I MISS YOU.
自国商業都市デメルテ壊滅の報復措置として、フェリュシオン王国は魔界に宣戦布告。
とって返す足で魔界の蛇人村を急襲し、女子供にいたるまで虐殺。なお、この闘いには、デメルテに縁者のあった者たちの志願兵が多く参加していた。文字通りの報復戦であった。
また、同時にフェリュシオン国王ブルーノー五世は、大陸間盟主の環の発動を、聖女ミチルを通して要請し、これを各国は受諾。
ディランバーグ氏族をはじめとするエルフ、ニブル獣人連合も賛同し参戦。
白き竜の峰にある天空城、白竜たちもまたフェリュシオン王国の聖女の協力要請に応じた。
対する魔界側では、動きが揃わなかった。
一部、いやほとんどの過激派が個別に撃って出るゲリラ戦へと突入していた。
個対個における、魔族側の優勢は圧倒的である。
しかし、圧倒的個に対する、多数の弱者の連携は、時に圧倒的個を凌駕する。
戦局は混迷している。
「最近、嫌な感じだな」
アリアは仕上げた呪札をマーチャント&アドベンチャラーズ支部に納めながら、受付の女性職員に話しかけた。
女性職員は、「はいはい、じゃあこれで」と受領した後、
「ですよねー」
とめいっぱい頷いてくれる。
ここはフェリュシオン聖都。色々あったが、結局アリアは木を隠すなら森の中ということで、一人で都市部に出てきて、日々をつつましく暮らしている。
色々というのは、便利な言葉だが、とにかく色々だった。
結局、アリアにできることなど、現時点何もない。謙遜と力量不足の区別はつくつもりだ。
長老も言っていたが、「自分ができることを、せいいっぱいやればいい」のだ。情けない気もするが、自虐しても始まらない。
自分の現在の天井は知っているし、それで自分を責める必要もないことだ。ものには適材適所というものがある。
ユーリーや鈴木の足を引っ張るつもりはなかったし、我が身は大事だった。
「デメルテが襲撃を受けてから、もう空気が最悪っすよ。殺伐殺伐」
受付の女性職員は、見た目色っぽいが、かなりフリーダムだった。
「皆目の色を変えていますしね。戦端が開かれてから、呪物の需要も鰻上りで、私のようなぽっと出の呪物下請けですら食うに困らないくらい発注が来ますし」
「そうなんすよー。需要に供給が追いついてない感じ? ってなわけで、ウィルドさん、馬車馬みたいに働いてくださいね。血ぃ吐いてもいいっすよ」
労災おりるっすから、安心してくださいっす、とその眩すぎる笑顔に全アリアがドン引きした。
血反吐が出るまで働けと。
「そういやー、聖女様が旅立たれた後、すれ違いで勇者パーティ一行が来たらしいんすけど、残念でしたね。聖女と勇者のパーティだったら、魔族ぼこぼこっすよ。そしたらはやく決着がついて万々歳だったんすけどねえ」
「……」
アリアは己の薬指にはまる銀色の指輪に視線をおとした。
「まあ、そんなこともあるでしょうね。さて、私は次の仕事があるので、これで失礼させてもらうよ」
「はいなー、またのお越しをお待ちしてるっす!」
アリアは半笑いをして、受付を後にした。
踊る怪魚と奇運の道化亭。
アリアの逗留している宿屋だ。
何やら物凄く微妙な名前なのだが、この由来を聞くと、小一時間ほど髭面の主の話に付き合わなければならない。
確か簡単にまとめるとこんな話である。
昔、武家に放蕩息子がいた。女の尻を追いかけ回し、鍛錬を嫌がり、出来のいい弟に家督を譲ると言って家を出た。道中、賭け事のいかさまがばれて、放蕩息子は、湖に「アーッ」と放り込まれたそうだ。この湖の水底には女神さまが住んでいて、魚たちにかしずかれていた。女神さまは男を助ける代わりに、いくつかの難題を出す――難題が解決するとまた難題を出す――おともの半漁人が応援だけしてくれる。
この放蕩息子の冒険譚は、最期に彼が見事困難を乗り越え、ついには湖の女神の眷属となって亜神になるところで終わる。
アリアは個人的に、それってずっと女神さまの下で働けって奴隷契約ってこと? これが本当の永久就職だね!? と思ったり思わなかったりもするわけだが……
その冒険に、この宿屋の先祖が一枚噛んでいるとかいないとか。で、この名前らしい。
更に、ここは一階が昼間はランチ、夜は酒の飲める店で、二階からは下宿を営んでいる。現在のアリアの仮住まいである。
「おやっさん、ココマート定食頼みます」
帰りしな、定食を頼むと、にゅうっと髭面の亭主が顔を出し、「……まかせろ」と、ホラー系ハリウッド映画における肉体派殺人鬼の笑顔で出迎えてくれた。
簡単に言うと、御亭主の顔は非常に個性的で威圧感がある。
気の毒だが、それゆえ流行らないのだろう。
ちなみに、ココマート定食もしくはバコタール定食の二つがあるのだが、前者の方が安い。バコタールの方が肉が多く、デザートもつくのだが、アリアもそう資金的余裕があるわけではなかった。一応、今回の代理戦争にあたって、援助金は出ているのだが、どうにも手をつけにくい。とりあえずそのまま銀行に預けている。
「ギルドの方は、どうだった」
御亭主は人と話すのが好きらしく、ご飯を頼むと、必ず世間話を仕掛けてくる。
「ああ、やはりどうも殺伐としているよ」
アリアは、椅子を引いて座りながら応じた。オーダーする時以外は、いい加減敬語もなしでざっくばらんに話せるようになっている。
「呪物下請けを回った後、冒険者ギルドにも顔を出したが、かなり雰囲気が悪い」
「ほう、そうか」
勇者パーティのうち、鈴木の評判がこのギルドでかなり悪く、アリアは憂鬱になった。
鈴木ははっきりと、自分は報酬なしには働かないと明言している。また、国のためにも働かないと、それも白黒はっきり口にしている。
前者は冒険者として当然のことだ。後者は角が立つというより、対外的にまずいこともあるのだろうなとはアリアも思う。納得ずくで、この世界のために動く気なんか微塵もありませんから、という彼女のポリシーゆえの言動である。どう考えても鈴木の言う通りなのだが、まあ反発する方は無報酬で搾取したいのを建前で覆ってくるから、あたかも鈴木に分が悪いように見えることもあるのだ。
報酬がなければ働かない、国の権威がどう言おうが理不尽には従わない、ときっぱり明言する彼女は、その手の輩には分不相応に身の程をわきまえないと思われるらしい。この態度を中傷する輩がおり、それも匿名でびらを配布したり、噂したりする。
どれだけ暇人なのかと思うが、過去鈴木に叩きのめされたりした輩、あるいは同業者の嫉妬によるもののようだ。
『――影で人を中傷する前に、自分で名声を高めればよいものを、だから駄目なんですよ。きっとこの陰険さから見て性格は最悪で根暗、将来性も才能も皆無でしょう。陰口を叩くのが関の山なんでしょうね。ああ、かわいそうですね。同情します』
と、ギルド内で発言した鈴木に、アリアは顔面大事故を起こしそうになった。
ギルド内の空気が、凍りつく瞬間、何人かが恐ろしい顔で彼女に近づいていったが、その後きっちり降りかかる火の粉として処理されていた。
「ん、この人参ソテーおいしいですね」
「おお、分かるか? ちょっと味つけ変えたんだがな」
てれっと熊髭のおやっさんが眦を下げる。アリアは、少しばかり胸がきゅんとした。かわいい。ギャップかわいいである。
「……っぐ」
と、彼女は思わず薬指を押さえた。
(これも駄目か! これも判定黒なのか!!)
「お、おい。どうした」
「……変態の呪いだ」
アリアはテーブルに突っ伏して、息も絶え絶えに答えた。指が食いちぎられるかと思った。嫌な汗が出てくる。
この指輪。おそろしいことに、『祝福の指輪 ~死が二人を分かつまで、愛することを誓いますか?~』という神のギフトアイテムである。
鈴木と腹を割って話し合った後日、ユーリーに無理やりはめられた。
はめた瞬間、
――デロデロデロデロデロデロデロ。村人はのろわれました。
と、変な音が! 変な効果音と変な宣言が聞こえたんだ!! 本当だ!!!!! 嘘じゃないっ、ということがあった。
物騒なそれに慌てて必死に外そうとしても、
――この装備はのろわれています。装備解除できません。
と声が聞こえてきた。本当なんだ!! とアリアは今でも錯乱して方々に訴えたくなる。
(いかん、興奮して動悸がしてきた)
アリアは深呼吸した。
あの無茶苦茶の後、頬を染めて、「……約束だから」とのたまったユーリーの指に同じものがはまっていた。その顎に、下方から拳を突き上げてやった自分は悪くない。
(本人の意思確認)
アリアは言いたい。
(しろよ、まずはっ)
なお、断るがな! までセットである。
もうアリアの中では、ユーリー=キモイの不滅の等式ができてしまっている。
どんなに顔がよかろうが、勇名をはせていようが、ストーカーに人権はない。顔がよくてもあれは駄目だ。どちらかと言えば、アリアの好みは、お……と考えた瞬間、咎めるように激痛が彼女に訪れた。
アリアはその後三十分ほど悶絶して、ご亭主に大変心配をかけた。
ぐったりと自分の部屋に引き上げたアリアは、手のひらを陽光に透かし、指輪をじっと見つめた。
あれこれ言ったが、これは必要なものだ。
神のギフトアイテムは伊達じゃない。ユーリーですら、これを手に入れるには相当大変な思いをしたらしい代物だ。この恐るべきアイテムによる婚姻という最大の祝福により、アリアの業はある程度祓われている。
感謝すべきなのだろう。だが、まずは説明が欲しかった。光のない目で押し迫ってくるから、死すら覚悟した。
実力行使の前に、一言説明を願う。それも贅沢なのか。
「……まあ、身勝手は私もか」
自重し、アリアはベッドに仰向けに倒れた。
本当は文句など言えた義理ではない。
「……馬鹿なユーリー」
もっといい方法がある。
見捨てればよい。
この指輪。
祝福による祓いの効果だけならただの凄いアイテムだ。だが、代わりに心変わりを許さず、結びつけた二人の業と徳を按分する。
アリアにとっての呪いというより、ユーリーにとっての呪いだろう。
今、ユーリーはどこにいるだろう。無事だろうか。鈴木は無理をしていないだろうか。聖騎士殿はあれで頼りになる人だ。まだ会ってもいないが、回復役もいると聞いた。彼らが怪我をしたら、いや、しないように見張って欲しい。
アリアは動けない。動くわけにはいかない。それでも。
「……会いたいな」
無意識に零れた言葉を。
アリアはとても恥じた。