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 復讐は何も生み出さない……

 などと、適当にごまかしてみようかとも思ったが、アリアはすぐに断念した。唐突すぎるし、何の説得力もない。自家毒をあおって、死ぬのと同じだ。

 彼女の胸中に去来したのは、ある少女の姿である。

 この世界に、アリアが生まれ直す羽目になった、直接の原因だ。

 苦い思いとともに、まったくもって、自分が言えた台詞ではないなと思った。やった方が、やられた方に言うことではない。

 それでは、『あの少女』と同類になってしまう。

 アリアは、よく覚えている。

『皆は、私が守ってみせる!』

 そう叫んだ少女の、鈴を振るような声を。

 アリアが、あるいはアリアたちが、この理解不能なファンタジー世界に転生するきっかけとなったあの少女。彼女の楽し気に高揚した声を、いまだにアリアは今でもすぐに記憶から取り出せるのだ。

 何一つ納得できなかったし、今の人生を受け入れようとも思えない。確かに、アリアは幼少期のように火の玉のような怒りを発露することはなくなっていた。しかし、この世界の住人たちに無償の感情ケアをするのも嫌って、それはふるまいにも出ていた。

 仕事以外で、接待をする気にはなれないということだ。

 狭い村社会では、アリアのぶっきらぼうとも言える言葉遣いに、女らしくないと眉をひそめる者もいる。つまり、愛想よく機嫌取りするように言われているのだと彼女は理解していた。かわいらしく、従順にふるまえと。親を早くに亡くしているせいで、年上への対応がなっていない。ご両親に対して恥ずかしくないのか。どうジャッジされようが、この世界にも、村社会が押し付けてくる普通とやらにも、迎合する気はさらさらなかった。

 逆らわず、都合のよい存在になれと言われている。

 同意などするわけがない。

 頭痛とともに、アリアは小さく嘆息した。すでに思考は、幻影のような過去の記憶から、現在の対処へと切り替わっている。

 そう、アリアは善人ではない。強者でもない。だから、善人ではないなりに、弱者は小ずるい知恵を働かせて、急場をしのぐ。

 それが、英雄ではないアリアのやり方だ。

 性に合わないどころか、拒絶反応で脳が溶解しそうな自滅説法技より、せめて茶の一つでも出して、過去の怨念を多少なりとも解いてもらう。そちらの方が、まだしも現実みがある対処というものに思われた。 

 手持ち無沙汰に立ちつくし、ぼうっと部屋を眺めていたユーリーに、平淡を装って声をかける。

「……あー、紅茶とコーヒーと緑茶のどれがいいかな」

「いいよ。お構いなく」

 お構いなくとは言うがな、こちらは構うんだが……と顔面が引きつりそうになるのをこらえる。つまり、投げたボールをはたき落されて、いきなり道に迷った。

 ユーリーは落ち着いてみえる。だが、急に気が変わったら、アリアには対処しようもない。 

「そ、そうか」

 何も言えず、へらへらと曖昧な笑いを浮かべてしまう。

 彼女は内心、命乞いの仕方~~~~と必死に頭を回転させていた。

 と、ユーリーは、人の申し出を断っておきながら、何故妙に鬼気迫る表情でにじり寄ってくる。

「――?」

 そこで何故詰め寄るのか、分からない。

 目が据わっているように感じられる。

 じりじり後退してしまったために、後ろはもう壁だ。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことか。

 アリアの脳裏を、真っ赤なトマトのイメージが過る。

 そのトマト、私かな~~~~~と胃の腑あたりが痙攣した。

 ゆっくりと影が覆い被さってくるのを見上げ、

「っひ、」

 喉元まで悲鳴が出かかった。

 肩に手がかかるのに、みし、と嫌な音が聞こえたからだ。

 息がかかる。

 興奮した熊と同じだ。ぎりぎり自制している感を受け、下手に刺激できないものだと悟った。

 ぐ、と肩に万力のような指の力が、更にかかっていく。体重もみしみしかかってくる。

 しかし、その後起こったことは、アリアの想像を遙かに超越していた。

(な、んっ、んん!?)

 さらさらとした髪が首筋にかかり、アリアは硬直した。肩口に、ユーリーの顔が埋められている。鼻先を押しつけられる。いい匂いがする。ええ、凄いな……とアリアは謎に驚愕した。

 更に、これはセクハラでは? とも彼女は眉根を寄せた。恐怖より、みぞおちを炙るような不愉快が沸き上がる。

 苛立ちとは裏腹に、いつの間にか指の力も加減されているのに気づいた。むしろ、この幼なじみの指が、かたかたと震えている。

 瞠目し、は? とアリアは思わず口を開けそうになった。

 想定外の斜め上に、事態が進行している。

 ユーリーは、臓腑の底から振り絞るようなぞっとする声で、

「……あい、たかった……!」

 感極まったようにうめいたのである。

(……???????????? は?)

 アリアは心底意味が分からず、ついで、困惑よりも、得体の知れなさに加速がついて、恐怖を覚えた。

 理解を超えた機序が、アリアの知らぬところで働いているような気がする。放置すると、後でとんでもないことになる類のものだ。ちなみに、たぶんこれは、放置開始は幼少期に始まっているやつではないだろうかと思い至る。

(いや、とにかく、穏便に面倒を回避したい。大事なのはそこだ)

 肩口にしめった感触と荒く熱い呼気を感じて、アリアは顔面が引きつった。

 子どもだ。大きな子どもである。突き放したかったが、その方がもっと面倒になる。それに、やる気根気元気皆無のアリアにも、後味の悪さや、罪悪感、常識範囲の良心はあった。

 仮にも、幼なじみではあるわけだ。出奔時に、間接的に見捨てた負い目もそこそこにある。

(はあ、参ったな)

 冷淡にもまずそう思うあたりが、アリア・ウィルドという人間である。

 だが、仕方ない。アリアは腹を括った。

 こちらから片手を回し、下からじいっと覗き込んで見つめると……ユーリーは、たちまち青ざめて視線をそらした。

 ちょっと、分かりやす過ぎるのでは、と逆に懸念すらわいてきた。

 本当に自分は、人を見る目がないな、とため息も吐きたくなる。

 これが、ユーリーのデフォルトだ。

 頑迷ではあるが、気の弱いところがある。

 彼の張りつめた緊張の糸が、熱した飴細工のように、ぐにゃりと溶解し、ほどけて行く。

 アリアも、同時に力が抜けるのを感じた。

 これは、力加減をあやまった末の事故死も十分ありえたような気がしてくる。割と間一髪難を逃れた感が凄いなと思った。最悪の事態は免れたようだ。

 どうやら、ほとんど根柢の部分は変わっていないらしい。

 いいようにコントロールできるかもな、と最底辺の考えが頭をよぎった。しかし、それもいつ爆発するかも分からない爆弾を抱えるようなものだ。維持できる気もしないし、やったところで、後味が悪い。

 どちらかといえば、厄介なことになったというのが、彼女の正直な感想だった。

 あれだけの偉業を成しながら、あの性格が根底矯正されていないのは、根が深すぎるどころではない。アリアの手に負えるとは思えなかった。

 アリアの平穏のためには、ほどほどの距離感で対応し、さっさと帰ってもらうに限る。

「あー、ええと、」

 抱きすくめるというよりむしろ妖怪のようにしがみつく幼なじみに、アリアも緊張が完全に切れた。彼の背中をたたく。

「力加減はしているんだろうが、そろそろ私の内蔵が口から飛び出そうだよ」

 背中をなだめるように、ぽん、ぽん、と叩く。

「もうちょっと、力を緩めてくれないかな。というか、離してくれるとありがたいんだが」

「……ぅ、」  

 途端に、幼なじみは、いきなり道ばたでレベルの釣り合わん高位の魔物に出くわした初心者パーティってこんな顔? というような顔芸を披露した。

「離してくれるかな」

 ユーリーは、絶望的な表情になり、うろうろと空いた方の手がさまよった。

 刺激しないように、真正面から視線を合わせれば、『絶望』と書き殴ってある。ペットの分離不安かよ。どれだけ精神不安定なんだ、とアリアは不本意にも笑顔を浮かべた。

 逆にまた恐ろしさが募ってきたせいである。

 メンタル不安定な包丁を握りしめた男と、ゼロ距離身体密着しているようなものだ。安心できる要素がみじんもない。

 ユーリーは、眉根を寄せて、大きく見開いて零れ落ちそうな青い目に薄い膜が張っている。形のよい唇は震え出しそうに一文字に引かれて、限りなく悲壮だ。 

 しかし、見た目麗しく成長してしまったもので、情けない顔が、何故か憂い顔に自動変換される。

(外装詐欺にもほどがある)

 アリアは、ため息を吐いた。それは、驚くほどに大きく部屋に響いてしまって、アリアの方がぎょっとする。たちまち、ユーリーが、びくっ、と尾を股の間に入れる犬のように、過剰反応した。ペットか。もはや想像は確信へといたらないでたのむと、アリアは面倒くささが倍増するのを感じた。そう口にしてしまいたかったが、悪手である。

「……離してくれるかな」 

 言外に、三度目であると、滲んでいたのか。また、びくっとされて、再び嘆息したくなる。

 何度も言わせないで欲しい。 

「わ……わかっ、た……」

 切なげに眉を寄せ、吐息を零してユーリーは、アリアを解放した。

 本当にセクハラだ。非常に不愉快だな、と内心アリアは苛立っていたが、かつての不義理に免じて今回はノーカウントすることにした。

 割とあれは、自分でもなかったなと思う部分があり、差し引きゼロにしていいのかも分からない。良心の問題である。

 それに、ユーリーは、相変わらずどこか片言だ。吃音の名残だろうか。普段からそうなのか、少し心配になる。

 どちらにせよ、今ここで、突き放す方が鬼に感じられた。

 アリアは何事もなかった風に、結局この幼なじみにお茶を出した。

「……ありがとう」

 ほわほわと湯呑を押し包んで、うっとりしている幼なじみの目に、ぞわっと背筋を嫌な悪寒が走る。

「あー、その、まあ、お前のことは風の噂で色々聞いていたよ」

 何でも勇者になったそうだなって、白々しいな、とアリアは自分でも思った。

 村の歓迎っぷりを見ていたら、一目瞭然ではないか。

「勇者なんて、誰でもなれるものじゃないだろう。がんばったな」

 これは正直本音だった。なれるものじゃないどころではなく、絶対なれないものになったユーリーは、どれほど努力したのだろう。一村人という出自の壁を、何十枚何百枚と突き破るのに、どのような試練があったのか、想像もつかない。凄い。というより、何本まともであるための線をぶった切ったのか、アリアには怖くて直視しかねる。

 それで、幼少時の復讐しに来たとも今や見えないわけだが、村中がお前の歓迎ムード一色に塗りたくられているというのに、何でまた私のうちに来たのかとなんとか尋ねようとして、アリアは湯飲みを手に言葉を飲み込んだ。

 な ん だ そ の か お は

 口元が∨の字。下うつむき加減に目元染めている。もじもじしている。てれてれというオノマトペを、無意味に花で飛ばしている。

「俺……」

 みし、と奴の握りしめた湯飲みが不穏な音をたてる。

「俺……生水も絶対飲まなかったし……! 達者でやってたよ」

 あー、とアリアは目が離せない。

 何やら幼なじみの目に正常とはほど遠い、いっちゃってる光が不気味に瞬いているんだが、私ここ逃げてもいい場面か? そう遠い目をして現実逃避したくなる。

「つよくなって……勇者になって……認められたから……だから」

 さっきからかたかたかたかたうるさいな、と思ったら、湯飲みが局地的に震度六になっていた。

「だから」

 やくそく。

 一瞬、アリアは無音になったかと思った。

 あまりの恐怖に、耳がストライキを起こしたようだ。

(何か間違えたかな……)

 怖すぎる。

 単純に復讐に来てもらった方がよかったかもしれない。一発殴って、はー、すっきり、という陽性のものではなく、奴の粘着性が凝縮された上、こっちにその執着の矛先が向けられているような気がする。それこそ自意識過剰だと思いたい。アリアは、気のせいだよな、と自分に言い聞かせた。なぜか、目の前の明度が下がったようだ。全身の毛穴が開いて、血の気がざあっと下がる音が聞こえる。寒いのか熱いのかも分からなかった。


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