130:鈴村さんの一日とサクラヒヨリ
「あ~~~、日増しにヒヨリのご機嫌が悪くなってるんですか」
香織は、ヒヨリが出走するアメリカジョッキークラブカップへ向けてサクラヒヨリの調教を行う為に3日ぶりに武藤厩舎へと顔を出していた。
昨年のミナミベレディーの失敗を教訓として、武藤厩舎はエリザべス女王杯後にレース間隔を空けすぎないように短期放牧を行い、1月のレースへと照準を定めた。
そこまでは良かったのだが、関係者が懸念した通りにサクラヒヨリはミナミベレディーと会えない時間が長くなれば長くなる程に苛立ちを表に出すようになった。
「鈴村騎手がいるときは良いのですが、他の調教助手などだと思うように走ってくれなくなってきていますよ」
武藤厩舎の調教助手が苦笑を浮かべながら香織に答える。
実際の所、香織が調教している時にはそれ程に問題行動をとる様子はない。
ヒヨリはミナミベレディーに認められている香織を、自身より群れの上位者として認識しているからであろう。また香織に対しては、以前からも甘えるような仕草をする。
ここ最近では、やはりミナミベレディーに会えないのが寂しいからか、香織に対しては逆に調教が終わり馬体を洗い終わった後で香織を引き留めるように服を引っ張るような挙動をするようになってきている。
「ベレディーの音源もだんだん効果が薄くなってきてますよね」
「そうですね、まるでミナミベレディーがいないのに嘶きだけ聞こえるので怒っている気もします」
そう言う調教助手を見ながら、香織は苦笑を浮かべる。
レースなどで一時的にどちらかが不在の事は良くある。この為、今までも似たような状況は多々あったのだが、サクラヒヨリが美浦トレーニングセンターにいる際はベレディーかフィナーレと調教をする事が普通となっていた。そうでない時も勿論あったが、此処まで長い期間は初めてだった。
「ベレディーとフィナーレが揃って放牧されていますからね。うちのテキも気にはしていましたが2週目でこれですから、流石に来週はどうなるか心配ですね」
調教助手の言葉に、香織も少し心配になって来た。
「今後はこういったケースも増えていくと思いますから、ヒヨリには慣れて貰わないとなんですが。そうですねぇ、いっそのことヒヨリの馬房にベレディーのポスターでも貼っておきます?」
ポスターが馬の目でどの様に見えるかは判らないが、ポスターと音源の両方を使えばもう少しヒヨリの気を紛らせる事が出来るかもしれない。
香織自身も部屋にベレディーのポスターをベタベタと貼っているし、それで確かに落ち着くところはある。
「確か馬見厩舎に使用していないベレディーのポスターがあったと思います。馬見調教師にお願いして貰ってきますね」
「馬にポスターってどう見えるんでしょうか?」
ポスターの効果に懐疑的な表情を浮かべる調教助手に対し、香織は少し考えて返事をする。
「ちょっと違うかもしれませんが鏡に映った自分に吠える犬もいますし、ヒヨリがポスターを見てベレディーだと認識してくれる可能性はあると思います。でも、そうですね、どうせ見せるなら牧場にいるベレディーの映像を見せる方が良い?」
「いえ、もしそれでベレディーが放牧されていると判ってしまったら怖いので」
武藤厩舎の面々も、もちろん馬見厩舎の従業員達も馬に対しての認識がこの1,2年で大きく変化していた。その為、ヒヨリが録画された映像を理解する可能性があっても可笑しくないと思っている。ただ、それ故に映像を見せる事は逆に問題が有るような気もした。
「とにかく来週末がレースですから、それまで何とか気持ちを維持させないとですね」
「はい、そこは我々が。ただ、無理を言うようですが、鈴村騎手も出来るだけ調教に来ていただけると」
そう言って香織に頭を下げるのだった。
そして、香織が調教の為にサクラヒヨリの所へと向かう。すると、すでに準備運動などを終えたサクラヒヨリが遠目に見えたが頭をブンブンと振ってご機嫌斜めの様だった。
「ヒヨリ~~~、どうしたの~~~」
遠目から香織はサクラヒヨリへと声を掛ける。すると、香織に気が付いたサクラヒヨリは途端に態度を一変させたようだ。
「キュヒヒン、キュヒヒン」
尻尾をブンブンさせながら、香織を出迎えるサクラヒヨリに香織は思わず笑顔が零れた。
「ヒヨリ、今日も元気そうだね」
「キュフフン」
香織が近づいて行くと、更に尻尾をブンブン回し香織へと鼻先を突き出していく。その鼻先を優しく撫でてあげると、サクラヒヨリは目を細めて気持ちよさげにした。
「寂しかったかな? でも頑張らないと勝てないからね。頑張ろうね」
「キュヒン」
香織の言葉に返事をするサクラヒヨリを撫でながら、そのまま騎乗し調教コースへと向かっていく。
「今日も坂路を2本だからね。あとでゆっくりお散歩もしようか」
「キュフフフン」
私の言葉が判る訳ではないだろうけど、いつもベレディーが返事を返すからか自然とサクラヒヨリも返事を返すようになったなあ。
そんな事を思いながら、首筋を優しく撫でながらコースへとサクラヒヨリを誘導していく。
そして、コースへと入るとサクラヒヨリは明らかにご機嫌な様子で軽やかに走りだす。その走る様子を鞍上で慎重に探っていくが、特に問題となるような様子はない。
「うん、良い感じだね」
サクラヒヨリは香織と走る事にご機嫌で、ペースに気をつけないと速度を速めすぎてしまうくらいだった。
「ヒヨリ、もっとゆっくりで良いからね。まだウォーミングアップなんだから」
香織の声に耳をピクピクさせるサクラヒヨリ。ただ、判っているのか判っていないのか、ペースはやはりやや早めで駆ける。その為、香織はペースを維持するのに苦労するのだった。
その後、坂路へと向かい此処も馬なりでいくが、サクラヒヨリはここでも手を抜くことなく駆け上がっていく。
「ヒヨリも坂路を嫌がらないから助かるわ」
ベレディーやヒヨリなどは鞭を使えないけれども騎手の指示に真面目に走ってくれる。ただ、勿論そんな馬ばかりではない為に、日々他の馬の調教では香織も苦労させられていた。
その後、香織はサクラヒヨリをクールダウンさせるためにゆったりと外周を回る。
「ヒヨリ、いい子だね」
「キュフフン」
優しく声を掛けながら、ヒヨリの様子を見る。
香織に甘えるような仕草をするのは元々群れを作る生き物だし、あれだけベレディーに懐いているんだから仕方ないよね。
ましてや甘えてくれればより可愛く感じるものだ。もっとも、ここでベレディーの名前を出せば余計にヒヨリが寂しがる気がする為に、ここ最近の香織はあえてベレディーの名前を出さないようにしていた。
その後、サクラヒヨリの馬体を綺麗に洗い、軽くマッサージをして馬房へと戻す。
「キュヒヒヒン」
「また明日も来るから大丈夫だよ」
「キュフン」
明らかに香織を引き留めようとするサクラヒヨリの鼻先を優しく撫で、そう声を掛けて馬房を後にする。
若干後ろ髪が引かれるような気持ちになりながら、香織は武藤厩舎へと顔を出し今日の報告をする。その後に今度は馬見厩舎へと向かった。
「こんにちは」
そう言って香織が厩舎へと入っていくと、馬見調教師と蠣崎が顔を合わせて打ち合わせ中だった。
「鈴村騎手、調教終わりですか?」
「はい、ヒヨリの調教を最後に持ってきましたので遅くなりました」
ミナミベレディーの様子の確認や今後の予定などの打ち合わせを行う為に来たのだが、思いの外遅くなったことを謝罪する。
「いえ、鈴村騎手も忙しい中ありがとうございます」
香織の騎乗機会は昨年の活躍の中で確実に増えていた。その為、レース前の調教を行わなければならない馬も増え、以前のようにヒヨリやベレディーだけに時間を割く事は難しくなっていた。
馬見調教師達は勿論その事を理解していた為、逆に毎日のように馬見厩舎へと顔を出してくれる事に恐縮していた。
もっとも、香織はベレディーの様子が気になっている為という理由が大きいのだったが。
「ベレディーは今日も特に問題が無いとの事です。サクラフィナーレと牧場内を駆けまわっているそうですが、そのお陰か状態は悪くないそうですね。あと、本日栗東の太田厩舎からサクラハヒカリの産駒プリンセスミカミが牧場に到着したそうです。ベレディーに非常に懐いている様子だったと連絡が来ています」
毎日のようにミナミベレディーの様子を聞きに来る香織に対し、馬見調教師は煩がる事も無くその日の様子を教えていた。そして、何時もの様に情報交換をして香織は帰宅しようと席を立ちあがった時、今日は更に馬見調教師に頼みごとがあったのを思い出した。
「あ、馬見調教師、ベレディーの天皇賞出走の時のポスター余ってませんでした? 出来れば2本程分けていただきたいんですが」
「え? ええ、大南辺さんに頂いて貼る所が無くてそのまま置いていますが。入用ですか?」
「はい、ヒヨリがベレディーがいなくて寂しがっているので、ヒヨリの馬房に貼ってあげようかと」
苦笑を浮かべそう告げる香織を、馬見調教師と蠣崎は不思議な物を見るような表情で眺めるのだった。
何か綺麗にお話が纏まらなかったような・・・・・・
部分的に文章を変えて、そうすると他が変に感じて、結構書き直しました><
ベレディーが出てくると話が進むのですが、香織さんだけだとボケれない?




