22
――今こそ、集うがよい!! 星ぼしよ!!!!!!!!!!
何かの声が聞こえた。
神子が倒れ、突如湧き出した化け物を前に。
アリア――大沢明日香――は化け物の正体に気づかされた。
目の前の悪夢に、全ての意識を奪われ、這いつくばった。
そうするしかできなかった。
『災い』、と呼ばれるもの。半透明な女性体の巨人の内側に内臓が詰まっている。蛙の卵の管のような無数の触手が揺らめく。
何というおぞましい、無惨な姿だろう。
『災い』。それが、今、目の前に――
それ、の正体は。
アリアは、大沢明日香でもあるアリアは膝折れた。がりがりと地面に爪を立てた。
雪江。
雪江。
「ゆきえぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
虚空に、力の限り叫んだ。
届かない。届かないなら、もっと、血反吐が出るまで呼べばいい。
「姉さんだよ! お姉ちゃんだ!」
アリア、を追い越して、明日香、が自身の中に荒れ狂う。違う、心が戻って行く。女子高生だった自分へ。もっと昔の、雪江のお姉ちゃんだった私へ。
雪江をだっこして、お祭りに行った。重くないよ、って持ち上げて、一緒に写真に写ったね。雪江、大人しくて、人見知りだったね。
私と違って、雪江はとっても優しくて、かわいくて、時々憎たらしい気もしたけれど、やっぱり大事で大切な妹で。
あなたの赤ちゃんの頃を私は覚えているよ。
ちっちゃい紅葉みたいな手で、ぎゅっとするのが怖かったから、恐々触ったね。私はお姉ちゃんになったんだよって、嬉しかったんだよ。
なのに。
なのにぃい!
「おまえっ おまえっ なんてこと……あああぁぁああ、なんてことおおぉぉおおおおおお」
絶叫したいのに、喉が痙攣して、がくがくと全身がおこりのように震えた。
人間、本当に、どうしようもない状況に直面した時。
もはや、言葉にならないのだと知った。
意味のない、無様なうめき声が喉から漏れる。
少しでも溢れそうになるそれを外へ排出せねば、身体の内側が急速に膨れ上がって破裂しそうだった。
拳を大地に叩きつけ、身体をくの字に折り曲げて、アリアは全身わなないた。振り乱し、零れ落ちてくる髪の下、歯の根があわない。
がちがちと鳴るその音。
歯軋りのあまり血の味がする。
もはや怒りですらない。これは怒りじゃない。
雪江。
お前。
どんなにか辛かったろう。
宇宙空間。
そこはどんな絶望の場所だろう。
生身で投げ出されたのか。
死は、許されなかったのか。
再生され続けるその、その、苦痛は。
想像を絶して、はるかなお。
もう、お前は正気ではないだろう。
何千年も。あるいは、誰知らずして、万の年月、それすら超えてか⁉
どうか、お願いだ。
必死に慈悲を乞う。お願いだ。
正気ではいないでおくれ。
そうでなければ、それは本当の地獄だ。
地獄以外の何がある。
「ゆきえ。ゆき、え――――ッ!」
その時。
狂ったように神子へと向かい続けていた大量の触手は。
ぴたりと動きを止めた。
「……ゆき?」
そして、彼女は、彼女はまるで、己の姿を恥じ入るように。
ひときわ甲高い、悲鳴を上げて。
その姿がぶれたかに思えた瞬間、空中に溶け消えた。
ゆめまぼろしであったかのように。
私は、大地に四つんばいで這いずったまま、
「う、うあ、うあ、うああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
号泣した。
雪江だった。
間違いなく、雪江だった。
その姿が恥ずかしいと。
みられたくないのだと。
その悲鳴は!
この世界の大地に降り注いだお前の憎しみ。お前の痛み。お前の絶望。
新たに憎しみと悲しみを生み出して。
――異界の神の陣営に勝利しました。
声が、聞こえた。
――情報開示請求可能になりました。
機械的なその声は、問うた。
だから、アリアは、呆然としたまま、尋ねた。
なぜ、と。
なぜ、私達が、選ばれた。誰でもない、私達がと!! 何を基準に⁉
――その開示請求は、異界の神の領分のため、不透明な箇所があります。しかし、代理戦争勝利により、下層情報の読み取りが可能です。それでも開示を望みますか?
望む、なんでもいい。教えてくれ。納得のいく理由を!!
――異界の神子、鈴木美千瑠。参照します。父、鈴木竜間。母、鈴木雪江。旧姓大沢雪江。
「――⁉」
鈴木? 旧姓、大沢?
ふと彷徨う視線が、鈴木を捕らえる。彼女は愕然と杖を握り締めている。
え?
何?
なん、なんだ?
――異界の神は、鈴木美千瑠による世界分岐にあたり、もっとも彼女と『因縁』の値が高い者を選びました。
「……いんね、ん?」
――語彙参照。もっとも近い意味の言葉になります。因(原因)と縁(条件)により、果(結果)はもたらされます。全ての事象は、それのみにより孤立して存在しているわけではありません。因縁とは存在の相依性です。
「いみ、が」
――要求により、安易表現にレベルを一段階下げます。鈴木美千瑠の人格形成は、彼女一人によって成されたものではありません。生来の性質のほかに、周囲の環境など原因と条件があります。
――全ては縁って起こります。現象は依存して起こります。
――異界の釈尊の言葉を参照します。
――これありてかれあり
――これ生じるがゆえにかれ生じ
――これなければかれなく
――ゆえにこれ滅すればかれ滅す
――分かりやすい例えに置き換えます。
――生 ありて 苦 あり
――生 生じるがゆえに 苦 生じ
――生 なければ 苦 なく
――生 滅すれば 苦 滅す
――因縁(原因)より果(結果)は生ず。
――これが因果です。
――ある因が果を生じ、その果が因となって別の果となり、またその果が因となってまた別の果となる。
――子が親となり、その子が親となり、またその子が親となるように。
――あなたがたもまたある因に縁って生じた果であり、また同時に別の果の因となっているのです。
――因果の無数の連なり。
――異界の神は、鈴木美千瑠が縁起する時間線上より、因縁性の高い者を抽出し、あらゆる時代から選び出しました。
たぶん、ほとんど意味が分からなかった。
アリアは、麻痺した頭で視線を彷徨わせ、再び鈴木と目を合わせた。鈴木はアリアに代わって尋ねてくれた。
「……ようするに、時代も場所もばらばらに、この世界にぶち込まれた私達は、もとの世界においても、存在する時間軸がばらばらであったと。そして、その時間軸は、私の兄の娘である鈴木美千瑠が存在する時間軸線上に彼女とかかわりの深い人間を選んだと。つまりそういうことですか」
――肯定します。
その言葉に、私は。
ようやく理解した。
私のいた時代に、鈴木美千瑠は存在しない。だから、私はこの世界が分からなかった。
物語の世界だと。
しかし、私はどの話なのか、検討もつかなかった。
自分が相当なサブカルチャー好きであったにもかかわらず、この世界にまったく覚えがなかったのは。
これが、未来に生ずる物語だから。
そして、もっとも因縁の深い者。その未来の母親である、雪江。
だからなのか?
そんな理由で。
雪江は。
私達は。
――神とは、この因縁よりある程度自由になる存在。ゆえに、未来から過去に干渉可能です。しかし、それは神々の間では禁じられています。歪んだ因果を正すために、異界の神との決戦が可能です。
――あなたは。
――選択しますか?
呆然と、周囲を見渡す。
いつの間にか、たくさんの人がそこにいた。
知らぬ顔。
やたら筋肉質な女性。以前うちをぶっ壊す原因になった上位魔神。カロン侯爵といったか? そいつがもってきた映像球に映っていた苦労していそうな皇族の魔神。
他にも、たくさんの。見たこともない人々。
その中より、一人のしわくちゃの老婆が進み出て、がらがらと地の底より響くようなたけり狂う大声を上げる。
――星ぼしは集った! もっとも深き苦しみを背負ったものよ、その血縁たるものよ。大地に苦しみを撒き散らしたものの姉よ。ゆえにお前は、その妹に代わって、選定された! 選択するがよい! 我は運命の女神。もしお前が選択するなら、この星ぼしの中より、最強の四人! 異界の神のもとへ送ろう!!!!!
倒れそうになる。
なんだ、それは。なんなんだそれは。
「あーちゃん」
もう立つこともできぬアリアを、ユーリーが支えた。
がくがくと膝頭が震える私に、奴は言う。
「いいんだ。選んでいいんだよ」
それは、どういうことだ。おい、分かっているのか。異界の神と戦えって。なんで、なんで私達が。
――あんずるな、異界の神の陣営を打ち倒したことにより、異界の神の力は人が倒すことができるまでに我らが押さえ込んでおる。しかし、我らはゆえに動けぬ!! 異界の神子は、異界の神がゆるさぬかぎり、決して死なぬぞ。ゆえに、お前たちも解放されぬ。もし歪んだ因果を、お前の望む形に修正したいと願うなら!
――異界の神、力滅すれども、ひとのよにはないもっともおそるべき戦いとなろう!!
――百年の時を、勇気あるものたちよ、過ごすこととなる! あるいは千年の時を!! 万の時を!!! お前達は老いず、戦い続けることとなる!! 臆しても恥ではない! 辞退してもよい!! 他に自ら行かんとするのであれば、交替するがよい! あるいは選択せぬこともまた選択!!!!
「だ、だめだ。それは、だめだ」
でも。雪江。
ゆきえ。
どうしたら。アリアは絶望する。
一人の赤髪の大男が進み出る。魔界の皇太子だ。
「外法のもの、アズールよ、約束は守ってくれたようだな。このマッシモ、異界の神とは、相手にとって不足はない。俺はゆくぞ」
ほとんど彼と同じような気迫をもった大柄な赤髪の女性も進み出る。
「兄上、私も行こう。このドロテア、血がたぎって仕方ないわ!」
鈴木が、蒼白の顔面で、それでもふらつく足で前に進み出ようとするのを、魔法使いが制した。
「不詳の弟子に代わり、師である私、アズールが行こう」
鈴木は息を呑み、そして、震えるままに一筋の涙を流した。
「お前は待っておれ。スズキよ。お前に魔法の才はない。お前にあるのは努力の才だ。ないはずの魔術回路を起こして、焼き切って、再生し、また焼き切る。そんなやり方では、この闘いは乗り切れん」
鈴木は、ただ働きを嫌がる。なぜなら、その魔法の代価は、己の身体を焼く痛みでもってまかなわれるから。
その師であるアズールは、無言で泣き出した弟子の頭を撫でた。
「ユーリー・ジャバウォック。俺も資格があるなら行くよ」
最後に、ユーリーが進み出た。
――相違なし。この四人、間違いなく、もっともつよきもの!
待ってくれ。
私は、まだ、選択していない。
選択せずにして、彼らを死地にやろうと。
それは、
それは、
でも、私は、卑怯にも。
選択せぬまま、止めろ、と言えないまま。
雪江が。
だって、
ああ、
「……や、」
止めろ。お願い、止めて。
涙で、視界がぼやける。明日香は、アリアは、奴へ手を伸ばし、引きとめようとした。
あまりに酷い。
百年の、千年の、万の。
その時を戦い続けろなんて。
誰にも、そんなの誰にも言う資格なんてない。権利なんてあるわけがない。
そうしたら、アリアは、強い力で抱き寄せられ、言葉を、発することはできなかった。
その言葉は封じられた。
「……だいじょうぶ」
ユーリーの顔が、こんなにこんなに近いのに、見えない。
声が、喉が引きつれて、出ない。
――導こう!! 異界の神のもとへ!
まっ
待ってくれと、言葉は間に合わずに。
彼らは。
消えた。
アリアは、血の通わぬほどに冷たくなった指先で、痙攣するままに口元を抑えた。
卑怯者。
私は、最低の卑怯者だ。
震えがほとんど地面の感覚すらわからぬほどに達し、しゃがみこんだアリアを、聖騎士、ゴンザレスが抱きしめる。
「よしよし、大丈夫よ、信じて待ちなさい。卑怯なのはあたしもいっしょ。あたし、自分が行きますって言えなかったわ」
そう頭を撫でるゴンザレスの手に、アリアは涙腺が崩壊した。
鈴木も泣いていた。彼女も、踏み出そうとして、そして言えなかったのだ。ゴンザレスは二人まとめてその腕に抱きしめる。
百年も戦い続けて、奴は。ユーリーは。正気でいられるのか。
その心は、無事なままに帰ってきてくれるのか。
ユーリー。
ユーリー。
お前に、伝えていない言葉がある。
無事に。
お願いだから。
無事にかえって、お願いだ。
おねがい、かみさま。
きっと、あなたは、いるんでしょう?
全部ささげます。
もうわたしは、しんでもいい。
だから、ゆーりーを。
ゆーりーをぶじにかえして。
おねがい。
おねが――ッ
掲載していた「絶対に言いなりにはなりません!」について、続刊のお知らせ&宣伝失礼します。
今回、改題の上、kindleで全編書き下ろしのおまけ番外本2巻を出しましたのでよろしくお願いします。
改題後の外部リンクは下記のタイトルです
番求婚されたことのないアラサーギルド職員ですが、一人で生きていこうと思っていたのに、今更ドラゴン公子様にお迎えに来られても困惑しています!?2おまけ番外
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FHQR75P7?ref_=ast_author_dp
 




