい時はそれはもう」
馬見調教師はその後もしばらくミナミべレディーの走りを見て、一つの決断をする。
「あの馬は賢いからな、スパートの指示を出すのに手鞭で首の辺りを叩くようにしてみるか。尻を叩かれることに違和感を感じるのかもしれん」
「はあ、肩鞭や見せ鞭とかでなくですか?」
「とりあえずやって様子を見よう」
腕を組んで見ていた馬見調教師は、ミナミベレディーに乗る騎手へこっちへと来るように指示を出す。
「鞭を使わず首に手鞭で指示を出すようにしてくれ。手鞭の後は全力疾走する様に手綱を扱くなどで指示の意味を教えて欲しい」
「ブルルルルン」(手鞭ってなに? 首をトントンされたら全力で走るの?)
どうやら先程の鞭は全力で走れと言う指示だったみたいです。でも、痛いよ? あと私のせっかくの綺麗なお尻に跡が出来たらどうするの? トッコさんはちょっとお怒りですよ?
「ブヒヒン!」(お怒りなのですよ?)
一応、こういう事はちゃんと抗議をしておかないとだと思います。玉のようなお肌なのです。
「やはり鞭は嫌いなようだ。まあ好きな馬はいないだろうがね」
「判りました、とりあえず言われたようにやってみます」
鞍上の騎手が再度コースへと戻り手鞭で指示を出すと、ミナミべレディーは一気に加速を始める。
「ふむ、まるで人の言葉が判るようだ。さっきの説明で理解した訳ではないだろうに」
苦笑を浮かべながらも馬見調教師は今後の騎乗に於いて鞭を使用しない方向へと方針を変える。
「あの変な走り方されて故障されたら洒落になりませんからね」
「うむ」
手鞭で走るならリスクを冒してまで鞭を使う事も無い。調教師としての判断だった。
平日は、相変わらずの18:00投稿でいきますよ。
お馬さんって育成牧場とか、トレーニングセンターとか、予想以上に複雑で吃驚。
調べ出したらさあ大変です!