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コスモスの咲く季節

作者: 上野暢子

私はコスモスの花が好きだった。

子供の頃近所に青い瓦屋根で二階建ての文化住宅があり、その前に空き地があった。もう一つ同じ大きさの文化住宅が建てられそうなくらいの大きさである。その空き地は年がら年中雑草が生い茂り、文化住宅の隣にある材木屋が勝手に置いている、あるいは捨てたと言ってもいいような古い材木や誰かが蹴飛ばした空缶などが無造作にそこらに散らばっていた。住宅の住人も家主も手入れどころか気にもとめない完全に遊んでいるだけの土地である。

でもこういう空き地こそ子供にとっては格好の遊び場だった。春はピーピー豆の濃いピンクの花をつみ、夏はぼうぼうに生えた雑草からの草いきれにまみれ、草むらの中にいる虫にさされながら、私は友達と二歳年下の妹とよくその空き地で過ごした。

そして秋になると、その空き地にはなぜかコスモスの花が咲いた。夏には我さきにと生き急ぐように伸びていた青い雑草達が、その勢いを失い色があせた頃、コスモスは鮮やかで細い緑の茎を伸ばし、その先端にまぶしい程ピンクの花を付けた。

私はそのコスモスが好きだった。

幼稚園の頃、毎日空き地の前を通った。幼稚園バスの停留所がその空き地の近くにあったからだ。同じマンションのカズミちゃんとカズミちゃんのお母さんと一緒に、毎日私と妹は手をつないで家まで帰って来た。幼稚園の制服である茶色のジャンパースカートとオレンジのリボンを巻いた茶色の帽子をかぶって。

毎日、カズミちゃんのお母さんは帰り道に、「今日は園でどんなことをしたの?」の聞いてくれる。その度に私と妹とカズミちゃんは、口々にその日にした鬼ごっこのこと、粘土遊びのこと、そして先生が読んでくれた紙芝居の話をし、時折みんなで歌った歌を歌って見せたりした。

そして、秋には毎日、その空き地にコスモスの花が、私の背丈以上に高く伸び、日だまりに揺れているのを見ることができた。コスモスの花が揺れているのを見ると私の目は吸盤のようにぴったりと花に吸い付けられ、動かなかった。

「あれはなんていうんだろう」

私はいつも心の中でつぶやいた。そのころはまだ、その花の名前も、名前があることさえも知らなかった。「ねえ、あれはなんていうの?」とカズミちゃんのお母さんに尋ねることもなかった。

もしかしたら、花だという認識もなかったのかも知れない。濃いピンクの大きな花は花びらがいっぱいくっついていて、きれいなお菓子のようだった。その花があまりに繊細で針のような緑の茎の上に上品にのっかって、柔らかな太陽の光の中で暖まっている姿は、不思議にはかなかった。

コスモスに惹かれていて自分のものにしたいと思ったけれど、ピーピー豆のように摘み取ったりはしなかった。コスモスが好きだというのも誰にもいわなかった。誰にも知られたくないと思ったし、誰にも言う必要がなかったからだ。そしてただ、じっと見つめたり、時々ひとりでその花がゆれている様子を想像してみたりするだけで、十分楽しむことができた。それは私の人生最初のひみつとなった。

 ある日、園バスを降りた私は、何か忘れ物をしているような気にとらわれた。何か幼稚園に置いて来たかと思ったが、はんかちもお帳面もみんな肩から下げた黄色のかばんに入っていた。

(そうだ!今日はおばちゃんの来る日だ!)

おばちゃん、というのは当時家に来ていたいわゆる家政婦さん、あるいはベビーシッターさんのことである。

母さんは週四日、短大のフランス語の講師をしていて忙しく、私と妹が幼稚園から帰ってくる時間に家に戻ることはできなかった。母さんの父母、つまり私と妹にとっては祖父母が交代で週三日留守番に来ていたが、この時期何らかの理由で、その家政婦さんが週に一日だけ母さんの留守を守っていたのだ。

私はおばちゃんが大好きだった。おばちゃんは恰幅がよく、ぽっちゃりした優しい顔で、私たちのするいたずらを見て目をほそめてよく笑った。そして、のんびりした口調で言うのだ。

「そんなことしちゃ、やあよ」

 おばちゃんの叱る調子はいつもおだやかだった。よく物を知っている大人が何も知らない子供を叱り付けるというのとは、まるで違った。いかにもおばちゃんが私たちにいじわるされて本当に困ってしまっているというような感じなのだ。もっとも、そんな調子だったからいくら「やあよ」といわれても、おばちゃんが本気になって怒ることなんてないと分かっている私にはあまり効き目がなく、そのいたずらをやめるのはその日の間だけだったが。

 おばちゃんのことを思い出した途端、私の体は喜びでいっぱいになった。思わず走り出したい気分になった。いつものようにカズミちゃんのお母さんとバス停から帰って来たのだが、家に向かう足取りが自然と早足になり、そのときのお喋りにはうわのそらで集中することはできなかった。空き地に咲くコスモスも目の中に入らなかった。

 カズミちゃんとそのお母さんと私の家の前で別れたあと、ぼんやりしている妹をほったらかして、私は大急ぎでジャンプして家のインターホンを強く押した。

ピンポーン

「はい」軟らかな声。

「ただいまーー!!」

私はためていた大声を張り上げた。

「はあい」

その笑顔が浮かぶような柔らかく明るい声で返事が返ってきた。

 そして、ほんの少しすると、がちゃっという音がして重たいドアがふわりと開き、私が想像していたのと全く同じ笑顔のおばちゃんが現れた。おばちゃんは私の想像を裏切らない。

「はいはい、こんにちは。さあさあ、入って、入って」

おばちゃんは文字どおりこぼれるような笑みを浮かべて太った体の向きを変え、私達を促した。私は嬉しくて、思わず飛び跳ねながら玄関に入り、夢中で靴を脱いで部屋に入った。後ろから妹がよたよたついてくる。

 私はさっさと子供部屋で着替えを始めた。

 私は着がえが嫌いだった。夜寝る時パジャマを着たり、朝起きた時に着替えをするのが面倒でたまらなかった。ボタンを留めたり、つりひもを上手に通したりするのがうっとうしかった。着替えの時間になると、ついぐずぐず時間がかかってしまい、母さんを苛立たせ「早く、早く」と言わせてしまうのだ。


 普段は億劫な着替えも、おばちゃんが来る日は違っていた。私はお気に入りの洋服を着ることにした。パステルカラーの黄色いジャンパースカート。柔らかい綿でできていて、肩ひもには同じ色のフリルが、スカートにはフレアーが入っている。動きやすいし、オシャレだと私は思っていた。それにお気に入りの白いブラウスを着る。白地にピンクの小さな花の刺繍が胸のところに散らしてあり、えりぐりと袖ぐりは同じピンク色の刺繍糸でまつってあった。

 両方ともお下がりだったから、今まで誰もその服の可愛さには目を留めなかった。でも、そんなことはどうでもよい。このスカートとブラウスが私は大好きなのだ。

 スカートとブラウスがたんすのどこにしまってあるかはちゃんと知っている。私は大急ぎで着替えを済ませた。

 その頃、おばちゃんは二歳年下の妹をなだめて着替えをさせようとしていた。母さんのいない日、妹は何となく浮かない感じで、何にでもぐずぐずし始める。

「キミコちゃんも、着替えましょうね」

おばちゃんが、口をとがらせて小さくうなる妹をタンスの前に連れてきて、妹の服を引き出しから取り出す。

 妹が制服を脱いで着替えを始めた時、私はすでにほとんど済ませ、ブラウスの最後のホックを留めたところだった。おばちゃんは私に気がついた。

「あら、おねえちゃんはもう着替えたの!?早いわねえ」

いつも「早く、早く」と叱られてばかりいるだけに、私は少し嬉しくなった。そればかりではない。おばちゃんはこう続けたのだ。

「まあ、可愛らしい。着ているとフランスのお人形みたいねえ」

 一瞬、私は最初何を言われたのか分からなかった。その言葉の意味がわかった時、私は足元が宙に浮いてしまうような、喜びが音楽になって川のように体からあふれてしまうような感情を味わった。その川に身をゆだねたいと思った。おばちゃんが、お世辞ではなく、心の底から私のことをほめてくれていることがわかったのだ。私はただ黙って、にっこり笑った。それがこの暖かい言葉に対する私のお返しだった。

 着替えが終わりお昼ご飯の時間となった。

「さあさあ、ごはん食べましょう」

おばちゃんは、私と妹をうながした。

 食卓の上には、レタスとトマトのサラダ、たこソーセージ、そして俵型ににぎった小さなおにぎりが3つずつ、白いお皿にそれぞれのせてある。お皿の横にはきゅっと絞ったお手ふきがちゃんと用意されている。いつも同じ食卓が今日はとびきり色鮮やかだ。私は思わず息をのみそうになった。まるで遠足に来たみたいだ!

 食事が始まった。

「おにぎりのどれかに、梅干しの種が入っているから、それがあたりね」

 しばらくして、妹が口をもぐもぐさせながら言った。

「あー、たねだー」

「あらあ!大変だ!きみこちゃんがあたりだ」

 おばちゃんは嬉しそうに立ち上がり、妹の手から種を受け取って、太った体をまるで一大事とでもいうように大急ぎでゴミ箱に走らせた。その様子がおかしくて、私は笑った。楽しくて、幸せで、日だまりで太陽の恵みを受けている春の花の気分だった。


 やがて、夕方になり忙しい仕事から母さんが帰って来た。母さんは口元だけ笑顔を浮かべて、おばちゃんに丁寧に礼を言い、私と妹もさよならした。

 おばちゃんが帰ってしまった後の家は何となく寂しかった。太陽も翳ってしまった。母さんにはおばちゃんの様なゆっくりした落ち着きもなく、さっき大人として見せた笑顔もなく、能面のような表情になっている。

 悲しみとも怒りとも読み取れない表情。でも何かがうまくいっていないとすぐに感じ取ることができる。私は母さんのそばを離れ母さんが何を言うだろうか、自分は今何をしないといけないのか考えを巡らせた。

 いつも、いつも言われて要ること・・・・。そうだ!

 私はおもちゃを片付け始めた。

(ぐずぐずしないで、早くしなさい)母さんのいつものセリフが頭の中をこだまする。できるだけ静かにおもちゃを片付けている間、遠くから母さんを見ていた。母さんの表情は変わらない。冷たい窒息感が部屋を襲っているようだ。大きな物音を立てたりしないように慎重に片付けを続ける。

 そのうち、かちんと蛍光灯のスイッチを付ける音が聞こえて、母さんが台所で働き始めた。母さんが台所で換気扇をつけ、コンロのスイッチを入れ、冷蔵庫を開けたり閉めたりする音が聞こえ始めた。私は少しほっとした。いつものように日常生活が回り出したのだ。私は理由のわからない沈黙から逃れることができた。

 私は座って絵本を読むことにした。散らかさずに、静かにひとりでできることだ。この日が平和に終わってほしかった。

 母さんが台所からため息をつくのが聞こえた。

「・・・・がないわ。一体どこに行ったんだろう」苛立ちと怒りと疲れの混じった声。私は自分の鼓動が速くなるのを感じた。おばちゃんはある程度の台所仕事もやっていた。

「あの人、困るのよねえ、すぐ物なくすから、ほんとにもう・・・・」

 母さんは苛立ちの声を大きくして、戸棚の中のものを次から次へと食卓の上に並べ始めた。機械のように次から次へと。

 私は絵本を読むのをやめて、母さんを見た。でも母さんには私が見えなかった。母さんの目はなくなった何かを探すのに夢中で、私が見ていることには気付かなかった。

 母さんの目の中には、おばちゃんが人形みたいと言ってくれた私はいつもいない。目の前の景色が色褪せていくのを私は感じた。おばちゃんの明るい笑顔、おばちゃんが可愛いと言ってくれたこの洋服、晴れた日の遠足のように色鮮やかで楽しいお昼ご飯、何よりもおばちゃんの太陽のように包み込むような暖かさ、私は今日一日の楽しかったことをレコードの早回しのように思い出した。

 けれどどれを思い出しても、喉の奥がつまるような感覚を味わった。

 そうか、母さんはおばちゃんのことが好きじゃないんだ。でも、母さん、おばちゃんがどれだけ暖かいか知ってる?

 あんなに優しいおばちゃんが可哀相だった。でも母さんも可哀相だった。母さんは忙しいんだ。寂しいんだ。

 母さんの顔から再び表情が消え、母さんは棚から出したものを片付け始めた。私はただ、無表情な母さんを見ていた。小さな獣のように、息をひそめていながら。


 それから何年かの秋が過ぎた。私は小学校高学年になっていた。いつの間にかおばちゃんは留守番に来なくなっていた。あとから聞いた話だが、おばちゃんは高血圧もちで、その症状が重くなり、家政婦として働くことができなくなったのだそうだ。その後、おばちゃんのような人はもう、現れなかった。

 その代わり、私と妹の首には家の鍵をくくりつけた紐がぶら下がるようになった。

 しかし、相変わらず、空き地には毎年コスモスの花が咲いた。コスモスの花が咲く頃になると毎年私は疲れを覚えるようになった。空き地の横を通る度にコスモスがひだまりで揺れているのが見えると、目が知らずに吸いよされてたが、こころには隙間風が吹いた。学校にいても楽しくなかった。すぐつかれてしまうのだ。友達といても、家にいても、秋になると不思議な悲哀感と肌寒さが私を包んだ。


 お気に入りの服を着た日から一週間して、私はおばちゃんに言ったのを覚えている。

「おばちゃん、母さんがね、おばちゃんが来てくれるんで助かるって言ったよ」

その時の私は子供らしい屈託のない何のくもりもない笑顔だったはずだ。いつもおばちゃんに見せている笑顔だったはずだ。何も知らないおばちゃんは、いつもの太陽のような暖かく明るい笑顔で

「あら、そうお」

と言った。おばちゃんは喜んだはずだ。誰だって誰かの役に立つのは嬉しいはずだから。でも私はただ悲しかった。いくらおばちゃんを喜ばせることができても、私の言ったことは真実じゃなかったから。おばちゃんには真実を知ってほしくなかった。私に太陽の暖かさを味あわせてくれたおばちゃんには、ずっと私の太陽でいてほしかった。その後も太陽はそれでも暖かかったが、私の地面は冷えてしまっていた。そして、そのウソが大好きなおばちゃんとの最後の思い出になってしまった。

 その後間もなくおばちゃんは家政婦を辞めてしまったのだから。

そしてさらに長い月日を経て、私は大人になった。昔の母さんと変わらない年齢になった毎年秋は巡ってきたけど、もうあの空き地はなかった。文化住宅を取り壊し、小さな学生マンションになっていた。材木屋も、空き地で遊んでいる小さな子供たちも姿を消した。当然コスモスも咲かなかった。

 でもコスモスの花が咲く季節になると思い出す。私を包んでくれていた太陽の光と、私がその日だまりで恵みを受けている花であったことを。



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