13話・イディア公国にお仕置きするのは止めてあげる
「姉上さまのご機嫌伺いに伺ったのですよ。あの無頼漢はいないのですね?」
「無頼漢だなんて言わないで。わたくしの旦那さまよ。出来れば仲良くしてもらいたいものだけど。あの人は今、娘の元へ行っているわ」
「気に喰わないのですよ。単なる人間の身でありながら海の女神である姉上さまに手を出すなんて」
「相変わらずね。あなたって人は……」
アランと呼ばれた男は女神を見返した。女神は月の光を宿したような銀髪に、日が昇る前の暁色の瞳をしていた。アルメリア神一、美しいと言われるアストヒクは愛と美貌の女神でもある。
全知全能の神にも望まれたというその美しい女神は、海底の底にある宮殿で静かに暮らしている。
アランは盗人、詐欺の神。アストヒクとは姉弟神。気まぐれで退屈を嫌う彼は、何を思ったのか数年前からイディア公国に目を付け、人間達の記憶をいじり、公爵として成りすましていた。
人間のふりをしているが中身は神である。美貌の持ち主でもあるので異性達は落ち着かなくて、気もそぞろになる。海の眷属達も彼の神気にあてられているようでアスクヒクは忠告した。
「おいたは駄目よ。アラン。あなたが弟だからって見逃すほど、わたくしは甘くなくてよ」
「姉上さまに刃向かうようなことは致しませんよ。ただ、あの半神のヴィナールには興味があるかな」
「あなた何をする気?」
「嫌だな。そんなに私は信用ならないですか?」
「あなたが現れると碌な事がないもの」
アストヒクは銀色の髪を靡かせ、警戒の色を濃くした。
「姉上さまは私のことをご存じない。姉上さまを慕う私が危害を及ぼすはずもないのに」
アランは微笑む。アストヒクはなんだかんだ言っても同母の兄弟神に甘い。その笑みに絆されたように
「まあ、いいわ。お茶でも飲んで行って」と、応接間のソファーに促した。
「あなたは口が上手いから油断ならないわ。そう言えばあなたヴィナールの婚約破棄の件、知っていたのでしょう? どうして眷属達に口止めしたの?」
娘が傷ついたのに、知ることが出来なかったアスクヒクは悔いていた。この弟神は何を思ったのか、姉神の耳に入らないようにその事を隠し通してきた。
ソファーに腰を下ろしたアランは優雅に足を組み替えて言う。
「ようやくお耳に入りましたか? あの男といちゃついていたので他のことなどどうでもいいかと思っていました」
「そんなはずないでしょう。私にとってヴィナールは可愛い娘よ」
「一緒に暮らされてないので不仲なのかと」
「失礼ね。あなたのことだから、わたくしが愛娘のヴィナールが婚約破棄されたことを知ったら、あの小さな島国を津波に襲わせて沈没させてしまったら困ると思っていたのではなくて?」
「さすがは姉上です。そうです。今はあの国に手を出して頂きたくないのです」
「珍しいわね。あなたがそんなことを言い出すなんて。あの国には何があるの? あなたが加護を与えた者でもいるとか?」
「あそこには私の最愛がいるのです」
「……最愛?」
アランは気ままな神だ。面白いことには首を突っ込むが長続きしない。飽き性なのだ。その彼が執着を見せたことにアストヒクは驚いた。
「何か変なものでも食べたの?」
「いえ、まだ食べていません」
「これから食す予定はあるということね? ほどほどにしておきなさいよ」
ころころ気が変わる弟神のことだ。目を付けられた方はある意味最悪だと思う。
「姉上さまもあの男と子を成すほどに、気に入っておいでではないですか。私もそういったものが欲しくなったのですよ」
「あらあら。天変地異でも起きそうじゃない。ヴィナールに避難するように知らせようかしら?」
「酷いな。姉上さま。私は本気なのですよ」
結婚したくなったと言い出した弟神を、アストヒクはじっと見つめた。弟神の黒曜石のような瞳が潤んで見えた。冗談ではなかったらしい。弟神の心を掴む女性が現れたらしかった。
今までは戯れに女性に手を出してきた弟神だ。本気になったら予想がつかない。アストヒクは深いため息を漏らした。
「分かったわ。イディア公国にお仕置きするのは止めてあげる。その代わり約束して。絶対、ヴィナールには害を及ぼさないと」
「それは難しい相談ですね。私には彼女にとって何が害となるのかよく分かっておりませんから」
「危険な目に晒されるような事よ。ヴィナールに手を出したならあなたが幾らわたくしの弟でも許さなくてよ」
「畏まりました」
女神は弟神をねめつけた。しばらくは楽しい談笑が続き、彼が帰った後で夫のヴァハグンにもらった魔物の角が消えていることに気がついた。
「してやられたわ。あれが狙いだったのね。悔し~」
女神は地団駄踏んで悔しがった。