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トンレミ村 アリア・ウィルド
勇者が凱旋した。
勇者は自身の生まれ故郷であるところのトンレミ村に、魔王退治の後、骨休めか故郷に錦飾るつもりなのか、この度揚々ご帰還遊ばすとのことで、その一報に、魔王退治の知らせ以上に村中が沸き立っていた。
老若男女、ついでに飼い犬からロバまで興奮のるつぼに投げ込まれて、意味もなくうろうろしては立ち止まり、額をつき合わせては「勇者さまが!」と喚いている。
熱狂である。
魔王というのも、その第何皇子であるとか、吸血公メルキオラだとか、いや、吸血公の甥だとか、少々情報が錯そうしているが、とりあえず何やら強い魔族を倒したらしい。
この寒村も寒村で、ぱっとしない本当に力一杯特徴がないのが特徴の、鄙びてしなびてあれな村であったから、噂の真偽も詳細も二の次にされた。
名のある魔族を倒し、国からも褒章を受けたそうだというので、村人には十分だった。
鳶が鷹を云々で、思いもかけぬスターの誕生に村中が鼻息も荒くなっている。トサカに来た雄鳥のように右往左往して、その内心臓発作でも引き起こしそうな勢いである。
少しは落ち着いてはどうだ、と村民のアリア・ウィルドは、この興奮からは一歩引いて、水甕を屋内に運んだ。
甕の中には、アリアの微妙にうかない顔が映っている。
彼女はその日、商品の売掛金回収するまであと三日をどう過ごそうかと、ないないづくしの懐と空しい相談をしていたところだった。
勇者さま? ゲームでもないだろうに、なんなんだ、その概念。まあ、私の知ったことではないか。
とまで言うと、さすがにドライが過ぎるだろうな、と彼女は水面にため息を落とした。
勇者といったって、実はアリアの幼なじみである。
ユーリー・ジャバウォック。
寡黙で、吃音癖のある、痩せっぽっちの少年だった。
彼にまつわる思い出には、あまりよいものがない。
アリアは今でこそ特に特徴のない人間だが、幼少時は、かなり気性が激しかった。そして、幼いアリアは、自分のあとをついて回る少年を、あまり快く思っていなかった。
追い払うために、手も出れば足も出たこともあるし、口ぎたなく罵倒したこともある。
今でこそ、自分の暴力性にぞっとするが、やられた方はたまったものではないだろう。
なぜ、ユーリーが邪険にされても、自分につきまとってきたのか、彼女にははっきりと分からないが、気まぐれに優しくしたからかもしれないとも思う。
ユーリーは村全体で、厄介者扱いどころか、ない者として扱われていた。彼の両親とも、相当に折り合いが悪く、ネグレクトに近いことは起こっていただろう。彼に妹が生まれた時には、もうほとんど家に居場所がないような状況になっていたことも、アリアは察していた。
言ってみれば、ユーリーは幽霊か、それとも村の嫌われ者だった。
彼はどこか異質であった。村人の中には、何があったのか、はっきりとユーリーを恐れているものもいた。
今となっては、『勇者さま』と言われるような、力の片りんを見せることがあったためなのかもしれない。
アリアも彼を嫌っていたが、彼女が嫌いなものは、別にユーリーだけではなかった。
その意味では、特にユーリーとその他の村人の間に、差はない。
平等に嫌っていたので、ユーリーに対しても、そのようにふるまった。アリアに他の村人と違うように接したのは、むしろユーリーの方だっただろう。
ユーリーだけを特別に嫌っていたわけではないアリアは、彼に作りすぎた食事を分けることもあった。
彼は、食べる、ということも、あまり執着が感じられず、よくわからない風に首をかしげていた。だが、ふるまわれること自体はうれしかったらしい。
どもりながら、『こんな風にしてくれるひと、だれもいない』と痩せぎすの子どもが言うのに、さすがのアリアも頑迷な何かが折れたのを感じた。
距離を縮めるわけではないけれども、それなりの付き合いに改めたのである。
それからいくばくかの年月が経ち――
ユーリーはある日突然、村を出奔して、何年も経過した。
もう戻ってくることもないだろう。彼の行く末も分からなくなるのだとうなと思っていたのだが。
なんの因果であろうか。時々風の便りに、村全体が、彼の近況を知ることとなったのだ。
つまり、その辺の中ボス倒したとか、呪われた幽霊城を解き放ったとか、吸血公を灰燼に帰したとか、黒竜を調伏して盟友と認められたとか、大国のお姫様を魔物の手から救ったとか、エルフ族と精霊の女王の祝福を受けたとか、塩の大地に緑を蘇らせたとか、魔将と死闘を繰り広げて勝利をおさめたとか、『おい、うっそだろ……』という諸々の伝聞である。
吟遊詩人も編纂が追いつくのか危ぶまれる勢いで、サーガを紡ぎまくっては、また新たな冒険に出かけたらしい。そうした風聞を、このド田舎まで轟かせることとなっていたのだ。
最初は半信半疑だった村人たちも、いつの間にか、誇らしげにあれこれと噂話で盛り上がる。
彼らの中で、ユーリーを厄介者扱いしていたことは、都合よく書き換えが起こり、忘れられた。村の誇りある英雄扱いに、井戸端会議で口に上っては、ああだこうだと評価しては楽しむ。まるで昔から、彼を応援しているかのように偽記憶が作られる始末だった。手のひら返しもここまでくると清々しい。
話半分でも、いや本当なのか、わけが分からん、とアリアはいまいち現実味なく感じていた。
そもそも彼が村を出て行ったのも、運命の師弟の出会いだの、魔物に襲撃されて村が壊滅しただのがあったわけではない。そういう宿命とか何か熱いものにいまいち欠ける突然かつあっさりした旅立ちだった。見送りなど、アリアともう一人幼なじみの少女だけだ。
アリアとしては、生水は飲まないように、くらいしか言えなかった。下手に死ぬなよなどと言おうものなら、現実になりそうな気がしたのだ。わびしい見送りは、言葉を飲み込んで終わった。
果たして、痩せぎすの彼を、必死に止めなくてよかったのか。
態度を改めたとはいえ、アリアは別段他人に深く介入する気もなく、面倒事も回避したかった。
だが、本当は止めた方がよかったのではないか。
そう、何かにつけ思い悩むこととなり、どうにも後味の悪い記憶となっている。
そんな記憶の相手であるユーリーが、今や大陸中にその名を轟かす勇者様におなり遊ばしたというのだから、人生はわからない。
助かったのはむしろアリアの方だろう。
おかげで、厄介な罪悪感も、次第に疎遠となりつつあった。
何があったのかとは疑問にも思うが、もはや縁遠い他人だ。
自分がどうこう考えることでもないと、アリアは思い――いや、果たしてそうか? と自問した。少し嫌な予感が背中を走ったが、何年も顔を合わせていない人物の胸中を推し量るなど、考えても仕方ない。
そういうわけで、どうせ今日は村人総出でお出迎えとあれば商売にならないと、彼女も早々に店じまいして、凱旋勇者の見物に出かけたのだった。
近隣の村、都市からも人が集まって、表はかなり凄い人出となっていた。人が飽和状態だ。昼間だけであろうか。専業の宿のような上等なものはこのトンレミ村にはない。農家が農閑期に兼業で営むことも希なくらいに人の出入りがないのだ。むしろ若人が出て行く一方の過疎地だ。
アリアもまた、故郷に骨を埋めることになりそうだが、特に地元愛などというものはない。もう一人の幼なじみに言わせれば、アリアには村を出て行くほどの三本の木が足りなかったが為の当然の帰結だそうだ。三本の木とはつまり、やる気と根気と元気ということらしい。
「勇者饅頭、勇者饅頭だよー」「勇者クッキーおひとつどうぞー」「勇者弁当、勇者弁当ー」「勇者様のミニアチュールありますー」「勇者キーホルダーはいかがー」
何でも勇者をつければいいと思っているかのような雑さが感じられる。英雄を輩出したことによって、村おこし的な何かが絶賛巻き起こっているわけである。
「勇者ネックレスですよー」「旅のお供に勇者マントー」「勇者の剣ー」「寂しい夜は勇者人形を」「安眠勇者枕で快眠ですー」「この重厚な勇者家具」「勇者定期ー勇者定期預金はいかがー」
本当に何でもありだな、とアリアは物珍しく見回した。
とりあえずこの勢いにのっとけ乗り遅れるなという商売人の気合いが、原色で渦巻いている。わざわざ勇者の凱旋をねらって、遠方から足を伸ばしに来た商人もいるようだ。商品をさばくというより、商機を探しに来たのかもしれない。
アリアも見習った方がいいような気がしてきた。
とりあえず三本の木の内「やる気」でも地道に育てていくことにするか、と彼女は冷やかし半分立ち並ぶ出店をのぞいて行く。
村の外に溢れ出すよう張られた色とりどりの天幕を眺め、ぶらぶら歩いている内に、わあ! と歓声が上がった。
ふいに、アリアは昔、『母親』に連れられて、遊園地に行った時のことを思い出した。
パン、と音がして、色とりどりの風船が空に昇っていく。手をつないで、抜けるようなスカイブルーを埋める風船を見上げた。
その記憶が、白昼夢のように差して、ぎゅうぎゅうのすし詰めになりながら、彼女は見た。
勇者の凱旋。
一瞬の空白の後、
雌鳥を絞め殺す時の断末魔が響き渡った。
いや、黄色い悲鳴である。
というよりむしろ絶叫そのものが、鼓膜を震わせた。
女性陣が興奮のあまり、何名か半ば失神したようだ。
老人たちは拝んでる。アリアは若干引いた。ご神体じゃないと思うんだが……と物理的にあとじさる。
彼らは、ありがたやありがたやと、両手を高速に擦り合わせている。
す、すごいな……とアリアはなんとか冷静に唾を飲み込んだ。
一方、感極まって、号泣している面子は、かつてユーリーの吃音を、遠くから冷笑していた面々である。ハンカチを目もとに押し当て、ユーリーの名を連呼している。
いや、そこまで……とアリアは狂乱ぶりに引きまくった。
確かに平和をもぎとってくれたのはありがたいが、ますますアリアは心の距離を置いた。
とにかく阿鼻叫喚、凄い熱狂、フィーバーだ。
勇者が一歩進む度に、足下に薔薇か蓮の花が開いたといわんばかりに奇跡じゃあ! というどよめきが走る。
一挙一動にこの騒ぎじゃ、勇者が三回回ってワンと言ったら、自殺者か悟りの者が出るな。つらつらと考えながら、勇者を見たアリアの第一の感想といえば。
すごく、きらきらしている……という非常に描写力に乏しいそれだった。
金髪サラサラヘアで、青い瞳に、白を基調としたすごそうな鎧、マントをまとっていた。
終わり。
アリアが吟遊詩人だったら、聴衆に、引っ込めと痛罵を浴びせられても仕方ないと思われる。
まあとにかくきらきらしていたよ、とここにいない別の幼なじみに向かって説明してみる。
ぜんぜん分かんないわよ、と頭の中の幼なじみに呆れられた。
もっとやる気出して、と脳内幼なじみから、お言葉まで頂戴してしまう。
アリアはもう少し観察してみることにした。
あの白い鎧はもしやそういうエフェクトがかかる仕様なのだろうか。陽光に透けるような金色の髪は、微風に流れて光を反射している。甘いマスクが綻び、白い歯とともに片手があがるなり、女性陣の悲鳴が再びだ。
記憶の中のユーリーと別人過ぎる。
何があったのか、本当に分からない。
多少面影はあるが、変わりすぎるにも限界があると思われる。
人格改造セミナーで死ぬほど講習受けるか、やばい薬をキメたか、生死の淵を彷徨って悟りでも得たのだろうか。
また悲鳴と失神する音が聞こえた。
僧侶がいたら、とりあえず回復呪文かけてあげた方がいいのではないかと思った。
せめて死者が出る前に。死因は勇者のきらきら。
浮かばれないのか、浮かばれるのか、分からない。
分からないことばかりだ。
なお、トンレミ村のアリア・ウィルド。
彼女もまた、現代日本からの転生者である。