63話
「もー! 暑ーい!」
流れる汗を必死に拭うハルピュイアが、苛立ったように翼をバタつかせる。
……正直、かなり暑い。
頂上にある噴火口に近づけば近づくほど、気温が上がっているような気がする。
「もう少しの我慢だ──っと……そんな事言ってたら着いたぞ」
──『フリード噴火山』の頂上。
中央に巨大な噴火口があり……それ以外には何もない。
歩みを進める聡太が、噴火口の中を覗き込んだ。
──暑い。正直、それしか感想が出てこない。
尋常ならざる熱気に、思わず目を閉じてしまいそうになるが……グッと我慢し、噴火口の中を見る。
──かなり奥にだが、扉がある。おそらく、あれが『大罪迷宮』への入口だろう。
「……ハピィ、ミリアを頼めるか?」
「んー? どうするのー?」
「この中に『大罪迷宮』の入口っぽい扉がある。ミリアを運んでくれ」
「えー……この中に行くのー……?」
ハルピュイアの気持ちはわからなくはない。今でさえこんなに暑いのに、さらに暑い所へ行こうとしているのだから。
聡太も、その気持ちはわかる。
わかるのだが……
「……付いて来ないなら、別に付いて来なくていい。ここで大人しく待ってろ」
暑さが原因か、聡太がいつになく冷たい言葉を放った。
だが──直後、自分の発言の冷たさに気づいたのか、珍しく慌てた様子で発言を訂正する。
「わ、悪い。そんなに強く言うつもりは……でも、ここから先に進むのがキツいなら、無理はするな」
「……おー!」
「ミリアも火鈴も……暑さでやられそうなら、ここで待っててもいいんだぞ?」
「付いて行きます!」
「ま、そりゃ付いて行くよね~」
「ハピィもー! もうワガママ言わなーい!」
全員、暑くて暑くてたまらないはずだ。
それなのに、我慢して付いて来ようとしてくれている。
……それを聡太が拒む権利はない。
頼もしく優しい仲間の言葉に……思わず、聡太の口元に笑みが浮かんだ。
「そうか……火鈴、頼む」
「任せて〜。【竜人化】」
「ミリアー! 行っくよー!」
「はい、お願いします」
火鈴が竜人に変身し、聡太の手を握って噴火口の中へ飛び下りた。
ハルピュイアの鳥足がミリアを掴み、飛ぶようにして噴火口の中の扉へ向かう。
「うわ……中は一段と暑いな……」
「そうだね〜……あたしは【竜人化】のおかげで暑さには耐性があるけど、聡ちゃんたちにはキツいかもね〜」
翼を打って体勢を整え、扉の目の前に着地。
ハルピュイアとミリアも、特に問題なく扉まで着いた。
「これは……」
「文字……かな〜?」
「見た事のない文字ですね……」
扉には、文字が書かれていた。
だが……異世界の文字ではない。
「……『これより先、鏡の部屋』」
「ソータ様?」
「『それは、汝を映す鏡。それは、汝の心に潜む闇。それは、汝の抱える悩み。それは、汝の本当の望み。醜悪で醜怪な自分と対峙した時、汝の心は何を答える?』……ってさ」
「そ、聡ちゃん? 読めるの?」
「まあな」
【言語理解“極致”】を有する聡太は、古代語だろうがモンスター語だろうが何でも読めるし聞き取れる。
だが……書いている文字の意味までは理解できない。
鏡の部屋? 心に潜む闇? 抱える悩み? 本当の望み?
──汝の心は、何を答える?
全く意味がわからない。
「……ま、進めばわかるか」
鉄製の扉に手を掛け──振り返って、三人に問い掛ける。
「準備はいいな?」
三人が頷くのを確認し、聡太は目の前の扉を開けた──
「……何も……ない、ですね」
「おー……広ーい!」
「『ユグルの樹海』にあった『大罪迷宮』とは全く違うね〜。モンスターの気配もないし〜」
──何もない、ただただ広い円形の部屋。
キョロキョロと辺りを見回しながら、聡太が部屋の中へ足を踏み入れた。
この部屋の奥──そこに、別の部屋に続く扉がある。それ以外は何もない。
……【気配感知】に反応はない。つまり、モンスターも人もいないという事。
いつ何が起きても言いように身構え、聡太たちは部屋の中央へと進み──
「かッ……は……?!」
「ソーター?!」
「聡ちゃん?!」
──聡太が、その場に膝を付いた。
胸元に手を当て、荒々しい呼吸を繰り返す。
──魔力を吸われた……? しかも、【無限魔力】を有する俺が、魔力不足になるほどの量だと……?
体内の魔力が一気に無くなる感覚に、聡太の体が貧血のような症状に襲われ──異変に気付いたミリアが、天井を見上げた。
「あ──ソータ様! 上です!」
ミリアの鋭い声に、聡太たちが天井へ視線を向けた。
──天井に大きく描かれた、巨大な魔法陣。
魔力に敏感な『森精族』であるミリアは、聡太の体から魔力が放出されたのを察知し、その魔力がどこに向かうのかを視認していたのだ。
「チッ……! 他人の魔力を勝手に吸い取りやがって──」
魔法陣が……覚悟はできてんだろうな──!
「『蒼熱線』ッ!」
魔法陣が発動する──前に魔法陣を破壊しようと、聡太が蒼い熱線を放った。
螺旋状に渦巻く熱線が、聡太の魔力で明るく輝き始めた魔法陣を消し去る──はずだった。
『──『魔反射』』
「は──?」
何者かの声が聞こえた──瞬間、聡太の『蒼熱線』が跳ね返された。
一瞬、何が起きたか理解するのに硬直し──慌てて魔法を解除し、跳ね返された『蒼熱線』を消した。
驚愕に固まる聡太──その目の前に、四人の男女が降り立った。
『あ? 何だその顔。俺のクセに、そんな間抜けな面すんなよ』
聡太を正面から見据える男が、不愉快そうに眉を寄せる。
……聡太は、声を出す事もできなかった。
だって、四人の男女の外見は──
『まあまあ、仕方がありませんよソータ様。いきなり自分と同じ姿の人が現れたら……誰だって困惑してしまいます』
『おー? よくわかんないけど、あの四人を倒せばいいんだよねー?』
『うん、そうだね~。時間も勿体ないし、早く始めちゃお~』
白色の髪と黒色の瞳の聡太が。
黒髪灰瞳のミリアが。
橙色の髪に、濃い赤色の瞳を持つハルピュイアが。
白と青が入り混じった不思議な髪に、黒と青の色違いの瞳を持つ火鈴が。
──殺意を剥き出しにして、戦闘態勢に入る。
「な、んだよこりゃ……趣味悪すぎんだろ……!」
目の前に現れた偽者を見て、聡太が驚愕に震える声を漏らした。
いや……聡太だけではない。
ミリアも、ハルピュイアも、火鈴も……自分自身の偽者が現れた事に驚愕し、固まってしまっている。
『ボーッとしてんじゃねぇよ──『水弾』』
「ま、『魔反射』ッ!」
偽者の聡太の周りに水色の魔法陣が浮かび上がり──そこから、水で作られた弾丸が放たれる。
迫る『水弾』を前に、聡太は『魔反射』を発動。
半透明な壁が水の弾丸を跳ね返した──瞬間、偽者の聡太が一気に駆け出した。
──『魔反射』は、魔法を跳ね返す壁を作り出す魔法だ。
逆に言うならば──魔法でないのなら、簡単に通り抜ける事ができる。
その性質を知っていたのだろう。偽者の聡太が『魔反射』を通り抜け、腰に下げていた黒い刀を抜き──
「させません! 『蒼龍の咆哮』っ!」
ミリアが鋭い声で詠唱し──虚空に浮かぶ蒼色の魔法陣から、蒼炎の龍が現れる。
炎の顎を大きく開き、蒼龍が偽者の聡太を呑み込まんと迫るが──
『おいおい。お前の相手は俺じゃねぇだろ?』
「えっ──」
──ミリアの攻撃が、偽者の聡太の体をすり抜けた。
何事もなかったかのように駆ける偽者の聡太が、本物の聡太に飛び掛かる。
小さく舌打ちし──聡太が『紅桜』を抜いた。
『「しぃッ!」』
聡太と『紅桜』と偽者の聡太の黒い刀が交差し──ガキィンッ! と甲高い金属音を立て、火花が散った。
「ソータ様!」
『余所見してる場合ですか? 『蒼龍の咆哮』』
「くっ──『第四重絶対結界』っ!」
偽者のミリアの詠唱に従い、全てを呑み込む蒼龍が現れ──ミリアに向かって咆哮を上げた。
反射的に四重詠唱の【守護魔法】を発動させ──黄色の結界が、蒼龍の攻撃を食い止める。
『──【竜人化】』
「【竜人化】」
『【豪脚】、【硬質化】──【瞬歩】!』
「うわー?! ごっ、【豪脚】、【硬質化】!」
竜人に変身する偽者の火鈴が、同じく竜人に変身する火鈴に飛び掛かった。
呆然としていたハルピュイアに、偽者のハルピュイアが【瞬歩】で距離を詰め──ギリギリの所で迎撃し、ハルピュイアが戦闘を開始する。
「クソがっ──『雷斬』ッ!」
『おっと……『嵐壁』』
「『剛力』ッ! 『水弾』ッ!」
『はん……『魔反射』』
雷の斬撃が飛んだ──と思ったら、偽者の聡太が『嵐壁』を発動し、大きく上へ飛び上がった。
吹き荒れる嵐が風の刃を飛ばし、『雷斬』を放った状態の聡太に迫るが──『剛力』を発動してその場を飛び退き、さらに『水弾』を発動。
虚空に浮かび上がる無数の青い魔法陣から、水で作られた弾丸が放たれ──だが『魔反射』を前に、簡単に跳ね返されてしまう。
小さく舌打ちする聡太が、跳ね返される『水弾』を解除し──『紅桜』を正面に構えて、偽者と対峙した。
『おいおいおい。この程度か?』
「チッ……俺の姿でペラペラ喋りやがって……二度と喋れねぇようにしてやる……!」
「ソータ様!」
偽者と向かい合う聡太に、ミリアが駆け寄って来た。
見れば、ハルピュイアと火鈴も近づいて来ている。
「聡ちゃん。あいつら、強いよ……」
「まあ、見た感じ自分自身だしな。実力も考えも自分と同じだって仮定した場合……負ける事は難しいだろうが、勝つ事も難しいだろうな」
だが──今の攻防で、確信した。
先ほど聡太が放った『雷斬』と『水弾』──あれは、偽者の聡太に向けた攻撃ではない。
あの攻撃は──偽者のミリアや偽者のハルピュイア、そして偽者の火鈴に向けた攻撃だったのだ。
偽者に向けて放たれた聡太の魔法は──だが何事もなかったかのように、偽者の体をすり抜けた。
その前に、ミリアが偽者の聡太に【蒼炎魔法】で攻撃していたが──同じくすり抜けていた。
これらの情報から導き出される答え……それは──
「俺は俺の偽者にしか攻撃できない。逆に、俺の偽者は俺にしか攻撃できない。先の部屋に行きたいなら、自分の偽者を倒していけ……って感じだろうな」
『さすが俺だ。頭の回転が早くて助かる』
バカにしたように笑う偽者に、聡太が心底不愉快そうに舌打ちする。
「……やるぞ、お前ら。今ここで、自分を超えろ」
「はい!」
「おー!」
「うん!」




