19:阪神2歳牝馬優駿 後編
大きく出遅れたのを挽回する為に、少しでも前にと速度を上げます。
さっきから鞍上の鈴村さんは泣いてます? 何か乗ってる感じすらしないくらいに存在感が無くなってます。
少しすると漸く前の馬に追い付きましたが、もう目の前にカーブが迫ってきていました。
う~ん、それより走りにくいですね。
いつもの様に走ろうとすると芝が軽く滑るような感じがして、思う様に力が伝わらないです。
その為、いつもよりも体力の消耗が激しい気がします。
「ご、ごめん、ベレディー、まだレースは終わってないよね。駄目な騎手でごめんね」
鈴村さんの声が聞こえて来ました。そして、手綱に何となく鈴村さんの意思が伝わって来ます。
フンフンと嘶くのが大変なので、鼻息でご返事をしておきます。
「ベレディー、直線に入る前の第三コーナーまでに中団にはついていたいから、このコーナーでみんなが減速している間に前に進むよ。速度の分膨らむと思うけど、大変だと思うけど、あとでしっかり謝るからね」
コーナーに入ると、確かに他のお馬さん達が少しペースを落としてコーナーを回り始めます。
そこで、私は少しずつ疲れを溜めないように加速を始めました。
「うんうん、息を入れる事が出来なかったから、ちょっとだけどここで息を入れようか」
大体馬群の中団辺りに取りついたときに鈴村さんが手綱を緩めます。
私も周りの速度に合わせる感じで走るのですが、相変わらず芝が濡れていて走り辛いですね。
そんな私達の思惑を、現実は思いっきり裏切ってくれます。
私がのんびりとと思ったら、何か周りの馬が一斉に動き始めます。
「みんな動くのが早い!」
最近覚えた第四コーナーに入った所で馬達が一斉に前に加速していくというか、加速しようとする?
でも、私がある意味邪魔をして、お隣さん以降は動きが取れません。
「早く動け! 前に届かなくなるぞ!」
お隣のお馬さんに乗った騎手が、思いっきり鈴村さんへと怒鳴ります。
先頭を走っているお馬さんはどうでしょう、6馬身くらい離れていますか? 追い込みというのをした事が無いので届くか届かないかは判らないですね。
「今は動けません!」
鈴村さんが怒鳴り返しているのですが、その時に私は私で2頭前にタンポポチャさんを見つけちゃいました。
おおお、マイフレンドではないですか!
とりあえずあそこまで行っちゃおうかな? タンポポチャさんとなら頑張れそうな気がします。
そんな事を思っているうちに、前を走る馬達はどんどんとコーナーを抜けて直線へと向かっていきました。私はそんな事を気にする事無くタンポポチャさんの横へと向かってスピードをあげたのです。
「ベレディー、もう行くの!」
鈴村さんが驚きの声を上げるのですが、私はタンポポチャさんに並ぼうと前に進みます。
でも、タンポポチャさんは私の思いなんか知りませんよと私が近づいた途端に一気に加速しました。
「ブヒン!」(うそ!)
思わず疾走中に嘶きが零れるほどの驚きです。
慌てて私はタンポポチャさんを追いかけました。
まって~~~、いかないで~~~!
何かレースの事は意識から飛んじゃっていました。
ただ、タンポポチャさんを追いかけたのに逃げられる。なので慌てて追いかける。まさに野生の本能でしょうか? ただ、今回はそんな簡単な物ではなかったんですけど。
タ、タンポポチャさんマジで速いです! 前走で競ったのにどういう事ですか!
どんどんと加速していくタンポポチャさん。必死に追う私との差は広がるばかりで、横は勿論の事、後ろに追従する事すら出来ません。
「ベレディー、頑張って! あと400Mだよ!」
400Mですか、そうですか。でも、私以外の馬もどんどんとスパートして来るので、私は後方から来るお馬さんに追い抜かれないように気を使います。ただ、先頭との距離は明らかに縮まってきていますが、タンポポチャさんはそろそろ先頭を追い抜きそう。
「200Mを超えた、あとひと踏ん張りだよ!」
手綱を扱いて私を追い立てる鈴村さんですが、後方から追い抜かれないまでも、前にはとても追いつけませんね。タンポポチャさんの凄さを痛感しちゃいましたよ。
それでも必死に追い付こうと走って、目の前にいた馬を追い抜いたくらいがどうやらゴールだったみたいです。また今日もゴールの仕組みが良く判りませんでした。ただ、鈴村さんが手綱を緩めて私の首をトントンとしてくれたので速度を落としてタンポポチャさんの所へと向かいました。
「ブヒヒン」
私を見たタンポポチャさんは、レース前と違って思いっきり高飛車な表情で私を見下しました!
こっちは前走みたいにお疲れ様~ってしたかったのに、何ですかあの態度は!
「ブフフフフン!」(つ、次は負けないんだからね!)
精一杯の負け惜しみを言いますが、タンポポチャさんはフンって顔してスタンド前に行っちゃいます。
無茶苦茶悔しいです!
「鷹さんのタンポポチャが勝ったんだね」
鈴村さんがそう言って見ている方向を、私も見ますが馬ってあんまり視力が良くないので何を見ているか判りません。
「キュイン?」(何かあるの?)
「あ、検量行こうか、今日はごめんね私のせいでレースにならなかったね」
「ブフフン」(走れて楽しかったよ?)
そうです。雨とか泥とか気にする暇も無く走ってました。唯一は足が滑りそうなのが嫌だったくらいです。出来たらもう雨の日は走りたくないなぁ。
そんな事を思いながら、検量する為にゆっくりと移動を始めました。
◆◆◆
『各馬ゲートへ納まりました。そしてスタート、稍ばらけたスタートだ! スタート巧者のミナミベレディー、躓いたのか出た瞬間の加速がつかない。
その間に先頭に立ったのはプロミネンスアロー、今日は果敢に先頭に立ちます。2番手はヤマギシンフォニー・・・・・・ミナミベレディーは最後方からのレースとなります。
先頭は3コーナーカーブへと入りますが、時計は平均よりやや遅いか。稍重の馬場が影響しているのか。
おっとここで最後方のミナミベレディーが果敢に前へと進み、馬群中団へと、先頭から最後方までは約8馬身といった所。これは追い込み馬は届くのか! タンポポチャがじわじわと前へとじわじわと差を詰めていく。ここで、各馬4コーナーを抜け直線へと向かい、鞭が入りました!
タンポポチャ、自慢の末脚で一気に先頭を脅かす。プロミネンスアローはいっぱいか、ミナミベレディーも出てくるが、明らかに勢いが弱い!
プロミネンスアローは粘る、タンポポチャ最後の鞭が入ってもう一伸び! タンポポチャが迫る、タンポポチャが迫る! プロミネンスアロー粘る、ゴール目前で遂にタンポポチャが前に出た! タンポポチャだ! タンポポチャだ! タンポポチャがアルテミスSの雪辱を果たし、2歳牝馬の頂点に立ちました! 鞍上の鷹騎手が高々と腕を突き上げた!』
大南辺はいつもの様にラジオのイヤホンを耳に馬主席でレースを見ていた。
GⅠという大舞台で、もしかしたらという思いもゲートを出た所で砕け散ってしまった。あとは、故障をしていないか、何か問題は無いか、ただそれだけの思いでミナミベレディーだけを目で追い続けた。
「どうやら怪我では無かったようだ。よかったな」
各馬主席に設置された小さなモニターには、先程の阪神2歳牝馬優駿の順位が映し出されている。
6着:ミナミベレディー 残念ながら掲示板に載る事も出来なかったか。元々天候が雨、馬場状態が重に近い稍重。ベレディーにとっては悪い条件しか揃っていなかった。出遅れもきっとそこら辺に要因があったのかもしれない。
「大南辺さん、ミナミベレディーは残念でしたね。私も期待していたのですが」
そう言って声を掛けて来たのは桜川重吉。大手建設会社を経営し、多数の競走馬を保有する馬主仲間だった。
「そういえば桜川さんも出走させていたんでしたな」
「ええ、14番人気で13着、人気通りとは言え、ちょっと悲しいですね。せめて一桁をと言っていたのですが。今年、ミナミベレディーの全妹を購入しましたので、それもあってミナミベレディーの事は注目していたのですが、出遅れが厳しかったですな。ただ、来年がまだあります。お互いに頑張りましょう」
桜川の本当に残念そうな表情に、大南辺もやっと心にゆとりが持てた。
「桜川さん、そう言っていただけてやっと心が楽になりました。そうですね、まだ来年がありますよね」
「ええ、まだまだ2歳ですし、ミナミベレディーは成長の遅い血統だそうですし、期待しましょう。私も全妹のサクラヒヨリには期待してるんですよ。母も姉もGⅢ勝利馬ですからね」
今まであまり交流の無かった桜川と大南辺は、このあと揃って馬と騎手を労いに行く。
「どうです、この後に残念会をご一緒にしませんか」
「いいですなぁ」
馬主同士の交流会。これもまた競馬の世界である。




