表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/39

13


 商業都市デメルテが『災い』により襲撃されて後。

 トンレミ村を同じく『災い』が襲ったその晩、二人の『元』日本人が長老宅の寝室で対面していた。



「スズキさん。いえ、鈴木さん。話を聞かせてほしい」

 ようやく『日本人』だという彼女の話が聞けると、そう切り出したアリアに、スズキ――いや、鈴木はじっと感情の伺えない瞳でこちらを見つめる。

 まるで、アリアという人間を、値踏みするかのような目だ。

 アリアは一瞬、困惑する。自分が檻の中の実験動物にでもなったような感覚に襲われたのだ。

 しかしその奇妙な緊張はすぐに霧散した。鈴木はもう普通の顔をしている。やがて彼女は口を開いた。

「その前に、一つ、私の方から貴女に聞きたいことがあります」

 まさかそんな切返しが来るとは予想だにしなかったが、鈴木の目は真剣だ。

 これはミスを許されない問いだな、と気を引き締めうなずいた。

「貴女は。ここに。この世界に、無理やり連れてこられましたか? それとも、自らの意思できましたか?」

 その質問に、息が止まった。鈴木は、アリアを見つめている。

「私は、自分の意思で、」

 声が震える。両手をひざの上に組んで、その指先がぶるぶると震えだす。

「――自分の意思で、くるわけなんか、ない……ッ!!!!」

 怒りで。

 理不尽への怒りで。

 目の前が真っ赤に染まる。

 胸につかえていた言葉が、堤を切ったように濁流となって溢れ出す。

「私は……平凡だった。なんのとりえもなくて、普通で、多分世界に必要となんかされていない人間で……」

 自嘲めいた自虐にも聞こえるが、本当は違った。アリアは、例え自分が誰にも必要とされていなくても。

 そこにいたかった。

「いてもいなくても、世界は変わらなかったと思う。でも、あの世界がッ、あの場所がッ! 私の全てだった! 家族がいた! 友人だっていた! 好きな人だって……告白なんてとてもできなかったけれど、好きな人だっていたんだ! 叶うかも分からない、それでも将来の夢だってあった……!」

 いてもいなくても、何も変わりのない人間だろうと。

 自分は、存在する権利があると、何疑うことなく確信があった。

 自分の人生を生きる権利だ。

 誰にも、その権利は奪われていいはずがないと、そう信じていた。

「そのために大学だっていきたかった! あの日、あの日、私は、進路のことで母親と喧嘩したんだよ……」

 だから、母親とも、まっこうから口論した。

 アリアと、母親は別々の人間だからだ。親子でも、親子だからこそ、譲れないことに、迎合すべきではないと思った。

 とことんやってやると、あの日のアリアは息まき、必要もない暴言まで吐いてしまった。

 取り戻せると思っていたからだ。いとも簡単に、そう考えていたからだ。

 だって、知らなかったから。

 あの日のアリアは、知らなかったから。

 怒りに任せていたそれは、次第に声の勢いを失っていった。

「それでなんて言ったと思う。死んじゃえって、大嫌いだから死んでしまえって……言ったんだ……」

 母親は、アリアに手をあげた。手をあげた後で、娘を見て、自身もまた呆然としていた。アリアはいまだって、叩かれたことを許さない。そんなものは、肯定しない。でも、あの呆然として、自分が叩かれたみたいな顔をした母親に、投げつけた言葉――それが最後になってしまった。

 アリアが覚えているのは、小さくなってしまった母親の姿だ。

 鈴木は何も言わない。 

「明日もあさっても何も変わらないと思い込んで、突然何もかも無理やり終了させられるなんて思いもしなかった……ほんとうに、欠片も、思いもしなかった……」

 だからあんなことが、簡単に、言えたのだ。

 アリアは、最後かすれる声で絞り出した。

「あんな……あれがお母さんに最後にいった私の言葉なんだよ」

 馬鹿馬鹿しいと一笑にふされてしまうだろう。

 思春期にありがちなことだと、肩を竦められてしまうかもしれない。

 だけど、だけど、と思う。

 これは、アリアの話だった。アリアの人生だった。他の人がどう感じるかなど、関係ない。

 悔しかった。

 もう、撤回出来ない。それがアリアの最後の言葉。謝りたい。一言伝えたい。なのに、もう叶わない。取り返しがつかない。

 あのまま、あの世界で生きていれば、いつか笑い話になっただろう。

 でも、『私』はあの瞬間で、ぶっつり絶たれてしまったのだ。もうその先はない。

 取り返せない。

 代わりに、はい、新しい人生をどうぞ? ふざけるな。

 こんなのってない。こんなのあんまりだ。

 ぼろぼろとアリアの頬に涙が滑り落ちた。

「馬鹿だよ。本当に大馬鹿だ! 罰があたったのか? もう二度と謝れない。お母さん、ごめんなさいって、それだけなのに、伝えられない! お母さん……泣いて、びっくりして、ちっちゃくなってたのに……」

 本当は、謝れないのが辛いのではなかった。

 傲慢にも、母親がかわいそうだった。

 謝れないのは、きっとアリアではない。謝れなくて、苦しむのは、たぶん母だ。

 失踪した娘に、手をあげ、投げつけた言葉で、一生苦しむのは、母の方なのだ。

 それを認めることは、この世界のアリアには、あまりにも苦しかった。

 もうどうしようもないからだ。

 自分が謝れないのが辛い方が、何倍もよかった。

 だって、自分は薄情な人間なのだから、本当はそんなに心は痛まない。

 もういいよ。それなりにこっちはやってるよ。お母さん、ショック受けすぎ。うける。いい加減子離れすれば? 私は元気。だいじょうぶ。お母さん白髪増えた? 心配しすぎ。だから、元気げんき。こっちは適当にやってるからさ。もういいよ。もう、ほんとうに、いいんだよ。ねえ。だからさ、もう、忘れていいよ。忘れても、いいんだよ。

 軽口で、そう言えたらよかったのに。

 伝えたいのに、伝えられない。

 何もわからない。

 どうしているのかさえ。

 うかがい知ることもできない。

「こんなわけの分からない世界につれてこられて、赤ん坊からやり直し? こんな、こんな終わり方ってあるか? 交通事故じゃない! 通り魔でもない! あの馬鹿で夢見過ぎの勘違いな奴のおかげで! 私は、こんなッ、こんな……ッ」

 こんな――ッ

 乱れる息でアリアは無茶苦茶に吐き出し、そして片手で顔面を覆い、うなだれた。

「私は、フェリュシオン国民なんかじゃない……こんなの」

 こんなの、認めない。

 アリアは何度、何百回、何万回、自分に言い聞かせただろう。

 認められない。馴れ合わない。人の名前なんて呼ばない。私は日本人だ。私の名前じゃない。こんな変な名前じゃない。周囲の人なんて皆知らない。私は日本に帰りたい。これは拉致だ。酷すぎる。帰してくれ。今すぐにだ。そうじゃないと。私は。

 この世界の人間になってしまう。以前の世界を、忘れてしまう。過去にしてしまう。

 嫌だ。それだけは、嫌なんだ。 

 大切な思い出も、大切な人々の顔も。本当に私は全部覚えている?

 笑ってしまう。

 あの時の私は今の私と同じだろうか? 時間の経過とともに、指の隙間を零れ落ちる砂のようにどんどん失われていってしまう。大切な何かは、新しい何かで上書きされてしまう。

 もうこんなに、何もかもあやふやなのに。記憶をどんどん取りこぼして、必死に上書きしているのに。

 でも、そんなの、認められない、とアリアは喚く。

 絶対認めない。私は私は私自身なのだと。『私』である魂が咆哮する限り、アリアは絶対、認めたくなかった。

「……分かりました」

 つめていたらしい息を、鈴木はゆっくりと吐き出した。彼女の周りに常に張り巡らされていたガードが一枚、二枚、薄皮を剥ぐように取り払われて行くのが、アリアにも分かった。

「貴女は、味方、かは分かりませんが。少なくとも、敵ではないようですね。昼間のことは正式に謝罪します。財産もできうる限り、補填してお返しします」

「……? な、どういう」

「すみません。八つ当たりでした」

 鈴木はあっさり言った。興奮していたアリアの方が面食らってしまう。

「あの鉄面皮で感情どっかに置き忘れてきたんじゃないかっていうくらい冷たいリーダーが、あんまりにも貴女のことを好きで好きで仕方ないようでしたので、てっきりハーレム補正の敵方さんかと」

「は?」

 面を上げた私の顔は、いい歳して人前で涙を流してしまったのを加味しなくとも相当間抜けだったと思う。

「嘘みたいな真の話です。私達、不幸補正がかかっています」

「……は?」

 もう一度アリアは繰り返した。涙も完全に止まった。鈴木は真剣な顔で、冗談を言っているようには見えない。

「何から話したものやら、私も相当せっぱつまっているんですよ。話が前後したらすみません」

「い、いや。それはかまわないが」

「色々推測も混じってくるので。まずは、事実や実体験からお話しましょう。私、何歳に見えますか?」

「は? え、ああ。十六歳くらいか?」

 ちんまりしていて、十三~四にも見えるが、落ち着いた感じなので、少し年齢をあげてみた。だが、あまりにも、中身と外見がそぐわないと思う。そぐわな、い?

 はっとしたアリアに、鈴木は深くうなずく。

「もう数えるのは止めてしまいましたが。少なくとも、六百歳は超えていますね」

「待ってくれ。君はエルフには見えないが」

「構成はこの世界の人間と同じものですね。ただ、私、不老不死なんです」

 あまりにもさらっというので、流してしまうところだった。

「は? 不老不死――?」

「最初は自分でも気づきませんでした。あ、最初っていうのは、生まれてから数年してくらいで、自我が形成されて後ですね。その時は、別の名前を持っていたかと思いますが、もう忘れました。それに私は鈴木晶子です。他の者になった覚えも、そんなことを許した覚えもありません」

 はっきりと。

 彼女の怒りの形を見た。

 無表情で、三白眼で、落ち着いていて、腹黒そうで。

 でも彼女は。

 とても。

 とても怒っている。

 アリアと同じく。

 あの理不尽を、許していない。

「それでまあ、色々とありましてね。色々というのは、まあ貴女の想像の限界を超えた不幸のオンパレードと思ってください」 

 怖くて聞けない。

「それでですね、一回自殺しました」

「――!」

 思わず中腰で立ち上がりかけ、ゆっくりと寝台の上に腰を下ろす。

「確実に死にました。首の骨が折れました。でも。死ねませんでした。違うな。死に続けられなかった。蘇生したんです。最悪でしたよ。意識、ずっとあるんです。痛いし、死ねないし、もうね、それ以来、なるべく死なないように気をつけたんですけれど、死亡率が高くって、まあ廃人になりかけました」

 淡々と。実に淡々と彼女は続ける。口を挟むことはできない。そんな迫力があった。

「私、不老不死ですが、身体は普通どころか、むしろ弱くって。魔法の才能も絶望的で。頭の回転も悪くて。酷い目にあいましたよ。でもね、人間、死ぬ気でやれば何とかなるものです。時間だけはありました。学んで。学んで。ないものを、絞りつくして。今の私があります」

 彼女は暗い目で私を見る。

「ようやく人並みになって。それで、私、ようやく動けたんですよ。なんでこうなった。どうしてこうなった。原因を追究して、いえ、諸悪の根源を見つけ出して、そいつを殺す。蛆虫みたいにひねり潰す。殺す。いや、殺すまい。地獄の苦しみを味あわせて、死ねない恐怖を教えてやる。気が狂うことなんて絶対許さない。そんな慈悲など欠片もやらない。許せない。絶対に許せない。そんな妄想でご飯が十杯軽くいけるくらいの精神的余裕ができて、世界を放浪するようになりました」

 いや、鈴木さん。

 アリアは引きつる。

(貴女、今の本気でしたよね。多分オブラートに包んだ氷山の一角でしたね?)

 気持ちは、凄く分かる。分かるが、アリアは鈴木の感じた苦しみは、多分理解できない。アリアは死んだことも、蘇生させられたこともない。

 それで分かるといったら大嘘だ。

「それでですね。世界を放浪する内に、気がついたんですよ。色んな、痕跡があるって。先人がいたんだって」

 アリアは瞠目した。

「古代文字。古代文化。衣食住。ところどころに、日本の痕跡がある地方がありました。サブカルチャーらしきものもみたことがあります。ねえ、覚えていますか? 私達が捧げられたあの時を……」

 真っ黒なクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶしたら、こんな目になるだろうか。 

 そんな光のない目で鈴木がアリアに尋ねる。

 アリアの喉が、ぐびりと鳴った。

「……覚えている。たくさんのけはいがあった。皆、抵抗していた。いやだといっていた。でも、」

「無理やり捧げられましたよね。神への供物でしたね」

 そうだ。『私達』は、捧げられた。

「私、生前、うちの兄貴が好きだった漫画がありまして。これ、ネタばれ自重なんであれなんですが。ある人物が、自分の願いと引き換えに、大切な仲間を異存在に捧げるか否かって選択するシーンがあるんですよね」

 その漫画は、アリアも知っている。

 内容はうすらぼんやりしているが、そのシーン、あまりにも私達に酷似しすぎていて、はっきり思い描くことができた。

「その人物はね、結局『捧げる』ことを選択します。仲間に恨まれ、その悲鳴に包まれて。彼は己のしたことを知っているんです。己がなした結果を、その罪を知っていて、なおそれを愉しんだ。罪とともにね。でもね、『彼女』は違う。そのことを、罪とも思っていない。悪いことだとも思っていない。ただ浅慮なんです。だから。だから」

 簡単に、私達を捧げた。

 あの声。

 覚えている。

 今でも鮮明に思い出せる。

 ――異世界(×××××××)に行きたい。

 ――自分の知っているキャラクター達を、助けたいの。

 ――かわいそうだから。救いたいから。皆を助けてあげたい。お願い、私を異世界に連れて行って!

 そう願った少女の叫びに、『神』は含み笑いで答えた。

 ――汝の願い、叶えよう。

 ――ただし、汝のみでは叶わぬ。

 ――汝と縁のある者で、『××』の高い者を順にその魂を捧げてもらう。

  どういうこと、と尋ねた彼女に、『神』は答える。

 ――お前の血縁友人知人を。

 ――お前と一緒に異世界に連れて行く。

 彼女は答えた。

 ――そんな。

 ――でも。

 ――ううん。

 ――大丈夫。

 ――皆、分かってくれる。

 悲鳴が響き渡る。

 『私達』はそれを聞いている。

 彼女には見えない。

 ガラス瓶の中に詰め込まれ、ただその場面を見せられる。

 意味が分からない。でも異常だと肌で感じている。

 周囲の様子は分からない。

 でもたくさんの人がいると感じる。 

 ――皆、力を貸して。お願い。あなたたちの力が必要なの。

 ――大丈夫、私が皆を守るから。

 ――皆を救ってみせる!

 なんという勘違いした善意。

 ひとりよがり。

 止めて、と私は必死にガラスを叩く。

 止めて、と泣き叫ぶ。

 これは夢じゃない。

 現実だ。

 現実だって、私の魂が叫んでいる。

 怖い。

 お願い。

 お、かあ、さん。

 怖い。

 こんなの嘘。

 ――だから。

 止めて!

 ――だからお願い。

 お願い、止めて。

 ――私を、異世界に連れて行って!

 やめてええええええええええええぇぇえええええええええええええ! 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ