8
トンレミ村、時刻はもはや夜半を回っている。
アリア・ウィルドは、知人の家に宿をとらせてもらい、その一室で目を覚ました。
(――嫌な夢を見た)
アリアは上半身を起こして、暗闇に目を凝らした。
今日は勇者や魔神など人外の輩がやって来て、精神的打撃を嫌と言うほど味わったためであろう。幼少時より繰り返し見ている悪夢となって、日中のストレスのしわ寄せがきたようだ。
アリアは嘆息ひとつ落として、昼間の出来事を振り返る。
日中、水晶球の伝言を聞いた後だ。魔神はやたら爽やかな笑顔で去り、とりあえず一件落着したような空気が流れた。
その後、勇者一行の聖騎士が「異変を感じて」とのことで合流し、彼もまたかなり個性の強い人物であった。一日に色んな事が起きて、アリアは心身ともに疲れ切っていた。
「ついて来るな」
表情筋も、仕事を放棄する。
一言吐き捨てると、アリアは家の残骸を後にした。
よくアリアは、「口の利き方がなっていない」と言われるが、この時もそうだった。
だが、理不尽な目にあわされて、それでもニコニコ受け入れるわけがないだろ、と非常に冷淡に思っている。
なので、アリアは静かにはっきりと、拒絶の意を示したのだ。
ユーリーはおろおろしていた。しかし、アリアにも許容限界というものがある。家屋崩壊はユーリーのせいではないにせよ、全く無関係というわけでもないだろう。少し気の毒にも思ったが、心の余裕など持ちようもなかった。
何より、悪夢の通り、アリアはこの世界を受け入れる気など、ほとんどないのだった。年を重ねて、幼少期ほどではなくなったが、許すつもりが全くない。
更に、気遣いを強要されたところで、それはこの世界への同調圧力に屈し、同化していくことに合意したに等しいと感じていた。
嫌だ、と思う。
もうずっと思っている。
死ぬまで合意などしないと思い込むのは、もう単なる意地だ。意地でしかないことも、とっくにアリアには分かっていた。だが、仕方のないことだと流してやる道義が一ミリもない。だから、分かっていて、折れたくないこともある。
――明日のことは明日考えよう。
勇者一行の破壊活動の結果、そう思うしかなかった。
どうにもならない時は、寝てしまうに限る。
路頭に迷う形となったアリアは、村で唯一酒場を営む幼なじみの家に泊まりに来ていた。
幼なじみのパートナーは、町に買いつけに行っている。そのため、二人用の寝台にお泊まり会のように一緒に就寝した。
暗闇に身を起こしたアリアのけはいを感じたのか、隣で寝ていた幼馴染が寝ぼけ眼で目をこすりながらふにゃふにゃと声をかけてきた。
「どおしたのお」
けぶるような白金髪は夜目にもふわふわと内から光を放つかのようで、眠そうに瞬く青い瞳はとろけそうに甘い。まるで砂糖菓子のような少女――ただし五人の子持ちだ。彼女のパートナーは、見た目野獣中身兎というでこぼこ夫婦の中身野獣の方である。
「ああーうん」
うまく言葉の出てこないアリアに、彼女は合点したのか、
「……そうよねえ、寝つけないわよねえ」
どっこらしょ、と大変妙なかけ声とともに、寝台を起きる。そのまま、「待っててねえ」と部屋を出て行った。
帰って来た時には、その手に大きな酒瓶と、グラスを二つ抱えている。
「じゃあん。リリーベルの秘蔵! 荒ぶる! 幻の! 火竜の酒! きゃっほー」
アリアは、表情に困って、結局半笑いになった。
(……それはあなたのファンがあなたに捧げた貢ぎ物とはいえ、ベアロ氏が……とても楽しみに……)
いや、何も言うまい、とアリアは礼だけ言うに努めた。
リリーベルの夫のベアロも、多分糸目を垂れ、「うん。うん。いいよ」と言うだけだろう。彼はまれにみるような善人なのだ。リリーベルの選択に、口を出すようなこともしない。彼ら夫婦は、お互いに自我境界がはっきりしているのだ。
気遣いが分からないほど、アリアも自分の感覚を、怒りや恨みといったもので麻痺させたままではいられなかった。
結局、どんなに線引きしても、どこかで崩れていく。それを、拒絶しきることは、もうきっと幼いころのようにはできないのだ。
怒りを持ち続けることと、この社会にあることを、どうにか両方抱えていこうとして、アリアはいまだにどうしようもなくもがいていた。
「あ、大丈夫、大丈夫。二本あるから!」
ぶいっとVサインをする幼馴染に、アリアはこらえきれず、口元を抑えた。手のひらの下、とうとう思わずといった風にはにかんで、破顔してしまう。
「へっへー」
リリーベルはもっと嬉しそうに、栓を開けて、にこにこしている。
目頭が熱くなってしまい、アリアは慌てて、凄いお酒だね、と感想を口にした。
『荒ぶる幻の火竜の酒』こと『荒幻火竜』である。
いまさらながら、アリアはちょっと真顔になる。
改めて、二本もせしめたのか、と戦慄してしまった。
(いや……某酒造のプレミア酒で、神酒として神宮に納められる他、一般にはなかなか出回らないと聞いたが……二本も……)
ラベルの象形文字が、とても神々しく、別の意味でまぶしく感じられた。
「かはーっ、おいひいいいいっ」
一杯豪快にあおった後、寝台の上で身を捩って叫ぶのはリリーベルだ。
アリアはふと、容姿と言動の不一致は残酷だ、と涙した村の男たちを思い出した。
それもなんだか勝手なジャッジではある。
この幼なじみ、幼少時は丸坊主で、正義感あふれる大変な親分気質だったため、村の男たちは、弱い者苛めなどが発覚した場合、漏れなくぼこぼこにされた覚えがあるはずだ。といっても、リリーベルは基本的に暴力を嫌っている。だから、彼女が口撃や攻撃までいたるのは、本当に言い訳のきかないレベルの「やばい」案件に限ってはいた。アリアに、「口の利き方がなっていない」と言うような村人が、えげつない行為の受け入れを強要してくる層と被っているのは、偶然ではなかっただろう。この世界に同化するということは、それらのケアと搾取を笑って引き受けることに合意させられることでもあった。
アリアが嫌だと思う以外に、昔から耐えてきた人もいたはずだ。きっと、リリーベルに助けられた村の婦女子は、アリアの想定以上に多いのだろうと思う。今も酒場のリリーベルは、聞き上手である。今日だって、アリアは陰でひとり、しくしく泣かなくてすんだ。どうしようもないときに、当たり前に差し出される助けが、どれほどありがたいものなのか。助けてと、小さくとも声を上げたら、駆けつけてくれる人がいることが、どれほど心強いものなのか。
今も昔も、アリアは、リリーベルに頭が上がらない。なぜなら、アリアは、リリーベルが好きだからだ。
「あーちゃんも、もっとのみなはい!」
色々事情を話した際に、ぽろっと昔のあだ名の話が出た途端、すでにもうアリアは「あーちゃん」呼ばわりが定着してしまった。
「もう充分飲んでいるよ」
「そうお? そうお?」
リリーベルは、下から人の顔を覗き込み、押しつけていた瓶を引っ込めると、それからふっとまじめな顔になった。
「大変なことになっちゃったね」
それは否定しない。彼女は言葉を重ねた。
「私、力になるからねえ」
「うん、ありがとう」
感謝したが、気のない返事に思われたらしい。
「社交辞令じゃないのよ? もしよかったら、しばらくうちで暮らしなさいな」
申し出は大変ありがたい。ありがたかったが、アリアは辞退した。
「いや、都市部に出ようと思うんだ」
「ええっ? あのやる気も根気もないあーちゃんがどうしちゃったのよお!」
「おい、顔をぐいぐい寄せてその台詞はちょっと酷いんじゃないか」
「きゃははっ、だけど、認めちゃってえ……る?」
「ああ、認めるよ。認めるけど、真顔で聞くのは止めろ」
アリアは引きつった顔で言いかえした。
「う、うん、でもね、茶化しちゃったけど、本当にね、本当に……無理しなくていいのよお?」
「無理はしていないさ」
アリアは気負わずに答えられた。
「どっちにしろ、財産を全部失ったんだ」
「うん……」
大丈夫、とアリアは無理せずに笑う。
「あとは、預金をおろして、しばらく都市部で呪物下請けの注文を受けようと思うんだ」
「うちでもいいじゃなあい? 困ったときはお互い様よお」
確かにそうだった。宿泊費も馬鹿にならない。
だが、なぜか、アリアはこの歳になって、都市に出ようという気持ちになっていた。
リリーベルは、じっとアリアの表情をうかがい、握り締めていた酒瓶を寝台に下ろした。「あーちゃん、変わったわねえ」
しみじみと暗がりに視線を落として言う彼女は、過去を振り返っているのかもしれない。アリアも自然と答えていた。
「変わらない人間なんていないよ」
「そうだけれど、私達の中でいっちばあん変わったのって、あーちゃんよ。逆にぜんっぜん変わってないのは、ゆーちゃんね」
ゆーちゃんとは、ユーリーのことである。皆、幼少期のあだ名で呼ぶことにしたらしい。
「人って不思議よねえ。見た目や口調や態度が変わっても、中身が変わらない人もいれば、見た目が変わらなくても、中身が変わる人もいるのよね」
前者はユーリーとこの幼馴染だろう。丸坊主から砂糖菓子の精に驚異の劇的ビフォーアフターしたものの、中身はそのままだと感じる。
「あーちゃんってば、何歳くらいだっけ? ある日突然、性格が激変したじゃない? そんでもってさあ、もう世の中全部死ね! 滅びろ! みたいに荒ぶってたわよねえ。だれかれかまわず喧嘩売ってさあ、ぼっこぼこにされても喧嘩売ってさあ。強きも弱きも見境なく喧嘩売りまくってもー見てらんなかったわよ」
「……」
アリアは、掘り起こされて頭痛のするそれらに、目を泳がせた。しょうもなさ過ぎた自覚は、痛いほどあるのだ。
「あれよねえ、おじさまとおばさまがその後すぐ亡くなって……あ、ごめんね。ちょっと、お酒を飲み過ぎたみたい」
無神経しちゃった……気をつけるぅ、と彼女は酒瓶を抱えたまま、頬に手を当てる。
「ああ、別にいい。あんまり両親とも思ってないんだ。育児放棄は有名だっただろう?」
「ウーン……」
リリーベルは、どうも納得いかなさそうに首をひねる。
「おじさまとおばさまは……引退前は高名な冒険者だったのよね」
「らしいね。よく分からんが」
アリアはグラスを適当に揺らして、生返事をした。
「そのう、スズキちゃん? って魔法使いの女の子がね、あーちゃんちがすっごい魔方陣の扇の要になってた、ってゆってたんでしょ?」
「ああ、そうらしいけれどね」
アリアは肩をすくめた。
「肩凝り腰痛歯槽膿漏だったか、そういうのとは無縁でいられるらしかったそうだ。まあ、今は……家屋ごと崩壊しているけれど」
ううーん、と幼馴染はますます眉根を寄せる。
「それってねえ……誰が作ったのかしらあ?」
その声はなぜか、殷々と部屋に響き渡るかに聞こえた。
「……さあ」
アリアは杯を手に、いい加減な返事をした。違う、思考したくなかった。
だが、幼馴染の彼女は、細い指先を華奢な顎に当てて真剣な顔で考え込む。
「あのねえ、うちの村でそういうことができるのって、おじさまとおばさまくらいなんじゃないかしらあ? 何か理由あってのことと思うのよ。おじさま方がよく家を出ていらしたのは、その半径百Kにわたる魔方陣の作成のためだったんじゃないのかしら? だって、村のあちこちにある石碑とかって、おじさま方の寄贈品でしょう? 村の外の魔方陣構成の何か? とかもそうなんじゃないのかしらあ」
アリアは答えずに杯を見つめる。
あまり考えないようにしていた。
考えたくなかった。
こちらの両親がしていたこと。
その意味。
アリアの記憶が徐々に浮かび上がり、幼い『私』を押しつぶしたのは、幼い『私』のストレスと密接に関わっている。
幼い『私』は、両親に家に閉じ込められ、育児放棄されたと感じ、常にイライラしていた。
癇癪もちで、何かに八つ当たりし、その苛立ちを紛らわすような子供だった。
そして、そのストレスや、段々はっきりとしてくる自我に比例して、前世の『私』も肥大していき、やがては白い画用紙を黒のクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶすようにして白から黒へと取って代わった。
どこからどこで途切れたともうまく言えないし、いつの時点からとも言えない。
周囲から見ると、性格が激変したというらしいが、『私たち』は途切れなどなく、徐々に比率が変わっていったとしか言えないのだ。
幼い『私』の苛立ちが、果たして両親へのそれだったのか、アリア自身の世界へ対する嫌悪であったのか、今となっては渾然一体として区別すらつかない。
完全に目覚めた『私』は、とにかく全てが許せなかった。
こちらの両親が死んだ後は、アリアを家に縛りつける者もなく、外を出歩き、道端で会う人に喧嘩を売った。あるいは、自傷行為に近いような暴力を物相手に向けては、必死に自分を保とうとしていた。
この身体は自分のものではない。そんな拒絶感、違和感から逃れようと、自分を壊そうとするマグマのような衝動をなんとか外に向けることで発散させようとしていたのかもしれない。いわゆる自己防衛機能の一種だったかのようにも思える。
さすがに自制が働いたのか、年下の子供相手ではなく、年上の村の男の子相手に喧嘩を売っては、返り討ちにあい。それでも食いついて、最後には気味悪がられていたかに記憶している。
とにかく、何かに怒りを向けずにはいられなかった。
理不尽。
憎悪。
絶望。
うずまく原色のそれらは、行き場を求めて荒れ狂い、最後には疲労から停滞し、無気力へと落ち着いたのである。
それが現在のアリアだ。
とはいえ、アリアのトラウマは、別の形でも継続している。
アリアは、いまだに、この世界を認めていないのだ。
この世界に、つながりを持つことで、以前の『私』の家族や友人が風化してしまうのを何よりも恐れ、唾棄している。
この世界に従属することは、『私』の身に降りかかったあの理不尽を、緩慢に受け入れ、許してしまことだと。
それだけは、絶対に嫌だ。
それが『私』の怒りの形だ。以前の『私』の大切な人たちを忘れぬためのよすがだった。
アリアは、自分でも分かっている。
現実を認めていない、と。
(だが、こんな現実、私のほうが認めてやらん)
そう思うのに、矛盾するように、アリアは結局この世界にいる。
「あーちゃんってば、まあた昔みたいなぎらっぎらした目つきになってるわよお」
指摘を受けて、アリアは曖昧に笑った。唇の端が強張っていた。
分かっているよ、と頷いた。幼なじみのリリーベルも頷いた。
「今夜は酒を飲むことに決めた! たまにならよし!」
「きゃはっ、つきあうわよおっ」
「もう、とにかく今だけは、何も考えたくない。家なくしてしまったけれど、酒飲んで忘れてやる」
ははははは! と酒瓶を掲げた。