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 宴もたけなわ、ぐだぐだとアリアとリリーベルが、寝台上で昔話という名の相互拷問に花を咲かせていた時だ。

 もう今日はこれまでと思った非日常が、本日二度目の開幕ベルを鳴らした。

『HIIIiiiiiiiiiIIIIIIIIIIIIiiiiiiiiiiiiAAAAAAAAAAAAAaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 がしゃん、とリリーベルの手からボトルとグラスが落ちる。酒瓶は床上をごろごろと転がっていき、机の脚にぶつかって動きを止めた。

「な、何、今の」

 外柔内剛な彼女をして青ざめさせ、手元を不如意にさせる凶声。

 それは、戸外から殷々(いんいん)と響き渡った。

 ひいああううう、と絹を裂くような、それとも身を捩って狂乱するような、とうてい人のものとも思えぬ悲鳴。絶叫。あるいは嬌声か。

 高価な酒が白いシーツに琥珀色の水たまりを作り、あっという間に吸い込まれて行く。

『NnnnnnnnnnnnnnnnnnHiiiiiiiiiiiiiiiIIIIIIIIIiiiiiiiiiiiiiiAAAaaaaaaaaoooooOOOOOOOOOOOOooooooOOOOOuuuuuuu!』

 第二波。

 耐えきれずに、リリーベルが上半身を折り曲げ、寝台に嘔吐する。

 アリアは慌てて膝をつき、リリーベルの様子を確認した。

 彼女はえづきが治まらないものの、からまりもつれる白金糸の下、片目をつぶってみせた。

「だいじょうぶ」

 リリーベルは言いかけて、再び寝台脇にもどす。

 同時に、ふらつく状態ながら必死に立ち上がろうとし、

「――子供達が」

 と不明瞭な声でうなった。

 アリアは、とっさに自分を恥じた。

 大人は。大人というのは、年を重ねたから大人ではない。

 アリアは確かに、年齢をただ積み上げたばかりで、大人になりきれない自分を自覚している。だが、形だけの大人だろうと、社会的責任があるのだ。

(つまり、大人が子供を守らないでどうする)

 そこまで責任を放棄したら、正真正銘ドクズになってしまう。アリアは厳しい顔で、リリーベルに声をかけた。

「すまん、辛いだろうが。子どもたちの様子をみてくるよ。大丈夫か?」

 嘔吐する彼女の丸まった背中をさすり、囁くと、

「うん。うん。お願い」

 あの子たちを。

 続かぬ台詞を確かに聞いた。

「――任された」

 アリアは強張りそうになる表情を平静に取り繕い、なんとか頷いてみせた。

 きっと彼女には看破されていただろうけれども、そこはそれ、幼馴染だから仕方ない。



 夫婦の寝室を後にし、五人の子どもが寝ている子供部屋に、転げそうになりながら辿り着く。

 ドアノブに手をかけたが、指が滑って回らない。

「……っおい!」

 ――静かだ。

 嫌に静かだ。

 一切音がしない。不謹慎だが、悲鳴でも泣き声でも聞こえた方がまだいい。これだけ騒いでいるのに、無音なのは――嫌な予感がした。

(無事なのか)

 打ち消すように祈る。

(無事でいてくれ。頼む)

 汗で指が滑る。

(くそっ)

 ガチャリとノブが回る。もどかしさを覚えながら、乱暴に扉を開け放った。

 子供達は寝台の上だった。

 しかし。

 喉元を押さえ、目を限界まで見開き、ひゅうひゅうと忙しない呼吸を繰り返す。

 ショック状態なのか。

 尋常ではない。

 上は一二歳から下は四歳、五人とも同じような状態だ。

 子ども五人に、こちらの身体は一つ。半ば切れながら、アリアは自分の指を噛み切った。

(いっ――たいな。不衛生だが、命には代えられない。許してくれよ)

 涙目で血が止まらない内に、子どもたちの額に『元気回復』のマークを手早く書いていく。これも気休めだ。それでも、しないよりはずっといい類の応急処置になる。

 こうした術の各適性値SS、S(この辺はサーガ級と言われる)、A~Gによる+-評価――アリア自身は、以下である。

 魔力値E+(天災人災起こせるよ的エネルギィ値)、

 霊力値E+(精神値。カルマと密接な関係。精霊・霊的なものとの交信適性)、

 神力値G-と最低値(神との交信適性)、

 業徳(カルマ)ポイント0(極端にどちらかが+-数値を振り切るとデンジャラスな人生を送れます。幸運・悪運他奇跡にも関係。人為的に比率を歪めることも可能)

 ――以上

 もう我がことながら、悪戯小妖精イムプが指さしてゲラゲラ笑うレベルに低い。

 Eは呪物下請け業ができるぎりぎりのラインである。アリア・ウィルドは、適性からいえば質量ともに最低の呪物下請け業者だ。

(まあ、それでも、腐ってもプロの技だ)

 プロなのだと鼓舞することで、自分の不安を払拭する。指が震えていては、成功するものを成功しない。素早く緻密にだが正確に! これでアリアは糊口をしのいでいるのだ。卑下したところで、いいことなど一つもない。

(自信を持て)

 今、自分にやれることをするのだ。

 『元気回復』のマークは呪印教本でも基本中の基本。そして初期に、繰り返し描かされるマークだ。

 各適性が低い分、アリアは基本をおろそかにしてはこなかった。毎日、基本練習を欠かさず行ってきて、目をつぶったって、正確に描ける自信がある。それが今、力になるはずだ。

 簡単、速い、そして――低魔力値の者でも、入門に適したその伝導性・確実性。

 これは、本来人体が持っている回復の泉の効果を引き出すもの。大事な幼馴染の彼女の子供たち。彼らの命の泉を信じる。彼らの生命力を信じる。

(扉を開ける。そうだ、自分の魔力総量よりも、よっぽど子どもたちの生命力は信じられる――)

 血が止まると、もう一度食い破る。

(よし、五人目……息が止まっている!?)

 一番後に回した一二歳長女である。

(なぜ四歳児ではなく、一二歳が?)

 アリアは顔面が引きつった。判断ミスか。どちらにせよ、呼吸停止は、いきなりハードル高すぎる。

 ふーーーっとアリアは深く息を吸って吐いた。

(落ち着け)

 今ここに、どうにかできる大人は自分しかいない。助けを呼びたいところだが、先ほどの異音を考えると、大声を出すのは悪手だ。あれはどう考えても、ここに呼び寄せてはまずいものだと分かる。村医者の次に、こうした対応に向いているのは、呪符を専門にやっているアリアのはずだ。ここまで、判断を間違えていないか。一度自分に問う。外を徘徊している可能性のある化け物のことを考えれば、おそらく妥当なはずだ。優先順位を冷静につけていく必要がある。それが大事だ。応急処置をして、それから周囲の助けを呼ぼう。

 長女の額に、手早くマークを描き――、ああ、駄目だ。アリアは呼吸が乱れる。

 全く改善されない。息を吹き返さない。

 焦って、指が震えてきた。汗でぬるぬるする。

 どうしよう、どうしよう、と今は向き合うべきでない不安が増大していく。

(落ち着け)

 もう一度、深呼吸をする。

 脳に酸素が行かない状態が続くのはまずい。

 気道を確保し、摘み、そして口を覆う、とそこで、

「あーちゃん」

 暗雲立ち込める呼びかけに、アリアはぎくりと身をすくませた。

「な、おまっ、驚かすな!」

 ユーリーである。いつの間に背後に立っていたのか。アリアは全くけはいを感じなかった。あと、不法侵入だと思う。気になってこのあたりをうろうろしていたと言うユーリーに、若干どころかかなり、「ストーカーか」という言葉が口元まで出かかったが、飲み下す。

「なんでもいい」

 アリアは、ぶるぶるとみっともなく震える指を必死に止めながら、額をぬぐった。

 もう一回、浅く呼吸。

(気づかれるな、気づかれるな)

「お前、回復系の法術は使えるか? この子の息が止まっているみたいなんだ」

 ユーリーは、目を僅かに見開き、謝った。

「ごめん。俺、自分自身の超回復はできるけれど、他人は癒せない。聖騎士のゴンザレスならできると思う」

 顎先に垂れてくる滴を手の甲で再びぬぐう。

「そうか。聖騎士殿はいまどこにおられる? 助力を……お願いしたいんだが、至急こちらに、来てもらえないだろうか。その、対価は、できる限りのことはするつもりだ……あまり今は手持ちがないけれど……きちんと払う」

 焦りからか、声が上ずった。相変わらず、指の震えが止まらない。ユーリーは猫のように目を大きく見開き、瞳の青色を濃くした。何を考えているのかさっぱり分からない。

 先ほどの恐ろしい絶叫、悲鳴。あの正体も気になるが、優先事項は人命救助だ。

「……分かった」

 ユーリーは親指と人差し指をくわえると、何やら口笛を吹いた。かに見えた。というのも、アリアには音が聞こえなかったのだ。

「何を……?」

「犬笛。ゴンザレスなら聞こえる」

 反応に困る回答である。

 しばらくして、窓の外に何か――

「リーダー、呼んだっ?」

 窓から巨体の影だった。アリアは絶句した。早すぎる。ありがたくはあるが、ついていけないことばかりだ。

 撫でつけた栗色の髪に、はちきれんばかりの肉体美を誇るのは、日中顔合わせだけしていた聖騎士殿である。

「治療しろ」

 特に居丈高でもなく、淡々と一言告げるユーリーに、アリアの方が焦る。しかし、一目で現状を把握したのか、聖騎士はばちん! と音のしそうなウインクをくれた。

「あたしに任せて!」

 何も聞かずに請け負ってくれた。順序は逆になるが、礼となる対価の話は、子どもの容態が安定してからにさせてもらおう。そう考え、アリアはひとまず邪魔にならぬ位置取りをする。

「ううん、これは……中てられているわね。オーケイ。あたしの得意分野よ」 

 彼は跪くと、両手を祈りの形に結ぶ。 

 聖騎士の横顔は、静謐で敬虔な真摯さに包まれた。

「ハーリーハーリーハーリー! あたしの願いを聞いてっ」

 神を急かす祈りの言葉とともに、不可思議なあたたかい空気と淡い光が広がる。見えざる大きな手が、まるで場をその手の中に包むかのようなそれだ。

「!?」

 十二歳長女がげほげほと息を吹き返すのを見て、アリアは情けないことに、ずるり、としゃがみこんだ。

 死ぬほど緊張した。よかった。幼馴染に顔向けができなくなるところだった。

「ありが」

 言いかけた言葉を、非日常に遮られたのは本日二度目だった。

 ばん! と窓ガラスが蜘蛛の巣状に割れる。

 叩きつけられたのは、魔法使いの少女。

 半透明な触手が高速度で彼女を襲う。

「――なっ」

 アリアが青ざめた瞬間、地中から魔剣が飛び出した。

 叩きつけられた反動を利用し、再び虚空に飛び出す魔法使いの姿に、そしてその戦う相手の姿に、アリアは言葉を失った。

「あれは……なんなん……だ……」

 魔族。それは知っている。獣のような姿をしていることが多い。

 魔神。本日知りたくもないものを知った。やたらめったら美形だというが、そのとおりだろう。

 だが、彼らもまたこの世界の生態系を担う一つの種である。野生の動物の特徴をキメラ的に備えているか、多少でこぼこ突起があるものの、近似の形状、容姿をしている。

 しかし、これは違うだろう。

 これは。

 この世界の生き物なのか?

『HiiiiIIIIIIIIIIIIIiiiiiiiAAAooooooooooooooouuuuuuuuUUUUUUUUUUU!!!』

 悩ましく、狂おしく、哀しい、その悲鳴のような声。

 それは、人だった。

 人だったかに思えるもの。

 内臓を剥き出しにし、震え、顔面をあわ立たせ、身体は半ば溶解してゲル状、肥大化した泣き叫ぶ女の姿。

 その声はこう言っているのではないか。

 わたしを、たすけて、と。

 なぜそう思ったのか、アリアには分からない。ただ、それを見て、そう、思ったのだ。間抜けに口を開けて、震え、怯え、ただ感じるままに、アリアは――

 呆然とする私の肩を、ユーリーの手が触れた。

 払うこともできなかった。

 震えている。

 ユーリーの手?

 違う。アリアの全身が。

「あれが、『災い』。俺達が追っているもの」

 ほとんど独り言のようにして言われた言葉が、右から左に通り抜けていく。

 もう一度言おう。

 こんな厄日はもうないと思った。

 だが、二度あることは、きっと三度あるだろう。 



前回より、お気に入り100ありがとうございます。また読んでいただけてとても嬉しいです。新規の方にもありがとうございます(いらっしゃるのかわからないんですが)

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