118:有馬記念 レース前
気が付けば有馬記念の前日となっていた。
週の初めにはタンポポチャが美浦トレーニングセンターへと移動し、午後の調教をミナミベレディーと共に受けていた。この為、タンポポチャの仕上がりは磯貝厩舎の関係者達から見ても万全の仕上がりとなっている。
「悪くないどころか絶好調だな。ここで引退させてしまうのが惜しいくらいだ」
磯貝調教師が思わずそう零してしまうくらいに、タンポポチャの調教でのタイムも、反応も、全てが満足の行く状態だった。
「そうですね、来年も短距離に絞ればGⅠを勝つ事も出来る気はします。本当に引退させてしまうのが惜しいですね」
磯貝調教師は調教助手の言葉に頷きながら、このタンポポチャのラストランとなる有馬記念へと意識を向ける。
「ミナミベレディーも調子は良さそうだったな」
「そうですね、何時もの様に最後の直線での競争はタンポポチャが勝っていましたが、レースでしかも2500Mともなれば持久力の差は出るでしょう」
タンポポチャで芝2500Mともなると、最後の末脚が何処まで発揮できるのかは未知数だった。恐らくだがミナミベレディーは逃げか先行策で来るだろう。そこでタンポポチャを前寄りに走らせたとしても、結局は余力を削られて終わるのが目に見えている。
だからといって、後方から追い込みで交わせるほどミナミベレディーは甘く無いからな。
4歳に入ってからのミナミベレディーの充実ぶりには目を瞠るものがあった。
そして、タンポポチャをミナミベレディーと同じレースに出走させていたとしても、勝てる展開が見えてこないのだ。
「普通に走れば勝てないな」
「出来れば馬群に囲まれて欲しいのですが、スタート巧者ですから。枠順も5番と悪くありません」
もっとも、エリザベス女王杯を勝って有馬記念へと出走を決めたプリンセスフラウが枠順で3番と更に内にいる為、この2頭による先頭争いになるのは目に見えていた。
「展開に頼るしかないが、タンポポチャは中団からの差しで勝負するしかない」
「そうですね。ファイアスピリットはどうやら追い込みで勝負するみたいですね」
立山騎手としても今年は今ひとつ振るわなかった年となった。有終の美、更には有馬記念3連覇の偉業の為にも有馬記念で何としても勝ちを拾いたい所だろう。
その他、トカチマジックは恐らく中団前よりに位置してのレースになるだろうし、ジャパンカップを勝ったヒガシノルーンは前走同様に前寄りからの差しになるのだろう。
「人気はともかくとして、各陣営としてはミナミベレディーをマークするだろう。レース全体が高速レースになるかどうかでも展開は変わると思うが、まずはミナミベレディーとプリンセスフラウが削り合ってくれる事を願うしかないな」
芝2500Mをどう走り切るか。ただ、ここで間違ってもミナミベレディーと競り合いをさせてはならない。最後の直線ゴール前でミナミベレディーを差し切る。ミナミベレディーに粘らせる事無く抜き去る事が大事だと磯貝調教師は思っていた。
「しかし、出来れば雨でも降ってもらいたかったな」
ミナミベレディーが、そしてサクラヒヨリが雨を苦手とする事を磯貝調教師は気が付いていた。しかし、明日の天気予報は生憎と快晴だった。
◆◆◆
中山競馬場へと北川ファミリーはお昼前に辿り着いた。
レース自体は午後の為にそこまで急ぐ必要は無いのだが、大南辺さんのみならず、色々とお世話になっている十勝川さん他挨拶をしなければならない人達が、今日は此処に集っていた。
「うわぁ、流石は有馬記念だね。人がいっぱい」
「そうねぇ、この人混みだとはぐれてしまえば出会うのも大変ね」
「指定席だから心配はないがな」
事前に指定席を確保していた為、慌てる事は無いのだが、今回もミナミベレディーの応援横断幕を作成していた為に、早めにパドックで横断幕を掲示する為の場所を確保しなければならない。
その為、馬主席に集っていた人達に挨拶をして、早々に家族揃ってパドックへと移動して来たのだった。
「うわぁ、トッコの応援横断幕がうち以外に3か所もある!」
「あら、流石は人気投票1位といったところかしら」
「そうだな、わざわざ横断幕を作ってくれるとは」
家族で協力して横断幕を張り終えた後、周りに掲示されている横断幕を眺めていく。
すると、流石は有馬記念というべきなのか、GⅠ馬が多数いる為か、各馬の趣向を凝らした横断幕がパドックの柵の至る所に張られている。
北川夫妻はトッコの横断幕の後ろにいる競馬ファンと思しき人達と目が合うと、思わず感謝の気持ちを抱いてお辞儀をしてしまう。すると、相手も此方の横断幕に気が付いたのか笑顔でお辞儀を返してくれた。
何となく気持ち的にも温かい物が胸の中に湧き上がって来る。
そんな中、3つの横断幕の一つを見て、北川一家は皆が揃って怪訝な表情を浮かべてしまった。
「・・・・・・あれって、テレビ局の人よね?」
「そうねぇ、明らかにADさんぽいわね。前に細川さんとご一緒している所をお見かけした事があるわ」
「テレビ局の人が横断幕って、もしかしてテレビ番組の為? これってやらせになるの?」
「どうかしら? 横断幕を増やしただけではそう言った事にはならないんじゃないかしら?」
見渡すと思いっきりパドック周辺を撮影しているカメラがある。そして、カメラはパドックに掲げられている応援の横断幕を撮影しているのが判る。
「番組的にあれなんだろうけど、何だかなぁって気持ちになるね」
「そうねぇ、でも細川さんが来ていると思うわよ。まだお会いできてないわね」
番組のメインリポーターのような立ち位置になっている細川が、競馬場の何処かに居るのは確かなのだろう。ただ、今ぱっと見渡す限りにおいては何処にいるのかが判らなかった。
「う~~~ん、そろそろトッコ達がパドックに出て来るから、居てもよさそうなのにね」
「ですね~~、だから横断幕に気が付いて、こっちに来ちゃいました!」
「ほへ?」
桜花の真後ろから声が聞こえて来て慌てて後ろへと振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべる細川の姿があった。
「皆さんお久しぶりです~。いやぁ、せっかく映像に残すならこっちでしょ! 桜花ちゃん手作りの横断幕! 併せて北川牧場の皆さんもいるし、絵になりますよね!」
「あ、細川さん、ご無沙汰してます」
「やだ~、桜花ちゃん堅いよ! ほら、美佳さん、または美佳ちゃんで良いよ! ほら、スマイルスマイル!」
相変わらずのテンションに、若干引き摺られながらも桜花達は挨拶をする。その間にもバタバタとテレビ局の人達がマイクだ何だと準備をしている。
「細川ちゃん、そろそろ映像はいるからね~」
「は~い、北川牧場の御嬢さんも巻き込んじゃいますね~」
「え? え? なに?」
「桜花ちゃんは前にも番組に出演していますから、問題無いですよ~」
「え? え?」
なんの躊躇いもなくテレビスタッフに了解をとる細川に対し、桜花は何が起きているのか判らないままテレビの撮影は始まっていたりする。もっとも、そんな戸惑う桜花を生贄にして、恵美子はさっさと峰尾の腕を取ってパドックから離れるのだった。
◆◆◆
「ベレディー、今日はタンポポチャも一緒のレースだから頑張るんだぞ」
「ブフフフフン」(うん、久しぶりに一緒だから楽しみ!)
調教師のおじさんに引綱を引かれながら、私はパドックへと入っていきます。先頭のお馬さんから5番目ですね。タンポポチャさんはと後ろを見ると、9番目くらいの所にいました。
タンポポチャさんも私に気が付いているので、後ろから思いっきり視線を感じます。
ただ、この感じも久しぶりで何となくワクワクしてきます。
「ブルルルン」(何か楽しいね)
今日は今年最後のお祭りと聞いているのもあるのかな? 何か楽しくなって来ちゃいますね。
タンポポチャさんにはヨーイドンでは勝てないですが、レースでは違うのですよと見せつけなくちゃいけません。でも、それ以上にせっかくのお祭りなんです、楽しまなきゃダメですよね?
そんな事を思いながらパドックを回り始めると、私の応援の垂れ幕? が何か所かあります。応援して貰えてると思うとそれも嬉しくなります。
「トッコ~頑張ってね~」
パドックの周りに掲げられている応援の垂れ幕を眺めながら歩いていたら、桜花ちゃんを発見しちゃいました!
「ブフフフン!」(わ~~い、桜花ちゃんだ!)
パドックで周回していると、桜花ちゃんの声が聞こえて来ました。
ワクワク感に包まれた私は、声のした方向を見て・・・・・・困惑しました。
「ブルルルン」(桜花ちゃん何事?)
桜花ちゃんの周りに、大きなカメラを担いだ人や、桜花ちゃんの上に伸びた長い棒からマイクが垂れ下がっています。いつの間に桜花ちゃんはテレビに出るようになったのでしょう?
「ん? ああ、北川牧場のお嬢さんか。良かったな、応援しに来てくれたぞ!」
「ブヒヒヒヒン」(うん、桜花ちゃん来てくれたの嬉しい!)
北海道から来るのはやっぱり大変なんだと思うんです。桜花ちゃんもまだ大学生だし、中々競馬場まで来れないみたいだから、そう考えるとやっぱり今日のレースは特別なのかな?
桜花ちゃんの前で頭をブンブンして桜花ちゃんにご挨拶します。
視線は思いっきり桜花ちゃんを見ていますし、尻尾もブンブンしていますよ。
「ベレディー、嬉しいのは判るが落ち着こうか」
調教師のおじさんが私の首をトントンします。桜花ちゃんが来てくれてすっごく嬉しいけど、別にそれでレースで掛かったりはしませんよ? 中々遠くからご挨拶って出来ないので、その代わりに頭を振っているだけなんです。
「キュヒン」
うん? 後ろから嘶きが聞こえて来たので振り返ると、タンポポチャさんがちょっと不機嫌そうに私を見ています。
うん、何か昔にもこんな事がありましたね。
「ブフフフン」(楽しいね~)
「キュフフン」
私の呼びかけにタンポポチャさんが答えてくれたのでした。




