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 ウィルド工房への来訪者は、突然で、しかも無断侵入だった。

「リーダー、探しましたよ」

 淡々とした声に、とっさにアリアが、ばっ、と顔を上げる。

 と、逆光に塗りつぶされたシルエットがたたずんでいる。

 ユーリーの関係者であることは、第一声で察せるものがあるが、このカオスな現場にも動じない声の主に、アリアは絶句した。

 ――お ん な の こ

 ちんまりとした女の子だ。

 ユーリーが無表情になり、警戒するようにアリアと少女との間に、自分の体で物理的壁を作った。

 お前の方がよっぽど危険で厄介なんだが、とアリアは思ったが、口にはせず、ユーリーの肩越しに少女を観察する。

 とんがり帽子に黒いぞろっとした衣装のどこに出しても恥ずかしくない正当魔法使い装束。薄桃色の切りそろえた髪に、帽子のつばの下、薄紅藤色の目をしている。

「……」 

 強制誉めてプレイ地獄を、小さな女の子に見られた。その事実が重い。地味なショックを覚えた。じわじわと、スリップダメージが効いてくる。

 しかし、説明する方が、かえってアウト案件に思われた。

 保身思考が励起され、脳内で即座に議決が採られる。

(何もなかった感じで切り抜けよう)

 アリアは真顔で結論した。そこに事実がないことにすれば、ないですね論法である。 

 だが、ここでもアリアは人物眼皆無ぶりを発揮した。

「取り込み中でしたか……」

 魔法使いは、幼い面立ちながら、ふっと口の端を吊り上げ、いわゆる嘲笑の形に歪めたのだ……ほとんどモルモットの交尾を見るかのような、冷徹な観察者の目つきだった。なるほど、完全にユーリーの関係者確定である。見た目通りの精神年齢ではないのかもしれない。

 他人のこんな場面見せられたら、胡乱な目つきにもなるだろう。同意するが、自分がそういう目で見られる側になるのは、そこそこきついものがあるな、とアリアは他人事のように思った。実際、ユーリーとは他人である。

「リーダー、お取り込み中申し訳ないのですがね」

 魔法使いは全然悪いとは思っていないだろう口調で、彼女を完全無視しているリーダーとやらに声をかける。

「敵襲ですよ」

 ――魔族です。

 アリアの体感時間が止まった。

 魔族とは、魔物より上位ランクの存在である。

 しかし、なんでこの村に。その一言に尽きた。

 いわずもがな、勇者一行狙いだろうか。ということは……アリアの中途半端に身勝手かつポンコツで、時折察しのいい頭が、とある解を導き出す。


Q.勇者はどこにいますか

A.私の家です。


 下手な推測をするまでもない。

(……魔族。ここにくるんじゃないか?)

 ……

 …

 アリアは目を泳がせ、天井を見上げ、ユーリーの後頭部のつむじを見つめ、それから現実と向き合った。

(いや、まずくないか、それ)

 現実逃避している場合ではない。

 逃げよう、とアリアは即断即決した。

 すなわち、先人の教えによれば、三十六計逃げるに如かず、という。

 計略は諸々あるが、あれこれ考えて迷うより、逃げるべきときには逃げて身の安全を保ち、のちの再挙を図るのが最上の策であるとの意だ。アリアに異論はない。転じて、面倒なことが起こった時は、逃げるのが一番よい得策とのたとえである。まったくもって異論がない。

 アリアの中の脳内第一村人が、

『化け物は化け物同士で潰しあっているがいいさ。私はただの村人なんで、一足先に失礼させてもらいます。さーせん』

 と頭を下げて、消えていった。虚礼にもほどがあるが、弱者の正論である。

 つまり、そういうことだ。

(いや待て。こんなところでどんぱちやられたら、私の家が崩壊するのでは?) 

 アリアは、ユーリーを呼んだ。

「にゃ、にゃに?」

 急に声をかけられて、青い眼に戸惑いの色を浮かべて舌を噛む彼に、アリアは完全真顔で一言告げた。

「申し訳ないが、即刻出て行ってくれ」

 とたん、ユーリーは肩を震わせ、見た目にもはっきり青ざめる。

「え、あの、あーちゃん」

 戸惑うような瞳に怯えの色を見て、思うところがないでもなかったが、ユーリーの言い分など聞いている暇はない。明日どころか今日の生活がかかっている。

「魔族とやらだが、多分お前のところに来るんじゃないのか?」

 尋ねる形だが、ほとんど確信をもってアリアは告げた。

「こんな狭い村――というか私のうちで戦闘などされては困る」

「う、うん……」

 言うべきことは、口にしておかなければいけない。

 都合よく相手が察してくれるなど、怠惰というものだ。どれだけの規模の被害が出るかもわからないことを、口をつぐんで、粛々と受け入れろなどとは、誰に言われても、首肯しかねる。

 この件に関して、ユーリーが悪いとは思わなかったが、アリアは手を緩めなかった。

「少なくとも、ここを出て、できるだけ開けた平地にでも出てもらいたい」

 ものには言い方がある。だが、すでにユーリーの言動は、アリアの中で、ただでさえ低い好感度を、更に低下させているのだ。せめて、こちらも心を無にして、淡々と言うしかない。

「あ……」

 ユーリーが口を開きかけた。

 だが、次の瞬間。

 視界が暗転し、アリアは目を見開く。気づけば、彼の腕の中に抱き込まれていた。

 ほぼ同時に、どん! と鼓膜を揺さぶる音がし、地面が揺れた。

 爆音と閃光。

 一体何が起きたのか。頭よりも先に、体の方が理解を始める。

 ――敵襲だ。

 何やらもうもうと煙が立ち込めているようだが、顔面を保護のためだろう、ユーリーの胸襟に押し付けられているために視界が狭く、周囲の状況がまったくつかめない。

 家は無事なのか。

 いや、そうじゃない、とも思うが、家屋が倒壊すれば、仕事もできなくなる。手足の一、二本も吹っ飛べば、職を失うかもしれない。自分の死はリアルに想像できないが、経済的死と困窮は隣り合わせに生々しく描くことができる。

(これは、生き残った方が、けっこう、きついな)

 それでも、少しでも有利に、命も財産も確保するしかない。できるのかどうかは問題じゃなかった。

「敵襲。上位魔神――しかもおそらく大貴族階級ですね」

 冷静すぎる魔法使いの女の子の指摘に、アリアは呆然とし、悲鳴を飲み込んだ。

 魔に連なる眷族の強さを等符号で表すとこうなる。

 魔物(異形)<魔族(主に人型)<上中下位魔神(貴族・その他)<一部上位魔神(皇族・大貴族)<魔王

 上位魔神で、しかも大貴族。それ、ほとんど頂点だろう、と言う余力すらない。

 そうか、とアリアは思った。

 もはや、笑うしかない。

 死亡フラグが立つのを、あまりにも理不尽……理不尽の三段突き……とアリアは目が死んでいた。

「大丈夫、あーちゃん」

 ユーリーが耳に口をくっつけるようにして低く、そして真剣に囁く。まるで、犬のようだった。飼い主の横暴も理解せず、ただ人間が大好きな犬。

「守るから」

 家も守って……

 そう言いたかったが、さすがに上位魔神襲撃情報に及んでは、口をつぐむ。

 ふと、全部犬しぐさだったのかもしれない、と唐突に思った。

 数年ぶりに会う飼い主を目にした犬だ。挙動不審に近づいたり、遠ざかったり、近づいたり、混乱しているやつ。

 しまいには、ようやく飼い主を思い出して、全身で飛びかかってくるのだ。二本足で立ち上がると、喜びもあらわに尻尾を高速でふりまくり、人間の顔を舐めまわす。体全部で好意を伝えてくる。

 何をされたって、人間が大好きなタイプの犬だ。

 でも、ユーリーは犬ではない。人間だ。

 犬と人間は違う。

 そして、どこか遠くに行って、二度とうちの敷居をまたがないでもらいたかった。

 もう遅い感じではあるが、今からでもどうにかならないかなと思う。

 アリアは本当に、こういう人間だった。

 希望はあっても、慈悲はない。

 触らぬ神に祟りなしというか、正直お前らと現在過去未来において一切係わり合いになりたくない。

 というのが、アリアの嘘偽りのない本心であった。

 その時だ。

「おやおやおや」

 馬鹿にするようなわざとらしい驚きの声がした。魔法使いの少女ではない。男性の声である。

 アリアはぎょっとし、ユーリーと身体を密着させたまま、とっさに口を抑えた。

 本能的な動作だった。だが、もう遅い。

 次の瞬間、鋭い心臓の痛みに襲われ、身体を折り曲げた。

 あまりに禍々しいけはいに、息をするのすら苦しくなる。アリアの低い魔力感知ですらも、針を振り切って過密に圧し掛かってくる濃厚な魔力組成の大気。

 喉が急速に渇く。うまく息ができない。みぞおちが重い。気持ち悪さに、目が回り、咳き込みそうになった。急速に遮断されていく感覚の中、ユーリーがかばうように抱き寄せてくるのを感じたが、さほど不快には感じなかった。人命救助だからだろう。逆に、礼を言ったほうがいいやつだなと、さすがのアリアも思った。この後も、生きていたらの話だが。

 麻痺する感覚の中、つなぎとめるように身体に巻きつく力は、どこか恐れるようにもしている。

 思えば、ユーリーは再会してから、力加減だけはずっとしていたわけだ。なるほど、と思った。それ以上は頭が回らない。

 ユーリーが何か言っている。呪文ではなかった。

 アリアは、胸を大きく上下させ、

「――?」

 違和感に気がついた。

(ん?)

 さっきまで吐き気と眩暈が酷かったのだが、思考が軽やかだと感じる。

 ユーリーがおそらくなにかしたのだろう。浄化魔法の一種だろうか。詠唱もなしに、凄いものだな、とアリアは驚いた。

(思考操作か。いや、本当に凄い)

『あと、魔神もはんぱねえっす』と、脳内の第二村人が合いの手を入れてくる。

 高位の魔族・魔神は、その圧倒的優位性から、精神抵抗力の少ない人間を、ただその場にいるだけで汚染するそうだが、身をもって知った。

 危なかったな、とアリアは素直に感謝した。

 ユーリーが何かシールドを張ってくれたのだろうが、もう少し遅かったら、精神崩壊か、もしくは肉体機能に何らかの障害を負っていたかもしれない。

 ユーリーが、自分の頭を抱え込むようにしているのも、魔神がアリアを直視し、またアリアが魔神を直視するのを避けようとしているのかもしれない。

 いや、知らんが、とアリアは一息吐く。呼吸がずいぶん楽になった。

 心臓の弱い人間が、驚かされると恐怖で死んでしまうことがあるらしいが、魔神も同じ。心の準備をし、また慣れれば、直視できるようになるが、何の備えもなくその魔眼で直視されれば、ショックで死亡などというのも現実にありえる話だった

「くくくっ」

 まだ目元を覆われたまま、アリアは魔神らしき人物の低い笑い声を耳にした。

「驚きましたね。今代勇者は、情緒欠如の冷血もしくはロスト・テクノロジーが蘇りし戦闘人形かと思っていたのですが――」

 嘲笑とともに、肩をすくめるようなけはいがした。

「いやはや意外や意外、あなたにも人の血が流れていたんですねえ」

 揶揄するようなそれは、真実驚きを含んでいるようだった。

 どういうことだ? 内心首を傾げ、様子を確かめたかったが、たった今死にかけたばかりである。すぐさま、魔神を生で拝むほど無謀にはなれない。

 しかし、ユーリーは何か気に障ったのか、背後に殺気を膨れ上がらせ、地を這う低音で釘を刺した。

「黙れ」

 ……あまりに感情の欠落したそれに、アリアは「は? 誰だ、こいつ??」と思わず腰が浮きかけた。

 今黙れと言ったのは、誰だ。

「おお、怖い怖い。腕の中に閉じ込めて、警戒心剥き出しで、みっともないですねえ。そんなに私に見せたくありませんか?」

 魔神は腹を抱えて大爆笑、抱腹絶倒といった感じに笑いはじけた。

「くく、ははは! 嫌だな、嫌ですね、私、ちょっと楽しくなってきました」

 ええ……とアリアはドン引きした。魔神は、ユーリーの無言にもおかまいなしだ。

「今まで本当につまらない任務でしたからねえ。恐怖も執着も感じていない人間なんて、もう最低ですよ。人間のクズです」

 魔神倫理で、クズ呼ばわりされているユーリー、めちゃくちゃ理不尽では、とアリアは目もとが引きつる。

「あなた、本当につまらない人間だったので……楽しくありません。私はね、幸せな人間が大好きなんです。人間の面白さ……いえ、人間の質はまず、愛する者がいなければ……家族、友人、そして恋人。それらの付随するものがなければいけません。そんな人間たちを見ていると、私も心から幸せになれるのです」

 視界が閉ざされている分、腕の中、居心地悪く身じろぎをしていたのを、思わず聞き入ってしまう。話の流れがどう転ぶのか、休戦などあまりいいけはいは感じられない。

「そう、幸福に日々を生きる人間たち、彼らを絶対的な死で引き裂き、踏みにじってやるのが私の最大の楽しみなのです!」

 魔神は、大変堂々と言い切った。

「幸せから急転直下、恐怖と絶望と憎悪でデコライズされた人間の感情は、もはや至高の芸術品! 実にすばらしい」

 ユーリーは動かない。

「くくくく、そんな怖い顔しないでください。その大事に隠している方、引きずり出して、魔物に犯させて、最後ぐちゃぐちゃに引き裂いた上に犬の餌にして差し上げて、あなたがどんな反応をするか見てみたくなるじゃありませんか」

『変態だああああああああああああああああああああ!』

 脳内第三村人が、各種警告を放ちながら、絶叫して消えていった。

(――変態だ)

 アリアはユーリーの手のひらの下、目を見開き、固まった。

 その時、彼女は魔神の登場時以上に、恐ろしいほどの寒気に襲われた。

 圧倒的な圧力、怒り、いやこれはもうあまりにも高温のために青白い憤怒。

「……ころす」

 平淡で、それゆえにどこまでも透明な殺意に晒され、アリアは必死に生唾を飲み下した。


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