25:フラワーC後のそれぞれ(桜花ちゃんは名探偵?)
「うわぁ、ハナ差かあ」
北川牧場では峰尾の叫び声が響き渡った。
所有牝馬の出産時期の為、少ない人数で運営している北川牧場では今回は誰も競馬場へ行くことが出来なかった。その為、全員でテレビ画面に噛り付いていたのだ。
そして、レース結果が出た瞬間に思わずみんなの叫び声が上がった。その中で一際大きかったのが峰尾という事である。
「最後の一伸びした瞬間に勝ったと思ったんだけどなぁ」
「ですね、ただ3歳でGⅢ2着なんですから、まだまだ期待できますよ」
「そうねぇ、トッコがもう数年早く生まれていてくれたらキレイの子供ももっと高く売れたのに」
恵美子の溜息交じりの言葉に、思わずみんなが静まり返ってしまった。
「昨年不受胎だし、もう21歳になるからなぁ、一応もう肌馬としては引退させるつもりだったがどうするか」
「牝馬が生まれてくれればいいけど、牡馬だったら売れないでしょうし、今まで頑張ってくれたのですから予定通りで良いわ」
キレイはこの牧場で功労馬として最後まで面倒を見る事が決まっていた。もっとも、実際の理由は幼少の頃から一緒にいた桜花の為ともいえる。トッコもそうであるように、キレイは非常に大人しく、また人懐っこい為に桜花が非常に懐いていたのだ。
実際の所、繁殖牝馬を引退後に処分される馬は多い。北川牧場とてその例外ではない。馬一頭の飼育にかかる費用は馬鹿にならないのだ。
すでにレース結果は出てしまっており、ある意味そういう事に慣れている面々はとっくに意識を切り替えて今年生まれてくる幼駒へと会話の主題が変わっていた時、録画していた今のレースを何度も見直していた桜花は怪訝そうな表情を浮かべていた。
「う~ん、何か変」
そんな桜花の様子に気が付いた峰尾が怪訝な表情で桜花に尋ねる。
「桜花、さっきから何度もレースを見直してどうした?」
「あのね、さっきからレースを見てるんだけど、トッコがゴールする前後の様子がおかしい気がするの」
「え? 怪我か? そんな連絡は来てないが」
慌ててみんなで録画した映像を確認する。
「特に怪我がどうこうという事は無いが、ゴール板直前で失速してないかこれ?」
「そうね、せっかく伸びたのに失速するのが早いわね。桜花が変って言ってたのはこれ?」
みんなで見ていると、確かにゴール前で一伸びしたトッコが、ゴール板直前から失速というより走るのを終わらせたように見える。
「うん、あのね、トッコは多分ゴールが判ってないんだと思う。それで、このゴール板の前の板の部分に入ったからゴールしたと思い込んだんだと思うんだけど、違うかな?」
「有り得なくはないが、馬によってはレースを自分で作るし、ゴールくらいは覚えるかもしれんな。ましてやトッコだしな」
峰尾も桜花の指摘に半信半疑ながらも頷く。まったく無いという話ではないと思うし、もしそうなら急いで対応しないと今後も繰り返す可能性はある。
「一応、馬見調教師に連絡を入れておこう」
そう告げると、峰尾は携帯電話を取り出して馬見調教師へと連絡を入れるのだった。
◆◆◆
馬見はレース後のベレディーの様子を蠣崎と一緒に確認し、軽いコズミしか発生していない事に安堵の溜息を吐きます。
「少しずつ体が出来上がってきているな。これなら4月のレースも問題無いだろう」
「やはりマイラーなどは年々高速レースになっていますから、ベレディーにとっては疲れが大きいのかもしれませんね」
「そう考えると、やっはり距離だよなぁ」
芝の1800mまでしか走ったことの無いベレディーであるからこそ芝の2000mで試してみたいという思いがある。それ故にフローラSを予定しているのだが、大南辺はまたもや桜花賞への出走を希望していた。
「掲示板までならいけそうなのが質が悪いですね」
「5着でも結構な賞金が入るからな。しかし、桜花賞の後はオークスになる」
3歳牝馬の王道中の王道。ただ、今のベレディーでは芝1600mの距離ではタンポポチャのみならずプロミネンスアローやプリンセスフラウなどの馬にも勝つのは厳しいのではと思われた。
「フローラSからのオークスも厳しいですが、それ以上に天気の運不運もありますから。こればかりは今から予測はつきませんがね」
「ただ、オークスはヤバいか?」
「さて、最近は小雨はあっても馬場状態は良馬場だった気がしますが」
過去が良馬場だったからと言って何の保障にもならない。
そんな時、馬見の携帯が振動する。基本的に馬見は携帯はマナーモードにしておくのが当たり前になっていた。
「はい、馬見ですが。おや、北川さんどうされました?」
昨日話したばかりの北川からの電話に、もしかすると幼駒や1歳馬の預け先の話かとちょっとドキドキしながら話を進める馬見であったが、その表情は段々と困惑したものになっていく。
「はあ、判りました。鈴村騎手も来ていますし、みんなで見てみます。ええ、いえ、ありがとうございます」
電話を切った後の馬見の様子に違和感を感じた蠣崎は、電話の内容を尋ねる。
「ああ、その、なんだ。鈴村騎手に調教が終わったら事務所に来て欲しいと伝えておいてくれ。ああ、蠣崎も一緒にな。私はそれまでに準備をしておく」
そう告げて厩舎へと戻って行く馬見を見ながら、蠣崎は首を傾げる。
そして、調教を終わらせた鈴村に手伝って貰い調教後のベレディーをいつもの様に綺麗に洗い、マッサージを終えて鈴村と連れ立って厩舎へと戻って来た。
「テキ、来ましたがって何やってるんですか?」
厩舎の事務所へと入ると、パソコンに噛り付いている馬見の姿があった。
「何を見ているんですかって、先日のレースですか」
蠣崎の後ろにいる鈴村は自分がハナ差で負けたレースの為、バツの悪そうな表情を浮かべる。
「先程、北川さんから電話があったんだが、桜花ちゃんがな、ベレディーはゴールラインを勘違いしてるって言うんだ。先日のレースでゴールライン手前でゴールしたと勘違いして力を抜いたと」
「「え?」」
蠣崎と鈴村は思ってもいない指摘に二人そろって驚きの声を上げる。
「先程から見直しているんだが、確かに最後の一伸びをした後にゴールライン手前で失速したように見えなくもない。騎乗していて鈴村騎手はどうだったか覚えているか?」
馬見の質問に、鈴村はあのレースの事を思い出していた。
「最後は必死だったので、ただ普段は手綱を引かないと止まらないベレディーがゴールしたら手綱を引かなくても並足になりました。それと、今思い出したんですが、スタートした後に通過したゴール板前でベレディーにここが今日のゴールだよみたいな事を言った記憶があります」
鈴村の言葉に馬見は眉間に皺を寄せる。
「まさかとは思うが、それでベレディーがゴールを覚えたが、ゴールラインは把握していない可能性があると? ・・・・・・賢いと言っても馬だぞ?」
馬見の指摘に鈴村は顔を真っ赤にさせる。
確かに馬にここがゴールだよと言ってゴールを覚えるなど有り得ない。基本的に馬は騎手の指示で走るものだし、賢い馬と言えどゴールラインを理解している馬などいない。
「すみません、変な事を言いました」
咄嗟に頭を下げる鈴村を手を振って慌てて制しながら、馬見は同じように馬鹿な考えが頭に湧いてきてしまう。
「なあ、馬鹿な事かと思うんだが、ベレディーにレースの映像を見せて勉強させてみたらどうだろうな」
「・・・・・・本気ですか?」
「わ、私は良いと思います!」
こうして、前代未聞の馬に対する馬の為の競馬教室の開催が決まったのだった。




