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207/296

206:紫苑ステークス後の一コマ

『向こう正面に入って早くも後方から2番ラトミノオトが上がって来た。13番手から前を走る馬を一気にかわし8番手。

 先頭は未だ変わらずサクラフィナーレ、このまま各馬3コーナーへ。

 サクラフィナーレのすぐ後ろにはニムラトイ、その後方にカレイキゾク、すぐ外にプリンセスミカミと続いて各馬3コーナーから4コーナーへ。

 ここで後方の馬もスピードを上げ馬群が縮まって、一団となって直線へと入った。

 先頭は依然サクラフィナーレ、直線へ向け早くもスパート! 釣られてニムラトイとカレイキゾクも速度を上げた。プリンセスミカミここでやや遅れたか。後方から一気に上がって来たラトミノオト、現在5番手まで。更に後方からはハルノデザインが一気に来た!

 直線に入りプリンセスミカミに鞭が入った! 前に追い付かんばかりの加速! 更にラトミノオトも追いすがる! 先頭ではサクラフィナーレ、ニムラトイが先頭争い、カレイキゾクは一歩後退。

 しかし中山競馬場、最後の直線は短いぞ! 先頭サクラフィナーレ、2番手にニムラトイ、カレイキゾクの脚は完全に止まった。

 最内から伸びて来たのはプリンセスミカミ、一気にカレイキゾクをかわして3番手、大外からラトミノオトが伸びて来た! これは前を捉えるか! 先頭は依然サクラフィナーレ、その内をプリンセスミカミ、外からはラトミノオト、勝つのはどの馬だ! ラトミノオトに鞭が入る! 先頭は依然サクラフィナーレ、粘れるか! ラトミノオト、プリンセスミカミ伸びて来た! サクラフィナーレに並んだ! 勝つのはどの馬だ! サクラフィナーレか! ラトミノオトか! プリンセスミカミか! ほぼ3頭並んでゴール! これは写真判定だ! 3頭ほぼ並んでゴール!


 果たして勝ったのはどの馬だ! 外のラトミノオトが若干有利か!』


 レースをじっと見ていた太田調教師は、じっと拳を握りしめモニターを見つめている。ゴールのスロー映像が流れ、その映像を睨みつけるように眺める。


「同着、せめて同着であってくれ」


 そう祈りながらモニターを見つめるが、無情にも1着に2番、2着に12番の番号が表示される。そして、その間に表示されたのは“ハナ”の文字。


「はぁ」


 思わず溜息が零れる。表示された着順を暫く眺めた後、もう一度大きく息を吐いて鈴村騎手を労う為に太田調教師は控室へと向かう。


「太田調教師、申し訳ありませんでした」


 太田調教師がやって来るのを認めた鈴村騎手は、深々と頭を下げる。自身としてはベストの騎乗をしたつもりではある。ただ、この世界では過程ではなく結果が伴わなければならない。それ故に、人気より上位に入ろうとも勝たなければならない。


「いえ、見事な騎乗でした。2着に入りましたから秋華賞への優先出走権も手にしました。悔しい気持ちはお互いにあると思いますが、本番は次走だと思っています」


 桜花賞馬であるサクラフィナーレには同じくハナ差で先着している。勝ったラトミノオトを褒めるべきであろうし、今日の鈴村騎手の騎乗は、太田調教師から見ても文句をつけるところなど無い。もっとも、それ故に悔しさも倍増するのだが。


「おや、遅くなりましたね」


 そこへプリンセスミカミの馬主である三上氏がやって来た。その表情は満面の笑みを浮かべており、ハナ差で重賞制覇を逃したことを気にした様子は欠片も無かった。


「鈴村騎手、お疲れさまでした。いやあ、見事な騎乗でしたよ、手に汗握るレースとはこの事ですね」


 そう言って鈴村騎手と太田調教師に両掌を開いて見せる三上氏に、二人は思わず顔を見合わせて苦笑を浮かべる。


「ありがとうございます。ただ、勝ちきれず申し訳ありません」


 改めて三上氏に頭を下げる鈴村騎手。そんな鈴村騎手に三上氏はとんでもないと慌てて頭を上げさせた。


「あわよくば3着に入って秋華賞に出れたらと思っていました。そこで2着ですから謝っていただく事などありませんよ。やはり重賞は厳しいと痛感しましたが、この調子で行けば何処かの重賞くらいなら獲ってくれそうです。それこそ中山牝馬とかですかね?」


 そう言ってウインクする三上氏であるが、そのウインクが上手く出来ず両目を瞑ってしまう為に鈴村騎手の表情に更に苦笑とも笑いとも言えないものが浮かぶ。


「ありがとうございます。次の機会があれば是非勝利を掴み取りたいと思います」


 今回の騎乗はあくまで刑部騎手の怪我による乗り替わりである。その為、次走に鈴村騎手が騎乗できるとは決まっていない。鈴村騎手としては是非ここでサクラハヒカリ産駒であるプリンセスミカミに、自分の手で初の重賞を齎してあげたかった。残念ながら叶う事は無かったのだが。


 ベストの騎乗をしたと思う。でも、あと少しだったんだよね。


 幾度とハナ差のレースを経験していた。その為、最後の瞬間サクラフィナーレには勝ったと思った。間にサクラフィナーレがいた為、大外にいたラトミノオトは一切意識していなかったのだ。


 油断があったんだろうか? 最後に勝ちを意識した?


 改めて最後の瞬間を思い出すが、油断などしていたらサクラフィナーレにすら勝てていなかっただろう。そう考えれば、今日自分に出来るベストの騎乗をしたと思う。


 太田調教師と三上氏に挨拶をした後、ロッカールームへ向かいながら鈴村騎手はふと立ち止まって呟いた。


「浅井騎手との約束守れなかったなあ」


 浅井騎手に代わり自分が乗り替わりとなった。そんな自分に浅井騎手が万感の思いで託したプリンセスミカミ。自分の思いと浅井騎手の思い、桜花ちゃんの、勿論三上氏や太田調教師、多くの人達の思いを担っているんだ。


「勝ちたかったなあ」


 ぐっと歯を噛み締め、拳を握りしめてロッカールームへと入って行くのだった。


◆◆◆


「申し訳ありませんでした」


 長内騎手は武藤調教師へ頭を下げる。1番人気という事もあるが、秋華賞へ向けての弾みをつけるという点においても決して落として良いレースでは無かった。幸い3着に入り無事に秋華賞への優先出走権を得る事が出来たが、長内騎手としてはやはりここは勝利しておきたかった。


「本番前の前哨戦です。まずは優先出走権を獲れた事で良しとしましょう」


 武藤調教師はそう告げるが、その表情には苦笑が浮かんでいる。


「そうですね、中山競馬場という事もあります。秋華賞は今年までは阪神競馬場ですから桜花賞の再現に期待しましょう。ミナミベレディーも本番前のレースはあまり勝率は良くありませんでした。次走に期待しますよ」


 桜川氏も同様に苦笑を浮かべているが、本番へ向けしっかりと釘を刺してくる。


 長内騎手はもう一度大きく頭を下げ、騎手控室へと戻って行く。その後ろ姿を見ながら、武藤調教師は小さく溜息を吐く。


「今回の勝敗以上に長内騎手の気持ちの部分が心配ですか? 鈴村騎手に先着を許しましたからね。しかも、格下と思っていたプリンセスミカミに騎乗してですから」


「ゴホン。あ~、まあ、先程の騎乗で長内騎手はそれなりの結果を出したと思います。ただ、重賞となると中々に厳しいと改めて思い知らされました」


 武藤調教師の様子を見て、桜川氏がそう尋ねる。武藤調教師は、思わず漏らしてしまった溜息を誤魔化すように咳払いをした後、桜川氏の質問に答える。


 武藤調教師としては、馬番的にも先行するにベストでありレース展開的にも想定通りのレースを行ったと思っている。ただ、それ故に次走の秋華賞を勝つためには、今のままでは何かが足りないのではと思ってしまったのだ。


「紫苑ステークスでは余裕を持った仕上げでした。秋華賞ではより万全の仕上げで行きますよ」


「そうですね。ただ、やはり競馬は難しいですね」


 桜川氏に不安を感じさせないよう告げる武藤調教師であるが、意外に桜川氏はサバサバとした表情で答える。桜川氏は、そんな自分を武藤調教師が怪訝そうに眺めている事に気が付いて照れ臭そうに笑う。


「う~ん、私の様子が不思議ですか?」


「そうですな、率直に言ってもう少し悔しそうにされるかと思っていました」


「勿論勝てたら嬉しかったですし、あと少しだったとは思いますよ。ただ、そもそもサクラヒヨリにもサクラフィナーレにも夢を見させてもらっているんですよ。私の所有する馬がGⅠを人気上位で出走するんです。こんな素晴らしい事はありませんよ」


 そう告げる桜川氏の表情は、実に楽しそうである。


「次走の秋華賞は是非勝てるように頑張らせていただきます。長内騎手もリベンジをしてくれるでしょう」


「しかし、まさか鈴村騎手がプリンセスミカミに騎乗するとは思いませんでしたね。流石はサクラハキレイ産駒特化と噂されるだけありますね。サクラフィナーレが負けるとは思いませんでした」


「エリザベス女王杯での鞍上は再検討した方が良いですか」


「オールカマー次第でしょうか」


「そうですな、オールカマー次第ですな」


 桜川にそう告げて頭を下げる武藤調教師に、桜川氏は頷くと共に一言注意をする。


「無理は駄目ですよ? サクラヒヨリもサクラフィナーレも、北川牧場からお借りしていると私は思っているんですから」


 桜川氏の言葉に武藤調教師は頷き返すのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヒヨリもフィナーレもベレディーと一緒に北川牧場で余生を過ごす光景は観たいですね。幼駒が駆け回っている中、のんびりを草を食むべレディーと多少張り合う形のヒヨリとフィナーレたち。
[一言] 更新ありがとうございます。 ラトミノオトちゃん、実況の様子から判断してかなり後方から一気に駆け抜けた模様ですね。 ううむ、この鋭い末脚は・・・ひょっとして、ラトミノオトちゃんはタンポポチャさ…
[良い点] ダークホース現る! [一言] プリミカちゃん、秋華賞優先出走権ゲット。よかったね。 でも秋華賞では鞍上どうするんでしょ、プリミカ陣営。 彼女の主な勝利は忘れな草賞で、他の実績はオークス5…
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