51話・これって何かの病気なの?
しばらくして帝国軍と、イディア公国の船は港へと向かった。イディア公国軍の者達は、元公子が帝国に逃げ、それを捕らえて連行してくれた帝国軍に敬意を表し、出迎えに船を出したことになっていた。
記憶を抜かれた人々が、「今日は良い天気で良かったですな」と、自然に挨拶を交わし合うのを、ヴィナールは複雑な思いで見ていた。
数分前まではお互いに戦っていたはずなのに、その事は皆の記憶から抜けているようだ。船も何も無かったように衝突する前の綺麗な状態に戻っている。
「この展開に不満かい?」
ヴィナールは、自分の手の中に収まっている、愛らしい存在から声かけられて首を横に振った。一人と一匹は港に降り立っていたが、誰もこちらを気にしていなかった。帝国軍も、公国軍も公の場に久々に顔を見せた英雄ヴァハグンに一言、挨拶しようと押しかけているからだ。
その集団の輪から外れたところに、ヴィナールとモコはいた。
「別に不満はないけど皆、綺麗さっぱり今までの事を忘れてしまっていて、神さまの力って凄いなって思っただけ。お父さまも覚えてないのかしら?」
「アラン神が記憶を抜いたのはあの場にいた人間達だけだよ。アストヒクの血を引くきみと、全知全能の神、アラマズドの恩恵を受け、アストヒクの寵愛を受けているヴァハグンには影響が出ない」
彼も覚えているとミフルに言われて、ヴィナールは納得したと同時に不思議に思った。
「モコはどうしてその姿に戻っているの? あ、もしかして今まで海上であったことを皆が覚えてないからモコのままで通しておくの?」
「きみの言ったとおりでもあるけど、それとは別にきみがこの姿を気に入っているようだったからだよ。ダメだった?」
モコの正体がミフル神だと知ってから、ヴィナールは態度を改めた方が良いのだろうかと思ったが、普段、モコには気さくに何でも愚痴って来ていたため、今更、改めた言葉遣いが出来ようはずもなく、普段通りに話しかけてしまった。
今までは黙って聞く側だったモコが、このようにお話してくれるのが嬉しかった。でも声音が愛らしい見目に反して若い男性のものなので、胸がざわついて落ち着きそうにない。
その愛らしい小羊の姿をしたミフルに、しかも上目遣いに見上げられて思わず目を反らしてしまった。自分でも良く分からない行動に焦りが出た。
ヴィナールは自分の異変を感じた。モコが凜々しい姿に変わった時に、思わず魅入ってしまっていた。
凜々しい姿をしたミフルに頼りがいを感じ、胸が大きく跳ねた。それを思い出すと顔から火が出そうになる。先ほどからモコの温もりを通じて、先ほどの彼の姿を思い出すと、動悸が激しくなるような気がする。それに目があうと、頬が照ってくるような気がする。そんな自分をミフルに知られるのが恥ずかしいような気がする。
──これって何かの病気?
「ダメじゃないけど……。理解が追いつくのにやっとなのよ。あなた、何か変な術でも使った?」
「どうして?」
「さっきから何だかわたしおかしいの。あなたを意識し過ぎているし、心臓がドキドキしてくるし、あなたと目があうと恥ずかしすぎて頬が照ってくるような気がする」
ヴィナールの発言を聞いて、ミフルは嬉しそうな声を上げた。
「今までそういうことってあった? あのアイギスって男にそういう気持ちを抱いたことは?」
「アイギス? 彼を前にしてこんな可笑しな症状なんて起こったことすらないわ」
「それはあのクルズにも?」
「クルズに? ないわ。ねぇ、これって何かの病気なの?」
ヴィナールは、このような病気には前世でもかかった覚えがないような気がした。前世はキャリアウーマンとして働いてきた彼女は、仕事が恋人と揶揄されるぐらいに仕事にのめり込んできた。
適齢期に入った頃に、お節介な上司の紹介で夫に出会った。特に優れた容姿でもなく、性格も穏やかな人で、自分の器量も並みと自覚のあった彼女は、相手に特別な想いがなくとも、結婚くらいしておくべきかと思い、相手のプロポーズに頷いた。
結婚生活は何事もなく進んだ。子供も出来たし、夫との仲も良好だったように思う。ただ、子供の手が離れてきて職場に復帰した頃から夫の様子がおかしくなった。




