15
鈴木を先導に、長老宅の応接室に向かう。長老は寛容な人物で、好きにつこうてくれい、と快諾するものだった。さすが長老。と、アリアはおもねっておいた。アリアはこういう人間である。
その場に、聖騎士は見当たらないが、昨日の怪我人を見て回っているようだった。聖なる騎士というのは、読んで字のごとくらしい。
長老宅の応接間。
そこには、深緑色の上品なソファーにどっかりと座った凄まじい美少女がいた。詩的センスのないアリアには、めっちゃ凄い美少女、としか言いようがない。
金色の長い髪がさらさらとしていて、唇は桜桃のよう、色は抜けるように白く、笹の葉を思わせる長耳が、ふるり、と震える。
――ハイエルフ!
アリアは内心目ん玉をひん剥く。
森の民だ。あまり外の世界には出て来ないと聞いていたが、初めて見た。長い脚を大股開きにして、ハイエルフの少女は気軽に片手を上げた。
「よっ、こんちはー」
軽い。ヘリウムガスのように軽かった。ハイエルフの威厳と神秘性はがらがらと音を立てて崩れ去る。何故か鈴木が申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、昨日言っていた、私が出会ったことのある同胞の一人は『彼』です。今朝こちらに見えて――言動はかなりあやしいですが、悪い人じゃありません。小悪党ではありますが、いつもどこかで爪が甘くて大抵酷い目に合っている方です」
するとハイエルフ美少女は「酷いッ」と身をよじった。
「晶子ちゃん、俺のことなんだと思ってるんだよーってすまんすまん」
がはは、と笑ってこちらに頭を下げる。
「自己紹介もまだだったなー。俺、鈴木陽一。太陽の陽に数字の一な」
「――!」
アリアは咄嗟に言葉を失ってガサツな美少女ハイエルフの顔を凝視した。
「に、日本人、ですか」
「おう。正解! 日本ではそこの晶子ちゃんの親戚のおじさんだったんだわ。生前日本人サラリーマン、現在TSハイエルフ娘やってるよ。魂を異世界肉体にぶち込まれ組って言ったら分かるかなー?」
そろそろどころか、大分前から事態について行けていない。元親戚? 無関係ではない人間が二人こちらに連れて来られている。これはいったいどういうことなんだ? 鈴木が昨晩特段説明しなかったあたり、恐らく理由は解明できていないんだろうが……
「おい、大丈夫かい? 晶子ちゃん、昨日説明したんと違うの?」
「色々あったんですよ。そろそろ許容量限界でしょう」
その件については、確実に鈴木も一枚も二枚も噛んでいるのだが。
アリアはのろのろと自己紹介をした。
「おう、ニューフェイスってわけだな、よろしくなあ」
美少女ハイエルフは豪快に口を開けて笑う。イメージが……壊れる……いや、それより、もっと考えるべきことがある。
ユーリーの反応が気になって振り返ると、顔色一つ変えていない。いくらアリアでも悟るところがある。
この異常な集団異界渡りについて、ユーリーは既知である、と。
アリアの視線に気がついて、ユーリーは頷いた。
そうか――と、何故か手を握ってくる。
アリアは本日二度目振り払った。
「え?」
え? ではない。こっちが聞きたい。何、その「違ったの?」みたいな反応、とアリアは真顔になった。
お前、ことごとく空気読んでないな。読む気ないな。ここは、そういう場面じゃないだろう。セオリーなら、ここでユーリーも集団異界越境拉致事件について、実は知っていたんだ、と告白するか否か葛藤し、話を進めるところではないのか。
アリアは次第に表情が抜け落ちていく。
その分かってる、という顔で、王道展開期待したアリアが悪かったのかもしれない。何でアリアが「手を握れ」というアイコンタクトを送ったという結論にいたったのか。全然違う。かすりもしない。わざとじゃなくて天然ですアピール止めろ。もう聞く気すら起こらない。というか聞きたくない。
一方ハイエルフの鈴木陽一は、ぽりぽりと顎をかいている。
「へ~、リーダー君、どうしたん? あ、噂の幼馴染さんか。すげーな」
どんな噂で何が凄いのか尋ねる心算が、アリアにはひとつも湧かなかった。
「お、ごめんごめん、気を悪くしないでくれ。俺永遠の若さのハイエルフにぶち込まれたせいで、精神年齢若返る一方なんだよ。ま、それよりな。俺がここに来た理由なんだけど、二つあってさ。悪い知らせと頼みがある。さて、どっちから言ったもんかな」
ハイエルフの姿をした陽一は、思案気に言った。とりあえず、短いスカートで大股開きの違和感が凄い。
いや、まあ、好きに振舞えばいいのだが……アリアの勝手なイメージ不協和である。
「うっし、じゃあ、まずは悪い知らせっからいかしてくれや」
陽一は少し考えると、前に身を乗り出し、告げた。
「先日、フェリュシオンの商業都市デメルテをこれまでにない大量の『災い』が襲撃し、壊滅させた」
目が点になる、とはこのことだろうか。デメルテと言えば大都市だ。
それが、壊滅?
大量の『災い』?
アリアは想像する。昨日のあれが。大量に沸いて、襲って来たら。もし、対処可能の武力がなければ?
「情報源はデメルテから王都に向けた電子精の通信をちっと俺の特技で盗聴させてもらった。こいつはできたてほやほやの情報だ。俺はこっちの分野が得意でね。あとはハニートラップも得意だ。正直やりたくねえが、それで生き延びてきた」
聞いていない情報までくれた。だがリラックスさせようとしてくれた配慮なのは分かる。
「問題は、フェリュシオンが報復戦をしかけようと動いているってことだ」
「報復戦? 『災い』相手に?」
言葉選びに違和感を覚える。陽一は頷いてみせた。
「ああ。敵は魔族だってよ」
「え」
ええ? どうしてそうなる? 混乱するアリアに、今度は魔法使いの鈴木が説明した。
「つまりですね、世間一般では、『災い』は魔族の仕業とされているんです」
そういえば、変態魔神が映像球を使って映し出したリュなんたら皇子も同じようなことを言っていたな、とアリアは思い出した。
(うん? あの高位魔神、全面戦争心配していなかったか?)
それを防ぎたいように言っていた気がする。
(へ~~~~~、あー、ということは。この流れ、彼は胃に穴が空く流れじゃないのか? え?)
「ちょっと待ってくれ。王族達くらいは、『災い』と魔族は別物だって知っているんじゃないのか?」
千年単位でやり合ってきたのなら、分かっているものじゃないのだろうか。
すると、両鈴木が二人とも死んだ魚のような目をした。
「それ、魔界のリュ皇子に言ってみてあげてください。彼の目を見て、言ってみてあげてください」
「す、すまんかった」
何か無茶ぶり振ってしまったらしい。魔族、どれだけなんだ、とアリアは意味もなく半笑いになる。そうか、平和祝賀会みたいな場面で、代表である使者が戦闘始めて大暴れするって言ってたっけ。そ、そうか。うん、仕方ないな。仕方ない。そう自分に言い聞かせた。
「し、しかし、魔族側がうまく立ち回れば、全面戦争は避けられ」
「リュ皇子の目を見て、言ってあげてください」
「す、すまんかった」
アリアは再び謝罪した。一度も生身で会ったことのない相手だが、不憫属性な魔界の皇子に心の中で合掌した。
気を取り直して、陽一が口を開く。
「とにかくだ。フェリュシオンを中心に、今まで空手形だった『大陸盟主の環』を発動させる動きに流れてきている。こりゃ、いくつもの国が魔族相手に一丸となって戦争しますよって大昔からの盟約だ。核の抑止力と同じで、発動させちまったら泥沼だよ。人魔大戦争になっちまうのは避けたいんで、妨害工作やる気だが、どうも嫌な予感がするんだよなあ」
陽一は髪をぐしゃぐしゃにかきまぜた。
「使者に立てられた神子というのが、どうにも――」
語尾を濁す彼の言葉を鈴木が引き継ぐ。
「『彼女』の特徴に該当しそうなんですよね?」
遠まわしにぼかした言い方だ。
しかし、アリアは脳天から指先まで痺れるような理解が身体を通り抜けるのを感じた。
『彼女』
該当する特徴?
あの『彼女』が神に願っていたたくさんの条件づけ。それを全て満たす存在がもしいるとしたら。
それは、ずっと、私が――
ぎゅっとアリアは拳を握りしめた。知らない間に爪を立てていた。息を整える。好き勝手頭の中で恨んで痛めつけていた相手が、現実に現れたかもしれないとなったらこれだ。
「ま、これは考えようによっちゃ俺達にとっては朗報かもしれんがな」
陽一はさらりと言う。
「死ぬに死ねんで、苦しんでる奴もいっぱいいるわけよ。俺らにかけられた呪い――『彼女』が最後にあらわれるまで死ぬことはできない――年月長すぎて廃人みたいになってる奴もいっからなあ」
「その意味では、私も幸運と言えば幸運かもしれません。ある意味、私の六百年なんぞ、後発組ですからね」
鈴木の発言に言葉を失う。六百年で後発組なら、アリアは生まれたばかりの赤ん坊どころかまだ受精卵レベルだろう。
鈴木は鋭い視線でアリアたちを見た。
「『災い』の動きが目に見えて活発になっています。デメルテ壊滅はまさにその象徴と言えるでしょう。そして、『彼女』と思える存在。両者の関係については、現時点はっきり言えませんが――」
暗い目をして魔法使いの少女は杖を床についたまま口元を歪める。
「――私見では、無関係ではない、と踏んでいます」
「俺もだわ。なんつうか、ハイエルフの女のカン?」
陽一の言葉に突っ込み入れず流してはみるものの、奇遇なことに、アリアもだった。
陽一は、緊張感のない顔で笑った。
「ま、そういうわけでさ、関係者の連中に声かけてこうかなとは思ってんの。停滞していた時の流れが、一気に動き出すかもしれない」
これがお知らせな、と彼は言う。
では、あともう一つある理由の『頼み』とはなんなのか。
「うん、まあ、たいしたこっちゃないんだがな。探し人があってさ、占星術できる仲間に占ってもらったら、この村に滞在している勇者に会いに行けと出た」
ユーリーを見ると、気のない風にしていたのが、ぱっと顔を上げて「呼んだ? 呼んだ?」とばかり嬉しそうにする。アリアは、お前は大人の退屈な話に退屈する子どもか、と内心思ったが口にはしなかった。
刷り込みに対する罪悪感に漬け物石で蓋をすると、アリアは「呼んでない」と告げて、陽一の方を向いた。
「差支えなければ、探し人とやらをお尋ねしても?」
トンレミ村のことなら、何か協力できることがあるかもしれない。
「いんや、それには及ばんよ。ひきこもりの世捨て人の頑固者の鬼野郎だけど、もう来てるみたいだから」
は? と言いかけたアリアは顎を落とした。
「そいつ」
指さされて、背後を振り返ると、フードをかぶった人物が、長老に付き添われて現れたところだった。