6話・取り扱い注意のお嬢さま
クルズはサイガが退出しても、机の上で両肘をついて頭を抱え込むヴィナールに、同情は出来なかった。ヴィナールは自分のことを過小評価しがちだ。あの規格外の父親のヴァハグンのせいだとは思う。
でも、彼女の側にいる元海賊のクルズは勿論のこと、仲間のサイガや、この屋敷に仕える訳ありの使用人達は彼女を認めている。そのことを宮殿のお偉方は高く評価していた。
それを知らないのは本人ばかり。
彼女はまだ18歳。その年齢で父親が丸投げしている領地経営や、海軍の仕事を易々とこなす彼女の方が異例なのにそれに気がついてない。
──本人は父親の尻拭いをしていると思い込んでいるからな。
クルズは初めてヴィナールに会った日のことを思い出していた。あの時、驚愕した。この世に生きた人形が存在するのだと初めて知った。それぐらいヴィナールは愛らしくて美しかった。ヴァハグンに「俺の自慢の娘だ」と、引き合わされて、皆があんぐりと口を開けていたのを昨日のことのように思い出せる。
海辺の村で生まれ育ったクルズは、幼い頃に両親を亡くし孤児となった。その彼を拾ったのは海のならず者と呼ばれる海賊達で、皆と家族のように育ってきた。彼らは実入りの良さそうな帝国船や、王国の船を襲って生活を補ってきた。それが当たり前のように享受してきたが、ある日を境にその生活とおさらばした。
「宵闇の海賊」として恐れられていた自分達に、挑む者が現れたのだ。自称冒険者を名乗る男は強かった。彼に力比べで皆が白旗をあげた。降伏して彼の子分になることを決めたら、彼が思わぬことを言いだした。自分には娘がいる。その娘のお話し相手となって欲しいと。
ヴァハグンは娘には大層、甘いようだ。彼に負けてまだ納得してない部分もあった自分達は、奴に敵わないならその娘で鬱憤を晴らしてやろうと思って頷いた。
今にして思えばクズの所業。しかし、ヴィナールは伊達にあの男の娘をしてなかった。そればかりか自分達にあいつよりも上がいると認識させたのだ。
生きたお人形さんは言った。
「皆には一週間、わたしの可愛いペットのお世話をして欲しいわ」と。
ペットと聞いて皆が頭に思い浮かべたのは、貴族令嬢が飼うぐらいだから精々、猫や大型犬くらいのものと舐めきっていた。ところが彼女の飼うペットは想定外だった。
その日のうちに引き合わされたのは、ヴィナールの大親友だと言う「オクちゃん」。相手は巨大タコ。何も知らずに彼女の後を付いていき、浜辺で彼女が呼びかけた相手が海面から姿を見せた時には、海の男でありながら肝を潰した。
その時のヴィナールの、軽蔑したような冷たい目線は忘れようにも忘れられない。
翌日には湖に連れて行かれて、ヴィナールのお気に入りだという「ハングちゃん」と対面させられた。そこに向かうまでに鬱蒼とした林を抜けて、すでに嫌な予感はしていたが、やはりそれは期待を裏切らず、相手は巨大な白い水竜だった。水面から顔を覗かせた奴は、こちらを値踏みするようにねめつけてきて、チロチロと赤い舌を口先から見せ付けてきた。
ヴィナールに何かしたら、おまえらなんか一吞みにしてくれるとでも言いたげだった。
そしてそのまた翌日には森に連れて行かれて、ヴィナールの好敵手だという「テクちゃん」に会わされた。馬ぐらいの大きさのヒポグリフの姿に面食らい、仲間の誰かが「あれは何だ? 変な顔した馬……」と、言いかけた瞬間、炎が襲ってきた。ヒポグリフが口から火を吹いたのだ。
二大巨大生物を見た後だけに、引き合わされた相手が思ったよりも小さく感じられたことで気が緩んでしまった結果、招いた不幸だった。
あとから知ったが「変な顔した馬」と言うのは羽なしヒポグリフには禁句らしい。プライドが高いので屈辱を感じるのだと、ヴィナールに教えてもらった。
ヒポグリフは、前半身は鷲、後半身は馬の身体をしている。その背には羽もあったらしいが毟られているため、見た目のバランスが悪く、変な馬にしか見えなかった。
その変な馬に襲われて、命からがら屋敷に逃げ帰る羽目になった自分達は、情けなくもヴィナールに勘弁してくれと泣きついた。その時、彼女には足蹴にされたが当然の報いだった。皆、あの時に悟った。あの破天荒な男の血を引く娘は、ただ者であるはずがないと。下手に手を出さなくて良かったと。
それからは皆、彼女に逆らうこと無く姉御として崇めている。あの巨大な魔物達を手懐けている彼女に勝てる気がしない。彼女の不興を買って3匹の魔物の餌にされるぐらいなら、命を掛けた方がましだと悟ったのだ。
クルズが過去を思い返していたら、ヴィナールは天井を仰いでいた。
「全く、役立たずの親父だわ。これから着替えるから出て行って頂戴」
あのヴァハグンを「くそ親父」と悪口をたたけるのも世界広しといえど、この娘のヴィナールだけだろう。黙っていれば海の女神アストヒクのように美しい娘なのに、口から飛び出すのは毒舌。
それに嫌悪感などなくて、すんなり受け止めていられるほど、自分達は毒されているらしい。ヴィナールは「毒」という名の香水のようだ。扱い方を間違えればとんでもない目にあう。それが分かっていながらも、彼女を知ってしまうとなかなか離れられそうにないのだ。自分達はかなりの重症の部類に入るだろう。
そう思いながら静かにクルズは退出した。




