121:有馬記念 中編?
タンポポチャより更に4頭ほど後ろで、ファイアスピリットに騎乗する立山騎手はレース全体の流れを把握しようとしていた。有馬記念を2度制覇しているファイアスピリットの3連覇という偉業に向け、当たり前に勝つための方法を試行錯誤している。
「逃げ馬が居て、ペースは・・・・・・。中盤でもう少し前に押し上げないと不味いか」
立山騎手の希望としては、もう少しハイペースになって先行馬の地力を削って欲しい所ではあった。ただ、今の状況も決してファイアスピリットにとって悪い訳では無い。
先頭を走るプリンセスフラウの様子を見る限り、決して無理をさせているようには見えない。向こう正面で息を入れる為に馬群はもう少し短くなるだろう。しかし、最後の直線を勝負どころとした時、プリンセスフラウとの距離を5馬身程にしておけば十分に勝ちは見える。
ミナミベレディーは3コーナーから4コーナー辺りでロングスパートに入るだろうな。
天皇賞秋のような息を入れぬレースを警戒しての逃げ封印なのだろう。オールカマーにおいて最後の追い込みも非凡な才能を見せたミナミベレディーだが、まだファイアスピリットの方が末脚では優位だろう。
最初のスタンド前の正面直線を過ぎ、坂を駈け上る。
ヒガシノルーンが2番手に上がり、ミナミベレディーの後方にトカチマジックがつけたのが見えた。
その態勢のままファイアスピリットはカーブへと入る。
そんな中において、タンポポチャは変わらず中団8番手を走っている。恐らく無理をさせない騎乗なのだろうが、鷹騎手がこのまま大人しくレースを終わるとは思えない。
タンポポチャに並びかけるのは、得策ではないのだがなあ。
ミナミベレディーは最後の粘りの怖さがある。最後の二の足も持っている。しかし、切れのある末脚というよりは、ジワジワと伸びて来る印象が強い。それ故に、ファイアスピリットとしては最後の直線に入った所から坂迄で一気にミナミベレディーをかわし、突き放したいところだ。
「タンポポチャの動きに合わせたいが、あちらは恐らくギリギリまでスパートを抑えるだろうな」
タンポポチャが此処で無理をする必要は無いだろう。掲示板に載れば御の字だろうが、それでも勝ちを狙うならば最後の直線しかない。ただ、この2500Mに限ればスタミナ的にもファイアスピリットの方に分がある。
「まだ動きたくねぇなあ」
立山騎手は、コーナーに入り向こう正面へと向かいながら、前へと進むタイミングをみはからっていた。
◆◆◆
花崎はオーナー席に座りモニターを見つめていた。
磯貝調教師、鷹騎手がタンポポチャの有馬記念出走を渋る中で結局は自分の指示で有馬記念へと出走する事となった。レースでは何が起きるか判らない。GⅠをこれだけ勝った牝馬、この後の繁殖においても期待されている。タンポポチャの産駒は恐らく高値がつくだろうし、その中で若しかするとGⅠを勝つ馬が出てくるかもしれない。
花崎も二人と同様にその将来を夢見る一人だった。
ただ、エリザベス女王杯のレース後に、改めて録画を確認した。
周りからの声などに影響を受けていないとは言えない。しかし、前年のエリザベス女王杯と今年のエリザベス女王杯では明らかに違ったように見えた。
そして、レース後に周りからタンポポチャの様子を聞いた時、タンポポチャは何かを探しているようだった。人によっては明らかにミナミベレディーを探していたのではという言葉も聞こえて来た。
ミナミベレディーはタンポポチャと非常に仲が良い。それは今や競馬界において誰もが知っている事だ。
それでいて、タンポポチャはミナミベレディーと共に戦い、勝つ事を何より望んでいる気がする。
そんなタンポポチャにとって、今年一年を通し1度もミナミベレディーと同じレースを走った事が無い。
競馬場では常にミナミベレディーの姿を探す。レース前にトレーニングセンターでミナミベレディーと共に調教を受けようとも、競馬場でミナミベレディーを探す仕草は必ずするという。
この有馬記念のパドックで、タンポポチャはミナミベレディーの姿を見つけた。そして、ミナミベレディーと共にレースを走る事が出来ると知ったタンポポチャは、明らかに気合が入ったように見えた。
「競走馬が持つ思いとは何なのだろうね」
思わずそんな言葉が零れる。
サラブレッドは走る事でその存在を示す。しかし、それは我々人間が思う事であり、肝心の馬自体が何を思って走っているかなど花崎は考えた事も無かった。
それでいて、馬もレースの勝ち負けをしっかりと感じ取っている。レースに負けた時には、馬は負けた事を、勝った時には勝利した事をキチンと感じ取るのだ。
であるならば、タンポポチャは今年のエリザベス女王杯において力を温存したのかもしれない。
馬は賢い。それこそ自分が今年引退する事を何となく感じ取っているのではないだろうか? であるならば、タンポポチャは最後にミナミベレディーと共に走るレースの為、そのレースでミナミベレディーに勝つために力を温存したのではないだろうか。
そんな馬鹿な考えが頭を過ぎった時、花崎はタンポポチャの有馬記念出走を決定していたのだった。
「タンポポ、悔いを残すんじゃないぞ」
有馬記念のモニターでレースを食い入るように見ながら、花崎はそうタンポポチャへとエールを送るのだった。
◆◆◆
香織はベレディーの手綱を握りながら、勝負の仕掛け処を必死に読み取ろうとしていた。
決してプリンセスフラウを甘く見ている訳では無い。しかし、香織はプリンセスフラウ以上にファイアスピリットの事を警戒していた。
プリンセスフラウが逃げる事は想定内であり、馬見調教師達と共に2番手、3番手につけながら最終の3コーナーからスパートを掛ける。そして、プリンセスフラウへと並びかけ、最後は粘り勝ちを狙う。
もっとも、それはあくまでも想定でしかない、また追い込み馬であるファイアスピリットは騎手、馬共に有馬記念のコースを熟知している。それ故にプリンセスフラウ以上に注意が必要だと考えている。
流石にタンポポチャはこの有馬記念は厳しいと思うけど、鷹騎手だからなぁ。
「此処までは想定内、ここから先は未知の領域」
すぐ前を走るヒガシノルーンをこの向こう正面の直線で並びかけ、または抜き去り、ここからスパートへと繋げる予定だった。その為、直線に入った所でヒガシノルーンの様子を窺う形で軽く仕掛けてみたが、ヒガシノルーンはミナミベレディーに合わせる形で加速した。
「コーナーで並びかけられると嫌だね」
後ろへと視線を向ける事無く蹄の音を聞きながら様子を窺う。
トカチマジックは淡々とミナミベレディーの後ろを追従している。しかし、ロンメル騎手の狙いとすればミナミベレディーのロングスパート封じだろう。そうすると、当たり前にコーナー手前が仕掛け処となる。
「プリンセスフラウも思ってた以上に余裕がありそう」
ヒガシノルーンとは既に1馬身程の間隔になっているが、恐らくプリンセスフラウも自分と同様にコーナーからのロングスパートへと入ると思われる。ただ、ミナミベレディーとプリンセスフラウ、この2頭でどちらの末脚が優れているのか、それは以前とは違い戦ってみないと判らない。それほどまでにミナミベレディーは4歳になってから成長した。
ベレディーだって強くなった。あとは此処からの展開で油断しなければ・・・・・・。
「ベレディー、今年最後のレースだし、怖いのは前を走っている馬だけじゃないよ。タンポポチャも、ファイアスピリットも、今日が最後のレースだし、油断できないからね。頑張って勝とうね」
ミナミベレディーの鞍上で、香織はミナミベレディーへとそう語りかけるのだった。




