閑話:大南辺とトッコさんとヒメ
10月のとある金曜日、北川牧場に北海道への出張に絡めて休みを取った大南辺が訪問する。
目的は勿論ミナミベレディーとヒメの様子を見る為であり、この出張が決まってからの大南辺は毎度の事ながら修学旅行を待ち望む中学生か小学生の様にソワソワと落ち着きが無かったのは言うまでもない。
ちなみに、高校生を含めないのは、高校生にもなればもう少し落ち着いているとの判断である。
「大南辺さん、良くいらっしゃいました」
「いやあ、北川さん、恵美子さん、ご無沙汰しております!」
「いえいえ、御無沙汰というには8月にもお見えでしたし」
恵美子は笑いながら返事を返す。実際の所、ほぼ毎月の様に大南辺は北川牧場に顔を出していた。
「おや? 今日は桜花さんは?」
普段訪問する際には桜花が大南辺の対応を任されている。
「今日は札幌で就職説明会に行ってます。もう9月になるというのに中々就職先が決まらなくて」
「二つほど内定は頂いたんですよ? でも、現場が良いって我儘をいう物ですから」
実際の所、北海道における畜産系の会社は人手不足が顕著になって来ている。その為、売り手市場ではあるのだが、桜花の希望と企業の希望が中々マッチしない。その為、桜花は未だに就職説明会などを渡り歩いていたりする。
「桜花さんはしっかりされていますから。何と言っても将来的に牧場を継ごうと言う意思がしっかりされている。今どきの学生とはその点も違いますな」
何度も北川牧場へと訪問している大南辺である。桜花が就職に困っている事は聞いており、どこか紹介しようかと尋ねた事があった。しかし、そもそも大南辺の本業は電機系の商社であり、畜産業とはまったく関りが無い。その為に桜花からは丁寧に辞退の申し出を受けていた。
「そんな褒められる事じゃないんですよ。十勝川さんの所で内定を頂いているから甘えているんですよ。他が駄目なら内に来なさいって言っていただけているので」
北川牧場にとって十勝川の所は今現在のメイン種付け依頼先だ。その為、此方とも頻繁に交流を持っているし、何と言っても鈴村香織の永久就職先でもある。桜花と香織はミナミベレディーを介して盟友の様な立ち位置で今後も交流が途切れる訳がない。
「確か競走馬などの産駒ではなく畜産系の会社を希望されているのでしたかな?」
「はい、畜産業の高齢化は進んでいますし、後継者のみならず人手不足も更に進むだろうと。その為、出来るだけ自動化された最新の牧場で働いて知識と経験を得たいみたいなんですが」
「そんな事より将来のお相手を見つけて欲しいんですけど。あの子には何度も言い聞かせているんですけど、今一つポヤポヤしていて。トッコもヒメを産んだんですし、次は自分だ! くらいの意気込みが有っても」
「あ、あ~~~、まあ人間と馬は違いますからなあ」
桜花が居ると話されない話題などが、本人不在であるからこそ話題となってしまう。良くあることではあるのだが、此処から恵美子の愚痴が炸裂する。
「あ~~~、た、大変ですなあ」
必死に峰尾へと視線を送る大南辺であったが、残念ながら峰尾がその視線を受け止める事は無い。
「桜花に結婚などまだ早い!」
「貴方は黙ってて! 牧場なんかに籠ったら碌な出会いなんかないのですよ!」
「な、なんか・・・・・・」
父親あるあるの結婚なんてまだ早いを発動した峰尾ではあったが、あっという間に恵美子の怒りの発言に打ち消されてしまう。しょぼんと打ちひしがれる峰尾を気遣う者は、残念ながら皆無であった。
「そろそろべレディーの所へとお邪魔させてほしいのですが」
話が一瞬途切れた瞬間を見逃さず、大南辺は咄嗟に本来の目的を口にする。恵美子も少々ヒートアップしたことを自覚したのか、軽く咳ばらいをした後に放牧地へと向かう事にした。
「べレディーはメロンが好きですから、札幌の果物屋でメロンをカットして貰いました」
大南辺はパックに収められたメロンを恵美子に見せながら満面の笑顔を浮かべる。北川牧場へと訪問する際には、必ずミナミベレディーへのお土産を買う。中々にお高いメロンを毎回購入する為に、果物屋の店主とは懇意になっていたりする。
「あら、トッコは幸せね。此処の所メロン付いているわ」
「おや、何方かがメロンを持ってきましたか?」
ミナミベレディーにメロンを持ってきそうな人といって真っ先に思い浮かぶのは鈴村香織である。それ故に香織が訪問したのかと思えば、恵美子からは思いもよらない話がされた。
「ほう、ヒメの乳離れですか。もう行うのですな」
大南辺は、競馬は兎も角として仔馬の育成知識などは殆ど持っていない。乳離れがあるとは知っていたが、それがどういった物かは知らなかった。それ故に生後半年での乳離れを早いと取ったのだった。
「牧場によって違いはありますが、だいたい9月前後に行いますわ。同じ仔馬同士で社交性を身に着けさせる為、母馬から離れる事で精神的な成長を促す為、色々な理由はありますけど」
恵美子の説明を受けながら放牧地へとやってくると、遠目にも目立つミナミベレディーの姿が目に入った。
「元気そうですなあ」
「それはもう」
思わず目じりを下げながらミナミベレディーを眺める大南辺。その姿はまるで娘を見る父親の様である。
「トッコ~~~、トッコ~~~」
恵美子がミナミベレディーを呼ぶと、仔馬と共に牧草を食んでいたミナミベレディーが顔を上げた。そして恵美子達を暫く眺めた後、慌てた様子で此方へと駆け寄って来る。
「べレディーは人懐っこいですな」
「誰かが呼ぶときは何か貰えると覚えちゃってますから。でも、これって上手く出来ないかしら」
笑いながらそう返す恵美子の視線の先には、ヒメを置き去りにして駆け寄って来るミナミベレディーと、慌ててその後ろを駆けて来るヒメの姿があった。
◆◆◆
「あの、今後人手不足が予想されます。貴社ではその人手不足を補うための取り組みはどうされているんでしょうか? それと、畜産業の将来をどう見通されているのかお聞きしたいです」
畜産業に特化した合同就職説明会に参加している桜花は、4社目の企業ブースへと訪問し定番化して来た質問を行っていた。
実際の所、有名農場、有名企業を含め多くの企業、牧場、協同組合などが出展している。こういった説明会は意外な事に東京の方が開催数が多く、畜産の本場である北海道ではその開催数は半減する。しかも、北海道で開催されているからといって就労場所は北海道に限る訳では無く、東北のみならず全国に広がる。
一通りの説明を聞いた桜花は、お礼を言って席を立つ。そして、ブースから少し離れた場所で小さく溜息を吐く。
「う~ん、何とも言えないなあ」
桜花の大学の同期は学科としては30名しかいない。そして、国立という事もあり半数は大手企業の研究系の仕事を選ぶし、中には教職希望の者もいる。畜産学科と言いながら、その実畜産の現場を選択する者は稀であった。
「桜花、どうだった?」
別れて企業ブースを回っていた未来が桜花を見つけて駆け寄って来る。その未来の手にも企業ブースで貰った紙袋に会社案内らしきものが詰め込まれていた。
「ちょっと微妙かな? あと、大学名で相手に引かれる。畜産学科だから其処まで偏差値高くないのに」
畜産学科の卒業生は毎年30名前後である。それ故に一般企業や牧場などに就職を希望する者は稀処の話ではない。それ故に相手側としても何処か本気にしていない所があり、対応も自然と表面的で当たり障りのないものとなってしまっていた。
「参加特典目当てって思われてるんでしょうね」
「未来は思いっきり参加特典目当てじゃん」
最近の合同就職説明会では、参加特典としてブースで話を聞くとお金が貰えたりする。そして、その参加特典目当てでやって来る未来の様な学生も当然いる。
「うん、だってお話聞くだけで最大2万円だよ? 時給換算しても悪くないし、桜花が来ないなら面倒だからやらないけどね」
思いっきり強かな未来である。そして、そんな未来より切実な桜花の方が苦戦しているのは、現実の厳しさという物なのだろう。
「なんかこれっていう感じがしないんだよね。実際の牧場とか見れてないからかも。一度牧場に来てみてくださいって言われた所があるから行ってみるかも」
「実際の現場を見ておくのは悪くないよね。でも、この時期にまだ出展しているって事は、まだ内定者取れてないのかなあ」
「不安になる事を言わないで!」
きゃいきゃいと騒ぎながらも出展者リストを確認する。事前にチェックしていた所は先程の所で終了となるが、参加特典的には後2社ほど回りたいところだ。
「あと2社何処回ろうかなあ。出来れば北海道から離れたくないんだけどなあ」
「桜花はそこもネックなんだよね」
週末は可能な限り北川牧場へと顔を出したい。それ故に中々にハードルの高い桜花だった。




