閑話:物語は引き継がれ
「う~ん、進路をどうしようかなあ」
放牧地を眺めながら、和香は溜息を吐く。
私は中学2年生となり、今後の進路について悩み始めている。
母から特に牧場を継げと言われたことは無く、どちらかと言えば自由にさせて貰っている事は自覚していた。母が中学生の頃は牧場存続の危機だった事も教えられており、自分の将来だから真剣に考える様に、安易に牧場を継ぐなどと言わない様にと教えられている。
それでも、誰かが牧場を継がないと駄目だと思うし、私が継がないとなると4歳下の妹である若葉が継ぐことになるのだろうか? それとも牧場を止めちゃう? でも、私は家が、家の牧場が嫌いなわけでは無い。
それ故に和香は今後の事についてうんうんと悩み続けていた。
「ねえ、トッコさんはどう思う?」
私は傍らで草を食んでいたトッコさんにそう声を掛ける。するとトッコさんは草を食んでいた頭を擡げ私を見る。
「ブルルルン」(ん? なんですか?)
「私はどうすれば良いと思う? 牧場を継いだほうが良いよね?」
「ブフフフン」(牧場継がないの?)
トッコさんの鼻先を優しく撫でながら問いかけると、トッコさんが嘶く。まるで私の問いかけに答えてくれたかの様な嘶きに思わず笑ってしまう。私はトッコさんを撫でながら、改めて牧場の事、トッコさん達の事を考える。
うちの牧場は競走馬の生産牧場だ。
繁殖牝馬を多数揃え、その産駒を売って生計を立てている。ただ、産駒だけに頼るだけでなく豚を飼育してハムを作り、乳牛を飼育して牛乳やチーズなどの加工品の販売も行っていた。産駒だけに頼る危険を考えてお爺ちゃんの時代から始めたらしい。
うちの商品には全てトッコさんのキャラクターが描かれているんだけど、チーズやハムにトッコさんを描いても馬は全然関係無いのにって思うんだよね。
「これって広告詐欺じゃないの?」
「トッコは牧場のマスコットキャラクターだから大丈夫! それを言ったら瓦煎餅とかの焼き印だって使えなくなる」
瓦煎餅とお肉やチーズは違う気がするんだけど、問題視されていないのなら良いの? 良く解らない。
今話に出たトッコさんは、私が生まれる前から牧場で繁殖牝馬をしていた。
お母さん曰く、トッコさんがいなかったら牧場が倒産していても可笑しくない状態から、頑張って活躍して牧場を立て直してくれたらしい。
「今のトッコさんを見ていても、全然そんな感じしないんだけどなあ。全然速く走れそうに見えない」
トッコさんは既に繁殖からも引退している。日々のんびりと牧場で過ごしている。まあ、時々帰って来る子供や孫と一緒に走ったりするけど、残念ながら現役時代を髣髴する事は無い。
それでも、過去のレースを見てトッコさんの凄さは頭では理解している。
牝馬でありながら現役時代にGⅠを10勝していて、年度代表馬に2度も選ばれる偉業を成し遂げていた。
それだけでも凄い事だったけど、何と言ってもトッコさんの産駒は高値で売れる。
産駒の中には既にGⅠ馬すら誕生しており、特にトッコさんの産駒では今の処1頭もデビュー出来なかった産駒が居ない。これは結構凄い事なんだよね。
「トッコさんももうお祖母ちゃんだからなあ。お母さんが泣くから元気でいてね」
物心ついた頃から一緒にいるトッコさん。もしトッコさんが死んじゃったりすれば、私もしばらく泣き続けるかもしれない。そんな事を思って労りの言葉を掛けたのだけど、トッコさんは途端にご機嫌斜めになっちゃった。
「ブヒヒヒヒン! ブフフフフン!」(まだ若いですよ! 30歳にまだなってないですよ! ピチピチなんですよ!)
トッコさんに鼻先でグイグイと押されます。本当に私の言葉が解っているみたい。
「トッコさんどうしたの?」
「ブルルルルルン」(もう良いのでおやつ欲しいですよ?)
クリクリとした目で私を見詰めて来ます。ただ、この仕草は定番なんですよね。
「ん~~~、ニンジンはもうあげたでしょ? 今日はもう駄目だよ」
「ブルルルン」(ダメダメですねぇ)
私の手に鼻先を擦り付けて更におねだりをするトッコさん。幼少の頃から馴染んだ動作に、何を求めているのか直ぐに推測できます。トッコさんの鼻先をポンポンっと軽く叩いてあげると、仕方がないなあという感じでまた地面に生えている牧草を食みだしました。
「の~~ど~~か~~~」
「ブヒヒヒ~~ン」(わ~~い、桜花ちゃんだ~)
厩舎の方からお母さんの声が聞こえて来た。お母さんの声を聴いて、トッコさんがピョンピョン? ドスドス? 兎に角、体全身で喜びを表現する。
「トッコさんは相変わらずお母さんが大好きだね」
私がトッコさんの所に来ても、お母さんほどには喜んでいないと思う。
勿論、角砂糖とか、ニンジンとかを期待されて歓迎はされるんだけど、昔から何方かと言うと私のお母さん替わりみたいな気持ちでいる気がする。
私に他の馬が近づくと私の横に寄り添ってくれるし、何となく守られている感が強いです。
「ブルルルルルン」(和香ちゃん見てたよ~、褒めて~)
「トッコ、ありがとうね~。和香の事見ててくれたんだね」
「え~~~、何それ! 私もう中学生なんですけど!」
お母さんの言葉に抗議をするけど、お母さんはトッコさんの鼻先を撫でて聞いてくれていない。
「う~~~、ぐれてやる」
「和香、グレたりしたらトッコに蹴られるわよ?」
「トッコさんはそんな事しないもん!」
「ブフフフフン」(蹴らないで噛むかも?)
トッコさんがジッと不穏な眼差しでこっちを見ている気がして、私は慌ててトッコさんから距離を取りました。
「ほら、トッコさんもグレたら怒るって言ってるわよ」
「そんな事言ってないよ! でも、いつも思うけどトッコさんって私達が何言っているのか解ってそう」
「トッコは頭がいいからね。ついでに食い意地も凄いけどね! ほら、氷砂糖だよ」
「ブヒヒヒン」(わ~~い、氷砂糖だあ~~~)
お母さんが掌に氷砂糖を載せて差し出すと、トッコさんはコロコロと口の中で転がし始めた。その様子を笑いながら眺めていると、今度はお母さんが心配そうに私を見る。
「で? 和香は何を悩んでいるのかな?」
「え? 別に悩んでなんかいないよ?」
「隠さなくていいわよ? トッコさんに悩みを聞いてもらっていたんでしょ?」
「ブヒヒン」(何か悩んでた~)
お母さんの疑問を肯定するかのようにトッコさんが嘶く。まるで、悩んでたよと言うような嘶きにお母さんと顔を見合わせて吹き出してしまった。
「ほら、トッコも悩んでたって言ってるわよ?」
「う~~ん、悩むって言うか、想像が出来ないっていう方が近いかも。強いて言えば進路の事? 私は何になりたいのかなって」
お母さんは特に口を挟むことなく、表情で言葉の続きを促してくる。何かこういう所はトッコさんみたいだなあと内心で苦笑しながら言葉をつづけた。
「お母さんは牧場を経営しているけど、お父さんは普通にお勤めしてるでしょ? まあ、お父さんに牧場は無理そうなのは解るけど。私は牧場を継ぐのが良いのか、他に何か好きな事があるのか。あと、牧場も今はお爺ちゃんとお祖母ちゃんもいるし、でも、私の判断次第で若葉の将来にも影響するよね? どうするのが正解なんだろうって考えちゃって」
口に出すと様々な思いがどんどんと溢れて来る。それをお母さんはちょっと首を傾げながら黙って聞いてくれた。お母さんの後ろで同じように首を傾げて私を見ているトッコさん。うん、何かそんな所も何かそっくりだなあ。
「馬は好きだし、トッコさん達もいるから牧場経営が嫌だっていう訳じゃないよ? トッコさんは大好きだし。だけど、やっぱりキツイなあって思う事もある。時間とか自由にならないし、朝が早いし、あと、臭い! どうしても匂いが付くよね! あ、前にお母さんが言ってた獣医師になる夢って言うのも気になってる。流石に香織おばさんみたいな騎手は無理だけどね」
嘘偽りなく今の気持ちを一気に言葉にする。
お母さんは黙ったままで静かに聞いてくれているけど、私の言葉をどう受け止めてくれるのかが怖い。
お母さんは怒ると怖いのだ。ただ、それは馬や牛に不用意に近づいたりして危険な事をした時だと判ってる。ただ、幼少期には何回も派手に怒られた記憶が芯にある。
「和香ももうそんな年になったんだね。そっかあ、そりゃあ悩むよね。お母さんだって悩んだわ」
でも、そう告げる表情には笑顔が有る。そして、トッコさんの鼻先を撫で始めた。
「お母さんも和香と同じ年くらいで悩んでたわ。トッコがちょうど生まれた頃ね。でも、当たり前だけど仔馬が生まれすぐ活躍なんてしないし、トッコが活躍し始めたのが高校3年生になるかって頃だから、後からもっと勉強しておけばって後悔したわね」
「それ、何度も聞いたよ」
お母さんがトッコさんとの思い出を話し始めるとすっごく長い! 小さい頃から何度も何度もトッコさんの話は聞いてきた。そして、英語がもっと出来ればッて思ったのよと言って私達姉妹は幼稚園の頃から英会話教室へと通わせて貰っている。
実際に英会話教室へ行っていたお陰で英語のテストには苦労していないけど。
「そうね。まあ、悩みなさい。結局どこかで選ばなきゃいけない時が来るわ。牧場だってあなた達二人が継ぎたくないって言うなら香織おばさんにお願いする事だって出来るわよ? だから心配しないで」
「香織おばさんかぁ。香織おばさんなら喜んで引き受けてくれそうだね。でも、別に私、牧場を継ぎたくない訳じゃ無いよ? 私だってトッコさんも、ヒメもみんな大好きだもん」
「ブフフフン」(わたしも大好きだよ?)
私がお母さんに返事をすると、まるで私に返事をするようにトッコさんが嘶いた。
「ほら、トッコも和香のこと大好きだって言ってるわ」
お母さんは笑いながら私を見る。私はトッコさんの鼻先に抱き着いて、トッコさんに嬉しさを伝える。
「トッコさんは私のお母さんだもんね~」
「ブルルルン」(桜花ちゃんの子供だし、お母さん替わり?)
「ちょ、ちょっと!」
私はトッコさんの鼻先から離れてトッコさんを見ようとすると、べろんべろんと思いっきり顔を舐められました。
何となく思いついて書いちゃったんです。
でも、時系列的にすっごく先の話だし、投稿しようか悩んでいたんですが。
悩むくらいなら投稿しちゃえと!(オイマテ
楽しんで頂けたら嬉しいです。
PS:桜花ちゃん・・・・・・結婚できたのね(ぇ




