閑話 白石家の穏やかな日々
ミナミベレディーが引退し帰郷したという事で、白石夫妻は北川牧場へと訪問しミナミベレディーを見て、北川ファミリーと交流し先程家へと帰って来た。
日頃から馬の世話など休みなく働いている二人にとって、久しぶりの遠出であり息抜きであった。
「ふぅ、何となく疲れたな。隠居生活で人との交流が減ったせいか?」
夫人は、そう呟く夫を見て笑いながらお茶を入れる。
「そうですね。北川さんの所は、やっぱりエネルギーが違いますね」
すでに廃業した自分達と比較する事自体が可笑しいのだが、同じ個人牧場を経営していた立場から言っても今の北川牧場からは勢いを感じた。
「桜花ちゃんが居るからなあ。やはり後継ぎが居るのは違うな」
「桜花ちゃんが元気ですから。もう奇麗なお嬢さんになっていて吃驚しました。でも、元気なのは小さい頃と変わりませんでしたね。私も元気を貰っちゃいました」
両親に付き添って白石牧場へと来ていた桜花の小さい頃を思い出し、二人の表情に笑みが浮かぶ。
「桜花ちゃんが牧場を継ぐそうだが、婿取りが大変そうだな」
「あら、恵美子さんがいますから大丈夫ですよ。桜花ちゃんも器量良しですし、引く手あまたじゃないかしら? 他の牧場さんとの交流が減っちゃって噂は入って来ませんけど、息子さんのいる牧場なら狙ってると思いますよ?」
特に口には出さないが、やはりGⅠを勝った繁殖牝馬がいるというのは強い。そんな繁殖牝馬が3頭もとなると、この先10年以上安定した収入が見込める。もっとも、その産駒の成績で収入は大きく増減するのだが、産駒にも将来が期待できるという事は、周りから見れば羨ましいの一言だろう。
「ミナミベレディーかあ、凄い馬になったもんだなあ」
白石牧場で種付けして生まれた産駒の動向は、当たり前に追いかけている。無事デビュー出来れば安堵し、勝利すれば歓喜する。それは種牡馬を管理する牧場であっても変わりはない。
特に白石牧場にとって北川牧場は重要な相手だった。何と言ってもカミカゼムテキ産駒で重賞勝利した実績を持っていたのだから。その為にミナミベレディーの事は新馬戦の結果こそネット情報であったが、それ以降は常にテレビで見続けていた。
「ぜんぜん、そんな風には見えませんでしたね。ほんとにどっしりしてて。元々馬体の良い馬でしたけど」
「北川さんから聞いてはいたが、人懐っこかったな。まあ、癖馬ではあるそうだが、それが良い方向に出たんだろうなあ」
「移動も苦にしない、勝負根性もある、それでいて気性は穏やか。ぜひ産駒に引き継がれて欲しいですね」
「そうだな。相性の良い種牡馬が見つかればよいが」
「皆さん言ってますけど、タンポポチャとトッコちゃん、何方か片方が牡馬だったらって思いますわね」
白石夫人はコロコロと笑うが、馬同士の相性というのも良い産駒が生まれる条件の一つだったりする。
「タンポポチャなあ。あの馬も良い馬だったな。気性はキツイが激しいと言う程でもない。何と言っても勝負根性が強い。有馬での激走を見れば、これはミナミベレディー以上だ」
「そうですね。もしムテキのお嫁さんに何て言われたら、踊りだしてしまいそう」
今までも有力繁殖牝馬のお相手として声が掛かれば大喜びしたものだ。産駒が良ければ種牡馬としての価値が上がる。価値が上がれば収入が増え、牧場経営は楽になる。牧場経営が楽になれば、より管理する種牡馬たちにもお金を掛ける事が出来る。
その可能性を少しでも高める為に少しでも良い繁殖牝馬の確保は重要だったのだ。
「しかし、引退レースくらい行けば良かったか? 今更言っても意味は無いのだが」
「あら、お珍しい」
白石牧場の二人がミナミベレディーを直接見たのは今日が初めてであった。
カミカゼムテキ産駒という事で何度か競馬場観戦へのお誘いを貰ってはいたが、結局は一度として直接レース観戦をした事はない。白石が直接観戦したレースでの自家種付け産駒の勝率は非常に悪く、自分が観戦して負けたらという思いがどうしても二の足を踏ませていたのだった。
「別にな、行きたくなかった訳では無いんだぞ。ただ、わしが行って負けたら悪いと思ってな」
バツの悪そうな表情を浮かべる夫だが、その夫の表情を見て妻はコロコロと笑う。
「そうですね。どの子か札幌でレースしてくれないかしら」
「札幌ではGⅠは無いぞ? せっかく見に行くならGⅠだろう」
「GⅠだとサクラヒヨリかしら? オークスに今年出走する子はいませんし、あとはエリザベス女王杯?」
「せっかくなら勝てそうなレースが良いが。エリザベス女王杯か? そうなると京都だが」
二人でワイワイと話しながら観戦するレースを物色するが、当たり前にこの時期では出走予定など判らない。それであっても、久しく考えた事などない旅行に二人は盛り上がる。
「やはり有馬記念か。そこなら杏里達も来れるだろう」
「誘ってもあの子達が来るかしら? でも、観戦後に一緒に食事とかも良いわね」
「帰省で一緒に帰ってこれるしな」
「どうかしら? お年玉も貰ったし、今年は帰省しないとか言いそうよ?」
白石牧場へ毎年帰省して来る娘夫婦と孫達。それ故に普通であれば関東へ出た後、一緒に帰省することも出来るだろう。しかし、帰省するにも当たり前に費用は掛かる。家族4人で年末の帰省となれば中々の費用となる。
「そうだな。ただムテキ達の世話もある。あっちでゆっくりという訳にもいかんぞ?」
「そうですねえ」
廃業したとはいえ、2頭の元種牡馬を継続して世話していた。それ故に長く牧場を離れる訳にもいかない。真面な休みなど夢のまた夢、こういった所が娘達一家が牧場を継ぎたくない理由でもあるのだ。
「北川さんの処が羨ましいな。しっかりとした後継ぎがおって」
「ほほほほ、そうですね。でも、私は杏里の気持ちも判りますよ? 安定した、きっちりと休みのある生活がしたい。そう思った事は何度もありますもの」
白石牧場へ嫁いで早40年以上の時間が過ぎていた。その時間の中で様々な思いを抱き、様々な事を諦め、様々な事で喜んで今の自分達がある。ただ、改めて思うのは牧場経営は苦労し通しであった。
「すまんな」
「嫌ですよ。今は幸せですから良いのですよ」
結婚し、娘が生まれ、孫が二人もいる。出来れば後継ぎを産んであげたかったという思いもあるが、だからと言って今の幸せを否定するつもりもない。
「あ~~~、そうだな。夢だったGⅠ馬も誕生した。悪くない人生だったな」
ここでお前と結婚出来て幸せだったなどとは口が裂けても言えない。そんな不器用な夫を見ながら、本当に悪くはない人生だったと思う。
「そうですね。有馬記念を見に行きましょう」
「ああ、せっかくだからな」
二人はそう話しながら笑顔を浮かべるのだった。
ただ、その有馬記念。サクラヒヨリが激闘の末に2着に終わる。観戦後の白石は、それはそれは複雑な表情を浮かべていた。
「なあ、俺が来なければ勝てたか?」
「嫌ですよ。偶々ですよ偶々」
「よし、俺はもう絶対に競馬場には来ん」
真剣な白石でそう誓う夫を見ながら、妻は苦笑を浮かべるのだった。
何か前のお話で白石さんのお話っぽさが今一つな気がしたんですよね。それで、お話を追加しちゃいました。楽しんで頂ければ嬉しいです。




