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ぼくらの代理戦争

 暗黒の太陽が天に昇り、捩れた黒い木々が手招く。

 冥府である。

 荒涼とした大地に、一本の道が長く伸びている。

 その先には、人面の蛇が大口を開けており、そこが冥府の深部への入り口だった。

 ぐるぐると渦巻く奈落の胎動を、杖の先にぶら下げたカンテラの明かりのみを頼りに下っていくフードの男がいる。

 時折、無言の死者たちが、男とすれ違うが、彼らは何も見えていないかのようにすうっと通り過ぎて行く。

 男もまた気にした様子もなく、ただ淡々と階段を下りて行き、一番奥底に辿り着いた。大きな扉の前には、冥府の番犬が舌を出して侵入者を威嚇するが、男が杖を一振りすると、急におとなしくなって低く頭を下げた。

 ぎぃいいいと、扉が独りでに開かれていく。

 広間だ。

 ――ぼっ

 ――ぼっ

 青い松明が、扉から近い順に炎を(とも)していく。

 まるで謁見者のため通路を作るかのように、次々と青の炎が虚空に掲げられた。

 ――ぼっ

 最後の炎が点る。

 巨大な靴の先が見えた。

 そこから辿っていくと、衣の端が視界に入る。更に視線を上げれば、気づくだろう。

 頭部は闇に吸い込まれそうに見上げてもなお高い三面六臂(さんめんろっぴ)の巨人像が佇んでいる。

 面は、それぞれ、王、女王、赤子が各々好きな方を向いていた。

 その足元に控える男に比して、像はあまりも巨大であった。

 一体、誰がこのような巨大な像を設置したのか。

 滴るような静寂に、淑女の溜息が冷気となって拡散した。

 ――アズールよ、呼び立ててしまいましたね。

 巨人像の内、女王の面相が口を開いたのである。しかし、男は慌てることもなく、静かに自らのフードを脱いだ。

 「冥府の御方、お声があらばいつでも」

 男――邪悪な魔法使いアズールは膝をつく。

 冥府の御方と呼ばれる女王は満足げに頷いた。そして眉根を潜める。

 ――わたくしの、死者の書が書き換えられてしまいました。

 ――本来死すべきさだめにない者が死に、生きるべきさだめにないものが生きておる。

 ――冥界はこれを看過できにゅ。

 女王、王、赤子の三面六臂の巨人はそれぞれに口を開く。アズールはますます頭を垂れた。

 彼らは、一つの身体に三面の頭と腕がついた、異形の面相だった。

 ――我らは本来中立な立法者。いかにもlaw 〔ロー〕サイドであるかのように指されることもあるが、中立である。究極、冥府はlaw 〔ロー〕サイドにもchaos 〔カオス〕サイドにもつかぬ。

 王が思案げに言えば、女王がため息を零す。

 ――しかし、こたびの異界の介入、見過ごせません。これはlaw 〔ロー〕サイド、chaos 〔カオス〕サイド、神々の総意。冥府も動かざるをえないでしょう。

 冥府の立法者の内、赤子が顔面をくしゃくしゃにしてむずがる。

 ――許さぬ! 許さぬ! 僕の死者の書をぐちゃぐちゃにした! ゆるさない!

 ――おお、坊や、むずがるのをお止めなさい。そなたの嘆きは冥府を振動させる。

 女王は慰め、金の縁取りをした死者の書をめくる。

 ――恐ろしいこと。死の運命を捻じ曲げるだけではあきたらず、死を妨げるとは。この者らの苦痛、嘆き、いかほどのものか。

 彼らは一つの人格を三つに分け、とりとめもないことを言い合い、まとまらない。

 じっとアズールが耐えていると、薄闇に別の神格が浮き上がった。

 醜い、しわくちゃの老婆である。老婆は上位世界の存在であり、本来この層にはない。上位世界の存在がこの下位の世界に姿を現す時は、あくまで影として現れる。しかし、その姿も、分御霊(わけみたま)した、ごく一部の神格を投影してきたに過ぎない。神は、己を無限に分化することができるのである。これを分神(ぶんしん)と言い、同じ神が世界のあちこちに奉られながら、同時存在するということであった。同じ神でありながら、荒ぶる神格もあれば、穏やかな神格もある。しかし、上位世界において彼らは統合されており、一つなのだ。

 ――冥府の。久しいのう。

 ――まあこれは、運命の女神よ。そのお姿、お久しぶりですこと。前回の代理戦争ではお世話になりましたね。

 前回代理戦争。

 law 〔ロー〕サイド、chaos 〔カオス〕サイドはそれぞれ代理の人間を立て、世界の命運を決める神々の代理戦争を行った。

 それぞれのサイド代表の人間を、『英雄』、『呪われし者』と呼び、各陣営の点数のとりあい合戦をしたのだ。

 前回は、law 〔ロー〕サイドの勝利に終わっている。

 ――くかか。異界の若造めが、我らの世界に好き勝手に介入してきおる。ただし、きゃつは上位神よ。うかつに手出しはできぬ。

 ――確かに。まして、この繊細な世界に、我らは直接介入できません。

 ――その『お作法』も守らぬ匹夫(ひっぷ)ゆえ、仕置きがいるのう。

 老婆はきひひひひ、と下品な笑い声を響かせた。その手に持った杖が、どん! と床を叩く。

 ――law 〔ロー〕サイド、chaos 〔カオス〕サイド、合意を得た。こたびも代理戦争を行う!

 はっ、とアズールは視線を上げた。しかし慌てて目を瞑る。何万分の一の分神とはいえ、神の威光に目を潰されてはかなわない。

 ――ただし! 相手は異界の神! その陣営! 心せよ!

 ざわざわと老婆の髪がうねり、次第にその干からびた肌に生気が宿る。そう、老婆は若返りながら激を飛ばす。

 ――ルールは、常どおり、(マーキング)とされた生命、物、場、奪い合い、潰しあい、屈服させよ!

  若々しく、それでいて恐ろしいまでに獰猛な女神は、その杖を床に叩きつける。冥府の立法者は各々うなずいた。

 ――承知。本来それぞれの星は秘匿されますが、こたびの代理戦争、law 〔ロー〕サイド、chaos 〔カオス〕サイド、両陣営共闘ゆえに、その星は開示されます。

 女王はぱらぱらと書をめくる。やがて名前を選び、その指でなぞると、紙面から金色の文字が剥離し、宙をただよう。

 ――名を写そう!

 王が女王の解き放ったいくつもの名前を宙に開いた巻物に写していく。

 ――アズールよ。前回の選定者にして剪定者よ。そなたは、星を集め、陣営を整えなさい。

 ――敵の陣営の星は明かされぬ。まして異界の神は代理戦争を知らぬであろう。しかし、きゃつはその子飼いを我らが世界に解き放った。それを星と見立て、代理戦争を実施する。

 ――異界の上位神よ。僕らの世界で好きにはさせにゅ。

 冥府の立法者が口々に言えば、恐ろしき女神は血も滴るような笑みで口をがっぱりとあけ笑った。

 ――代理戦争。我らが大呪法じゃ。この世界のルールに組み込んで、思う存分蹂躙してくれるわ!

 女神は黄金の頭髪を振り乱してげらげら笑い、アズールに指示する。

 ――選定者よ、我らは直接介入できぬ。異界の神のように外法に落ちるは、我らの名折れ。同じ程度まで我らがならうこともない。人の世は人で回せ。剪定者よ、舞台を整えるがよい!

 ――いずれ、異界の神の陣営、完膚なきまでに屈服させよ!









      *********




 神々との会合の後、アズールは冥府の出口へと向かった。

 冥府の君より手渡された今代の代理戦争における星ぼしのリストを手に、邪法の者アズールはそれらに目を通していく。

「――マッシモ・ベルセルク以下略。魔神。魔界出身。chaos 〔カオス〕サイド」

 やはり、と眉間に深いしわが刻まれる。

 あの脳筋皇太子が砂漠で行き倒れているのを発見した時、アズールは彼の命運が尽きていない、いや尽きてはならぬ人物だと星を読んだ。

 ゆえに助けた。

 また、彼はほとんど人類(魔を含む人型)最強の領域にいる男、リストにあがらぬはずがない。

「――ドロテア・ベルセルク以下略。魔神。魔界出身。chaos 〔カオス〕サイド」

 マッシモの同腹の妹であったか。確か、女版マッシモと聞いた。正直今から疲労で目の前が暗い。

「――リュ・リュリュリュリュリュ・リュ以下略。魔神。魔界出身。注釈有り。law 〔ロー〕サイド」

 別腹の異母弟。

 さすがに、魔神は強力な駒であるとして、魔神皇族関係者の列挙が多い。

 しかし、この注釈――なるほど、そうか。実になりふり構わんな。

 アズールは納得し、次、と視線を走らせた。

 ずらずらと名前を読んでいき、時にその注釈にも目を通す。

 やがて、彼は一つの名前に辿り着き、僅かに目を見開いた。

「ユーリー・ジャバウォック。ヒューマン。トンレミ村出身。chaos 〔カオス〕サイド」

 以下、備考欄。

 ――彼の者、第X期代理戦争におけるchaos 〔カオス〕サイドの代表、『呪われし者』の転生体。魂に重大な傷、欠落有。前世より呪いが継続。魔剣の魂への定着有。分離不可。要注意。

 もはやアズールの眉間のしわは修正不可能なレベルで深く深く刻まれている。

「前代『呪われし者』――あのエレボスの皇子の今生の姿とは……」

 どうにも気が引けて仕方ない。

 彼の前生(ぜんしょう)は、激しい宮廷争いのため、土牢の中で成人するまで幽閉されていたというエレボスの皇子である。

 謀反防止のため、舌と四肢を切断され、すでに死んでいるだろうところを十数年驚くべき生命力で生き続けたため、神々に見出された。

 成人するまで言葉も知らず、光も知らず、友は己の体を這いずる虫のみであったという。

 当然愛する者などおらず、母の腕に抱かれたこともなく、ただ生きるために生き、chaos 〔カオス〕サイドの代理人として見出され、孤独のためにその選定を承諾し、戦い、やがて死んだ者だ。

 恐るべき闇の抱擁をして、だれにもだかれたことがない、あたたかい、と彼は言った。その安らかな深い色をした目を、その最期をアズールにはどうにも忘れられない。

 その転生体とは……

「胸糞悪い」

 アズールは嘆息し、詮無きこと、と他の者を確認していく。

「――エルマ・ワーロック。ヒューマン。デメルテ出身。注釈有り。……ああ、我が弟子か」 

 一瞬誰のことかと思ったが、うん、我が弟子だ。あまり魔法適性はなかったが、師の自分をして、ぞっとするほどの精密な魔力操作を身に着けている。魔力回路が焼ききれても超回復によって回路再生を行い、戦術級魔法の使用を可能とさせた。

 確かに、リストにあがってくるにふさわしい人物だ。いや、それよりもその由来ゆえか。

 次々と目を通し、各国著名人、放浪のハイエルフや、猫人、邪妖精、吸血鬼、竜族などの変り種もありつつ、最後に、今代の大将となる者の名前を拾う。

 本来、law 〔ロー〕サイドは『英雄』、chaos 〔カオス〕サイドは『呪われし者』と呼称するが、今代は前代未聞の両陣営共闘である。

 代理戦争は、互いに駒を潰しあい、取り合い、その魂の屈服や場の制圧によって得点加算されるが、ある種のゲームと一緒で、王将を取った場合、ゲーム終了となる。ただし、総合得点で争うため、王将を取った側が勝つとは限らない。

「今代の王将となるべき人物は――」

 再びアズールは瞠目することとなった。

 この人物、ふさわしいのか、果たして。

 あるいは、誰よりも適任なのか。

 注釈に目を通し、やがてアズールは巻物をくるくるとまとめて、赤い紐を巻きつけると、懐に入れた。

「やれやれ、老人をいつまで働かせる気やら」

 嘆息交じりに、冥界の一本道をゆっくりと歩き出したのである。


ちょうど字数的に折り返し地点、あと八万字前後で完結かと思います(一応一人称版は完結済なので) なお、ご感想うれしく拝見しています、ブクマもありがとうございます。

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