132:アメリカジョッキークラブカップ
『第※※回GⅡ芝2200mで競われますアメリカジョッキークラブカップが中山競馬場で開催されようとしております。今年は晴天に恵まれ、4歳馬達が・・・・・・』
騎手控室からパドックへとやって来た香織は、他の馬達に混じって周回するサクラヒヨリを見て思わず苦笑を浮かべる。4歳になって初めてのグレードレース、しかも古馬達を相手にサクラヒヨリが委縮してしまわないか心配していたのだが、そんな香織の心配を他所にサクラヒヨリは堂々とした様子でパドックを回っている。
「とま~~~れ~~」
合図とともに停止する馬達へと、香織は小走りに駆け寄っていく。サクラヒヨリは駆け寄って来る香織に気が付いて、明らかにご機嫌斜めだった様子が少し改善したようだった。
「キュヒヒン」
「うん、今日は頑張ろうね」
サクラヒヨリに近づき、何時もの様に突き出された鼻先を撫でる。そして、首を優しくトントンと叩いて若干興奮気味のサクラヒヨリを宥めてから騎乗した。
「良い感じには仕上がっている。ただ何時もより入れ込み気味なのが気にはなる」
「判りました。ゲートでは注意します」
ミナミベレディーは入れ込むという事がまずない。それに対し、サクラヒヨリはちょっと神経質な所が有る。ただ、それも既に何レースも共にしている為、香織も把握していた。
「このレースが終われば短期放牧だ。頑張れよ」
武藤調教師がサクラヒヨリに声を掛けるが、レース前にこれ以上入れ込むことが無いように、今日はミナミベレディーの名前は禁句とされている。それを思い出した香織は、思わず苦笑を浮かべるのだった。
「流石に有馬記念を走った馬は出て来てはいないが、サイオウデショウは中々良い仕上げ出来ている。あとは札幌記念2着のカチドケイが要注意だな。見た感じ悪くはない。まあGⅠレース経験馬ばかりだから油断は出来ないがな」
サイオウデショウは昨年のダービー3着馬で昨年の鳴尾記念勝利馬だ。そして、カチドケイは一昨年のアメリカJCCの勝利馬であり、昨年には芝2000mのGⅢ新潟記念も勝利していた。それ以外の馬も殆どがGⅠレースを走った事のある実力馬ばかりだった。
「サクラヒヨリも昨年は共同通信杯で牡馬相手に勝っていますし、ぜんぜん気にしている様子はないですから。それと多分ですがさっさとレースを終わらせてお姉ちゃんを追いかけるんだって感じかもしれませんよ?」
サクラヒヨリの馬房にミナミベレディーのポスターを貼っては見たのだが、予想に反してサクラヒヨリは今ひとつ反応が良くなかった。てっきりポスターに擦り寄ったりするのかなと思っていた香織達は思いっきり予想を裏切られる。
ただ、ここから武藤厩舎の厩務員達の試行錯誤が始まった。効果が無かったので終わるのではなく、なぜ効果が無いのかの検証に入った所がどこか可笑しい。
「立体ではなく平面だと認識されないとかでは?」
「匂いが無いからでは?」
それぞれに検証する中で、幾多のポスター達が犠牲になっていった。特に、ポスターにわざわざ借りてきたミナミベレディーの冬着から匂いをつけた物などあっという間にサクラヒヨリに破られてしまった。
「なあ、このミナミベレディーの冬着を馬房に入れとけばいいんじゃないか?」
「いや、それだと何か負けた気になる」
武藤厩舎の厩務員は何と戦っているのだろうか。
結局、サクラヒヨリの向かいに若干立体的に見せたミナミベレディーのポスターが一番効果的であった。ただ、ミナミベレディーの馬着がサクラヒヨリのお気に入りとなりボロボロになって馬房の隅に置かれていて、馬見厩舎に謝罪及び新しい馬着が贈られ、武藤調教師が馬見調教師に謝罪した話はそれなりの人達には広まったのだった。
流石に最初のポスター以降は関与していなかった香織は、その後の顛末を聞いてやはり苦笑を浮かべるしか無かった。実際の所、馬房の向かいに貼られたミナミべレディーのポスターをサクラヒヨリがどう思っているのかは判らないが、それでレースまでの間少しでも落ち着いてくれればと願っていた。
「うん、良い感じですね。勝ち負けは行けそうです」
「みんなの努力の賜物だ。頑張ってくれ」
「はい」
その後、本馬場へと入りゲート前で何時もの様にぐるぐると周回する。
「落ち着いてるね。ヒヨリは良い子だね」
「キュフン」
やはり若干の緊張を見せるサクラヒヨリを、何時もの様に首をポンポンと叩いて宥めていく。そしてゲート入りも問題無く、いよいよスタートとなる。
ガシャン!
大きな音と共にゲートが開き、サクラヒヨリは綺麗なスタートを見せた。
「よし! 最高のスタートだよ!」
何時もの様にサクラヒヨリを褒め、香織はそのままサクラヒヨリを加速させ先頭に躍り出るのだった。
◆◆◆
桜川はレースが中山競馬場という事も有り、家族を連れてのレース観戦となった。
「お父さんのお馬さんが1番人気なんだぞ」
息子と娘にそう言って連れて来たのだが、子供達はすでにポニーに乗ったり、キッズ広場で雲の絨毯などで思いっきり遊んだ後でありお疲れモードだった。
「今日は天気が良かったので思いっきり遊べましたから」
そう言って笑う妻を尻目に、娘を見ると今日も又ターフィーショップで買って貰ったタンポポチャの以前とは別バージョンのぬいぐるみを胸に寝息を立てていた。
「僕は起きているよ」
明らかに眠そうな様子を見せる息子だが、ここは空気を読んで必死に眠気と戦っているようだ。
「レースまでもう少しだからな」
その様子に苦笑を浮かべながら、桜川はターフビジョンに映る馬達のゲート入りを見た。
「頑張って欲しいですね」
「そうだな、何と言ってもGⅠを2勝してくれているからな」
GⅠ馬であるから故についつい期待してしまう。サクラヒヨリの場合はそれこそ全姉であるミナミベレディーの活躍があるが故に自身も、周りの期待も非常に高い。そのプレッシャーに武藤調教師など胃薬が手放せなくなったなどの話も漏れ聞こえてくる。
「まあ、あちらは3姉妹での桜花賞勝利などの期待もあるからな」
桜川から見て、現状のサクラフィナーレで桜花賞となるとかなり厳しいように思える。昨年の同じ時期のサクラヒヨリを知っているだけに、どうしても2頭を比較してしまうのだ。
「フィナーレで共同通信杯は無理だからなあ」
思わずそんな言葉が零れてしまうが、ターフビジョンではゲートが開き各馬が一斉に走り出した。
「よし! 良いスタートだ!」
4番のゼッケンを着けたサクラヒヨリが好スタートを切って先頭を窺う。しかし、外枠で好スタートを切った11番の馬がサクラヒヨリに並びかけて来る。
「11番はキンメッキかあ、持久力のある馬だが末脚が弱いのだったか? 逃げ狙いだろうか」
11番のキンメッキの鞍上で騎手の手が動いているのが見える。そして、そのままキンメッキを先頭に1コーナーへと入って行った。
「お父さんどうなっているの?」
息子が今の状況を尋ねてくる。中々にレースの展開を子供に見なさいと言っても難しい。
「ほら、前から2頭目にいるお馬さんが見えるかな? ゼッケンに4番と書いているあれがサクラヒヨリだぞ」
「あ、判った!」
まだ先頭にいるから判りやすいが、馬群に入ってしまったりすれば中々に判りにくいだろうな。
桜川はそんな事を思いながら、レースの展開を見る。
先頭のキンメッキが後続に4馬身程差をつけて逃げを打っている。その後ろではサクラヒヨリ、そのすぐ後ろに6番サイオウデショウ、2番ツキノミチビキが続き、後ろ正面へと入る。
「いいか、この中山競馬場は3コーナーの入りが重要なんだぞ。だから後方の馬がここで動くかもしれん」
息子にレース展開を説明すると、息子も真剣な表情でターフビジョンを見ているのが微笑ましく感じる。
私もこれくらいの頃に良く競馬場に連れて来て貰ったからな。
かつての自分を思い出しながら、そして懐かしく思いながら、息子とレースを観に来るような年齢になった事を感慨深く感じていた。そんな桜川の見ている前で、3コーナーへ入った所でサクラヒヨリが一気に前との距離を詰めに入ったのが判った。
そのサクラヒヨリの動きに釣られるように、他の馬達の動きも一気に慌ただしくなる。中団に位置していたカチドケイに騎乗する騎手の腕が動いているのが判る。そして、3番手に控えていたサイオウデショウがサクラヒヨリに被せるかのように馬体を外から合わせに行く。
「これは、直線でキンメッキが邪魔にならないか?」
サイオウデショウが外から被せている為にサクラヒヨリは外に振り辛くなっている。恐らく騎手の狙いはそこにあるのだろう。ただ、最後の直線へと入った時にキンメッキと内ラチとの間に開いた隙間にサクラヒヨリが飛び込み、そのまま後続を突き放しにかかった。
「おお、鈴村騎手も成長したなあ」
思わずそんな感想が漏れるくらいに危なげない騎乗に見えた。
そして、サクラヒヨリはそのまま先頭でゴールを駆け抜けるのだった。
「すごい! お父さん、勝ったよ!」
傍らで拳を握りしめながらターフビジョンを見ていた息子が、満面の笑みで自分を振り返って喜びを表す。その姿を見ながら、桜川は息子もきっと競馬に魅入られていくのだろうなあとそんな事を思うのだった。
レースのお話をちょっと変えて馬主さん視点にしてみました。
レース展開などが同じようになっちゃうので、変化をつけてみようかと><
特にヒヨリやフィナーレはお話しませんしw




