173:サクラヒヨリの表彰式と
春の天皇賞の表彰台では騎手2名を中央に、その両サイドに馬主、調教師、生産牧場の代表と並んで記念撮影が行われていた。壇上では通常の2倍の人員が登っている為、皆が若干窮屈そうにしている。
「鈴村騎手、ありがとうございます。最後の直線は思わず立ち上がっちゃいましたよ」
そう言って隣にいる鈴村騎手へ満面の笑顔で語りかけるのは、馬主である桜川であった。
「此方こそありがとうございます。同着にはなりましたが、何とか勝ててホッとしています」
鈴村騎手の表情にも、笑顔の中に安堵の様子が見えた。
「キュフフフン」
表彰台を挟んでサクラヒヨリとサウテンサンが調教助手に引綱を持たれて立ち止まっているが、サクラヒヨリのご機嫌は表彰台に来てから悪くなっているように思われた。
「なんでサウテンサンが一緒にいるんだって感じですね」
サクラヒヨリの嘶きに、桜川と鈴村騎手が思わず視線を向ける。するとサクラヒヨリが不機嫌そうにサウテンサンを見ている姿が見えた。鈴村騎手がその姿を見て笑いながら感想を言うと、隣にいた岡井騎手がこちらも笑いながら答える。
「サウテンサンはさっきからサクラヒヨリに興味津々な様子だけどね」
そう言われてサウテンサンを見ると、此方はサクラヒヨリをチラチラと見て明らかに気にしているようだった。
「ヒヨリもですが、ベレディーも牡馬には当たりがきついですね」
鈴村騎手達がそんな話をしていると、表彰式が始まる。
「武藤調教師、これで無事に春の天皇賞をサクラヒヨリが制しました。ただ、こうなると私達競馬ファンとしては、サクラヒヨリの今後もそうですが、来年の春の天皇賞に興味が移るのですが」
「あ~~~、言いたいことは判りますよ。ただ、現在では未定としか、何せ来年の事ですから」
「確かにそうですね、となると次に興味が湧くのはやはり宝塚記念ですね。サクラヒヨリは出走されるのでしょうか?」
表彰式を仕切るテレビ司会者が、こちらも満面の笑みで武藤調教師に質問を重ねて行く。そして、武藤調教師は司会者とテレビカメラを意識しながらもきっぱりと言い切った。
「ファン投票で選出されればサクラヒヨリの次走は宝塚記念です」
おおおおお~~~~
司会者のみならず、表彰式を見ている競馬ファン達からもどよめきが上がる。
「となりますと、遂にミナミベレディーとの姉妹対決が見れると」
「無事に選出されればそうなるでしょう。こればかりは判りませんが」
その言葉に表彰式を見ている競馬ファンのあちらこちらから投票するぞとの声がかかる。
「凄いですね! 遂に競馬ファンが待ち望んでいた姉妹対決ですか!」
まさに言質をとったと言わんばかりの司会者だが、そこでサウテンサンの調教師が苦笑交じりに言葉を挟む。
「まあ女帝の話題となると仕方が無いのかもしれませんが、サウテンサンの次走も宝塚記念ですよ? 皆さん忘れていませんよね? 今度こそサウテンサンで単独優勝をしたいですね」
その発言に一斉に笑い声が起きた。
「あ、これは失礼しました! ただ、そうなると最強逃げ馬頂上決戦でしょうか? これも非常に楽しみですね」
「まあ宝塚記念で逃げに入るかは判りませんがね。そこは岡井騎手次第ですか」
そう言うと調教師はサウテンサンの主戦騎手である岡井騎手へと話を振る。
「え? 私ですか? あ~~~、そうですね、枠しだいですかね。今日はやはり馬番が2番という事で逃げやすい条件が揃っていましたから。これで18番とかなら無理ですからね。そこはクジ運の強い方にお願いしますよ? 私は絶対に嫌です」
岡井騎手の言葉に、調教師も、会場にいる競馬ファン達も又もや一斉に笑い声を上げる。
「キュヒヒヒン」
そんな笑い声に反応したのか、サクラヒヨリが再度嘶きをあげた。それで又もや笑い声が起きるが、サクラヒヨリは神経質そうに耳をピコピコさせている。
その後、調教師へとインタビューは続き、大きなハプニングも無く表彰式は閉式となった。
表彰台から降り、武藤調教師と鈴村騎手は共にサクラヒヨリの下へと向かう。そして、歩きながら鈴村騎手は武藤調教師にお礼を言う。
「武藤調教師、お疲れ様でした。そしてありがとうございました」
「ああ、鈴村騎手、此方こそ今日はありがとう。御蔭で何とか面目が立ったよ」
サクラヒヨリはこれでGⅠを3勝。最初から武藤調教師は4歳となったサクラヒヨリが勝てる可能性があるのはこの春の天皇賞とエリザベス女王杯だと思っていた。そして、その片方を勝ってくれたことに本当に感謝していたのだ。
「いえ、私も勝てて安心しました。これがサクラヒヨリに騎乗する最後の機会になるかもしれませんから」
「そうか、そうだな」
次走の宝塚記念に鈴村騎手はミナミベレディーへと騎乗する。そうすれば、自ずとサクラヒヨリには別の騎手が騎乗する事となるだろう。順当にいけば長内騎手だろうか。ただ、その乗り替わり騎手の結果次第では、今後サクラヒヨリの主戦が変わる可能性は大いにあった。
エリザベス女王杯はともかく、宝塚記念だけではなく有馬記念でも姉妹対決の可能性は大きいのだから。そして、鈴村騎手はこの春の天皇賞でサクラヒヨリの騎乗が最後になる事を覚悟していた。それであるが故に春の天皇賞を何としてでも勝ちたかったのだった。
「本当に、本当にサクラヒヨリが勝てて良かったです」
「キュフフフン」
鈴村騎手がやってきてサクラヒヨリは鼻先を鈴村騎手へと擦り付ける。そんなサクラヒヨリを宥めながら、鈴村騎手は声を掛けた。
「今日は頑張ったね。ヒヨリは凄いね」
「キュヒヒヒン」
鈴村騎手の手に鼻先を更に擦り付けて来るサクラヒヨリを、鈴村騎手はもうしばらく撫で続けるのだった。
◆◆◆
春の天皇賞が終わったその日、一部の騎手達が何時もの様に集まって飲み会を行っていた。勿論今日の主役は今日の春の天皇賞を制した岡井騎手である。
「それでは、初の春の天皇賞を制した岡井の勝利を祝って、コンチクショウ!」
「「「「コンチクショウ!」」」」
そこに集まった騎手仲間達がグラスを挙げて一斉に唱和する。それを岡井騎手が苦笑して同じようにグラスを掲げるのは、主役は変われども何時もの光景である。
「おめでとう、まあ3200だからな、サウテンサンが堅いとは思っていたわ」
「おめでとう、2000ではそう易々勝たせないがな」
それぞれが口々に岡井騎手へと祝福を余計な一言を付けて贈っていく。しかし、内心はともかく誰の表情にも笑顔がある。
「サウテンサンかあ、出来れば乗りたかったんだがなあ」
ソウテンノソラの主戦騎手だった立山がそう零すのを、周りにいる面々がやいやいと揶揄う。
「煩いぞ! まあ、菊花賞で開花したからなあ。あれは良い騎乗だったよ」
「ありがとうございます。重賞で好走はしても勝ち切れてませんでしたから。ただ、立山さん程思い切りは良くないので小逃げって所ですがね」
そう言って苦笑をする岡井騎手。そんな岡井騎手に鷹騎手が尋ねる。
「で、どうだった」
「何とも言えませんね。3000以上であればですが、これが2400とかになると厳しいですかね。大逃げすれば判らないですが、どうかなあ」
レースの展開で追い込み馬や差し馬の余力を削っていなければ今日の勝利も厳しかっただろう。ただ、これは3200mという距離の御蔭であり、2400mともなればまだ余力の残っている実力馬に一気に差される事も考えられた。
「だなあ、今どきの主力馬は走って2500までだからな」
立山騎手が騎乗した馬も最後の直線で反応が無くなってしまい、結局7着となっていた。
今日のレースの話からここ最近の競馬界の話へと会話が移って行く中、鷹騎手が今日のサクラヒヨリの走りを話題にする。
「サクラヒヨリの今日の走りはどう思った? 昨年のミナミベレディーもそうだったが、ピッチ走法とストライド走法を切り替えていたよな」
「ああ、あれは凄いな。姉妹揃って器用では済まないな」
「そうなのか? 確かに最後の直線でサウテンサンにパワーで負けて無かったが」
先頭を走り、最後は並走していた岡井騎手は一番近くにいながらサクラヒヨリの走りを見ていない。その為、他の騎手達に尋ねると全員が頷く。
「あの走りが無いとサクラヒヨリやミナミベレディーが桜花賞や秋華賞じゃ勝てないだろう」
「見るからに今どきの主流じゃない。思いっきりステイヤーな馬だからな」
「まだあの走りをする前に2回騎乗したけどね、良くてGⅢまでと思ったよ、真面目にさ」
鷹騎手がサクラヒヨリの騎乗を思い出しそう述べる。他の騎手達もサクラヒヨリやミナミベレディーの体型を思い出す。
「そうだな、サウテンサンで皐月賞は今の時代では無理だな。スピードが足りない」
実際に皐月賞にサウテンサンで騎乗していた岡井騎手も、その時のレースを思い出して答える。
「大阪杯が良い例だな」
「ああ、確かに」
どの騎手もレースの映像を分析し、少しでも自分が勝てるように勉強している。それは騎乗方法であったり、レース中の駆け引きだったり様々だが、重賞レースであればまず間違いなく研究していた。
「タンポポチャに騎乗していた時から気になってたんだよね。あれってどうやって馬に教えているんだろうかって。もし、あの調教技術が広まれば凄い革命になると思うんだ」
鷹騎手の言うように思い通りに馬がピッチ走法とストライド走法を切り替えたら、そんな事を考えるが、誰もがそれが良いのか悪いのか判らない。
「面倒そうだな」
「いや、凄いんじゃないか?」
「実際に結果を出しているからな」
皆がそうコメントする中、立山騎手が鷹騎手に尋ねる。
「で? そう言うからにはとっくに調べているんだろ?」
「ははは、それが判っていたら自分がその技術を身につけるまで黙ってますよ」
「「「「おい!」」」」
朗らかに笑う鷹騎手に、この場に居る全員が突っ込みを入れた。
手を軽く振り振り皆を宥めながら、鷹騎手は今まで自分が調べた事を告げる。
「自分なりに調べたんだけどね、馬見厩舎は多分だけど知らないね。武藤厩舎は知っているはずなんだけど、ヒントとなったのが太田厩舎のプリンセスミカミなんだよね」
「ほう、太田調教師か、中々に難しい人だよなあの人は。良く聞き出せたな」
栗東所属の厩舎だけあって、立山騎手も太田調教師の事は良く知っていた。ただ、昔気質な所があり、自分の経験を優先する傾向が強い調教師のイメージがあった。
「うん、だから浅井騎手に探りを入れたんだけどね。中々に奇想天外な方法を鈴村騎手から指導されたらしいよ」
「ほう、それで? その内容は?」
立山騎手他の面々も身を乗り出して話の続きを促す。
その後、鷹騎手は武藤調教師の奇行として有名な馬の嘶きの音源他、浅井騎手から言葉巧みに聞き出した鈴村騎手から贈呈された手袋などの例を告げる。ただ、内容を告げる鷹騎手を含め全員が首を傾げた。
「なあ、それで馬の走り方が変わるとは思えんのだが」
「ですよねぇ」
「「「「おい!」」」」
立山騎手の質問に答えた鷹騎手へと、またもや全員の突込みが入るのだった。




