20話・モコがぶつかったのはわざとじゃないよね?
「お取り込みの中、失礼致します。この者らをこちらにお渡し頂けますか?」
いつの間に乗り込んで来たのか? 気がつけば黒髪に黒い瞳をした美麗な男が、数名の供を連れて甲板の上に立っていた。品の良さそうな優男だ。彼の後ろにはこの船の隣に脇付けされたのだろう商船が見えた。こちらが停泊中のこととはいえ、彼らが乗り込んで来た事に気がつけなかった。気配を感じせずに乗り込んで来た相手を、ヴィナールは警戒した。
「あなた方は?」
「これは失礼致しました。私はイディア公国のマロフ公爵。イディア大公の命で、宵闇の海賊を名乗る者を捕らえに来た次第です。その者を速やかにお引き渡し願いたい」
「もしも断るようなことがあれば?」
男はイディア公国の公爵だと名乗った。イディア公国は宵闇の海賊討伐を掲げている。ヴィナールは厄介な事になったと思った。
「こちらから帝国に苦情を申し上げることになるでしょう。その者らは我が国の領域で海賊行為を行っていたので、こちらの国の法律に従って裁きます」
「分かりました。わたしはハヤスタン帝国海軍少佐のヴィナール・ハイク。その権限は大元帥でいらっしゃる陛下の判断を仰いでからになりますが宜しいか?」
せっかく捕らえた彼らを速やかに引き渡せと言われて「ハイ。そうですか」と、渡すのも癪に思われる。ヴィナールは皇帝の名前を出して抵抗することにした。すると、後ろ手に縛られているコルビンが懇願してきた。
「オレ達はそっちに行くよ。頼む。あのマロフ公爵とやらにオレ達を渡してくれ」
コルビンの仲間も「そうだ。そうだ」と声を上げた。
「あんた、助けてくれ。オレ達はこのまま帝国に行きたくない」
コルビンのマロン公爵への助けを求める声に、ヴィナールは不快に思った。助けてくれとはどういうことだ。自分達のしでかした事を棚に上げて。これではヴィナール達の方が悪いとでも言っているようではないか。
「あなた方は自分の立場が分かっているのかしら?」
ステッキの端を両手で握りしめていると、マロフ公爵が言った。
「この辺りはイディア公国の領域です。ここまで帝国の海軍の皆様方が出張って来られたということは、ハヤスタン帝国からイディア公国大公閣下へお許しを頂いてのことですか?」
許しもなく、イディア公国に入り込んで来たのかと言われれば、ここは素直に彼らを渡した方が良いのに決まっている。皇帝には詳細を調べろと言われているだけで別に捕縛とか命じられた訳ではない。一応、宵闇の海賊は素行不良の若者らが騙っていたと報告する事は出来る。
ヴィナールは、仕方ないと彼らを引き渡すことにした。マロフ公爵がコルビン達を連れてこの船から下りようとした時だった。ヴィナールの視界を、白いモコモコした物が掠めた。それはワンバウントして公爵にぶつかり、その衝撃で公爵が海に落ちていった。派手な水音があがり、皆が慌てて甲板の柵へと近づき下を見る。モコは柵に引っかかって短い足をばたつかせていた。
「公爵──っ」
「モコぉ?」
皆が海に落ちた公爵の身を案じる中、ヴィナールは甲板の柵に引っかかって、足をバタつかせているモコを引き上げた。
「モコ、危ないじゃない。どうしてここに出て来たの? お部屋にいなさいって言ったのに」
モコはヴィナールに注意され、首をすくめた。公爵の方はと言えば丁度、下に待機していた帆船に引き上げられていて大丈夫だったようだ。