5話
「うぅ……」
「なんですか先生、さっきからうーうー唸って」
「だ、だって! 手の主が古河君だなんて思ってなくて……!」
生徒の手を借りたのが気に食わないのか、自分の手を眺めてうーうー唸る川上先生。
先生としての威厳に関わるとか、先生が生徒の手を借りるなんて……とか、先生も先生で複雑な心境なのだ。
さて、聡太たち3人は、訓練所の奥に消えていった勇輝と土御門を探している。
そんなに遠くへは行っていないはずなのだが……訓練所内の騎士が多くて、2人がどこにいるかわからない。
そんな感じで訓練所内をフラフラし……ようやく、戦う2人を見つけた。
「──うるァッ!」
地面に手足を突き、獣のように吠えながら、金髪の少年が棒立ちの男に飛び掛かる。
対する黒髪の男は……ゆっくりと、どっしりと腰を落とし、迎撃の構えを取った。
「ふんッ!」
「うォっぶねェ?!」
放たれた正拳突きを、咄嗟に身を捻ってギリギリで避ける。
だらしなく伸びる前髪を払いのけながら、金髪の少年が黒髪の巨漢に向かって吠えた。
「鬼龍院てめェ! 今オレの顔面殴る気だったろォがァ!」
「お前もだよな? お前もオレの顔を殴ろうとしたよな?」
土御門 虎之介と鬼龍院 勇輝だ。
いかにも我流といった構えの土御門に対し、勇輝は足を前後に開いて、いつでも投げて寝技に持っていけるように構えている。
「チッ……柔道ってのァ厄介だなァ……掴まれたら負けなンてよォ……」
「別に負けじゃねぇだろ? 振り払って逃げればいいんだしよ」
「それができりゃァ苦労はしねェンだがなァ……」
戦いを見物している騎士たちを掻き分け、聡太たちは2人に近づいた。
と、勇輝も聡太に気づいたのか、土御門から視線を外し、聡太を見つけて手を挙げた。
「勇輝……体の調子はどうだ?」
「やっぱ軽ぃな……聡太は?」
「同じく、だな……土御門も調子よさそうだな」
「あァ……これが【技能】の力なンかなァ?」
首を回しながら、コキコキと骨を鳴らす。
土御門の言葉を聞いた聡太は……はて? と首を傾げた。
「【技能】の力って……どういう事だ?」
「そンままの意味だってンだよォ。古河にも近距離戦闘の【技能】ってのがあンだろォ? あれに【最上級】やら【極】やら色ンな事が書いてあるゥ……オレァてっきりィ、その【最上級】とかが原因で体が軽くなってンだと思ってたンだがなァ」
「……古河君。私、土御門君が何を言ってるのかわからないんだけど?」
「んや……俺には土御門の言いたい事がわかってるから大丈夫だ」
土御門の推測は、ほとんど正解だ。
先ほど聡太が戦った騎士たちの【技能】は、全員【中級】。【極】である聡太に敵うはずもないのだ。
ちなみに強さの順番は、【初級】【中級】【上級】【最上級】……そして【極】となっている。
「……なるほどな……土御門って意外に頭いいのか?」
「はン。なわけねェだろォ」
「よくわからないですけど……私は、土御門君を褒めてあげて良いんですか?」
「ヤメロせんせェ……それとよォ、もう1個気づいた事があンだがァ……」
近寄る川上先生から距離を取りながら……土御門は、言うかどうか迷うような表情を見せる。
いつもズバズバ意見を言う彼にしては、珍しい表情だ。
小さくため息を吐き、すんすんと鼻を鳴らし……心底不愉快そうに顔を歪めた。
「……なンかよォ……オレの鼻と耳がァ、スッゲェ敏感になってンだよォ」
「……ん? どういう事だ?」
「……普段なら気にもならねェ……気づくはずもねェ臭いとか音をォ、スゲェ感じンだァ」
「──それはお前の【技能】……【獣化】が原因だろうな」
いつからそこにいたのか。聡太の背後に腕を組むセシル隊長が立っていた。
「うおっ?! ……いつからそこにいた?」
「おおう。そんなに驚くとはな……今来たばかりだ」
「オイおっさン……オレの【技能】が原因たァどういう事だァ?」
「おっさんはやめろ。俺はまだ29だ」
「ンな事ァどうだっていいンだよォ。はよ教えろやァ」
「……簡単に言うなら、そうだな……お前の体は、人間ではない」
おそらくセシル隊長は小鳥遊たちを……魔法組を呼んで来たのだろう。小鳥遊たちがこちらに駆け寄ってきていた。
「……そりゃァ、どういう事だァ?」
「【獣化】は、己の体を獣の姿に変える特殊な【技能】でな。お前の嗅覚と聴覚が向上したのは、おそらくそれが原因だ」
「いや意味わかンねェよォ……」
「そうか……よし、少しこっちに来い」
首を傾げながら、土御門がセシル隊長の元へ歩み寄る。
そして……土御門の耳元に顔を近づけ、何かを呟いた。
一体何を言ったのか。土御門の顔が『コイツ何言ってンだァ?』と言わんばかりに歪み……渋々という感じで目を閉じる。
「優子。そっちはどうだったのかしら?」
「あ、うん! えっとね。魔法の使い方と【技能】の使い方を教えてもらって……そしたらセシルさんが来たの」
「……そう。お疲れ様」
「うん……あれ? 討魔くんは?」
「別の所に行ったわ」
小鳥遊に氷室、そして獄炎と水面が合流。
何気ない会話を交わす破闇と小鳥遊の隣をすり抜け、セシル隊長が何を言ったのか聞こうと──して。
「ゥ──あァ……?!」
──土御門の右腕に、変化が訪れる。
ほどよく筋肉の付いた右腕が肥大化し……丸太のように太くなった。
肥大化した右腕の表面を金色の体毛が覆い隠し、指先からは鋭すぎる爪が生える。
ビキビキと音を立て……土御門の右腕が、まるで巨大な虎の腕のように変化した。
「土御門?!」
「それが【部分獣化】……任意の場所を【獣化】させる【技能】だ」
「う、ぐゥ……?! オイこれヤベェぞォ……?!」
「……まだ使いこなせていないのだろう……と言うか、初めてで【部分獣化】を成功させる事に驚いているんだが──」
不思議そうに土御門の右腕を見るセシル隊長──と、風を斬る音が聞こえた。
──土御門の右腕が、セシル隊長の目の前に迫る。
獲物の命を狩り取る鋭い爪が、土御門の意思に逆らって放たれ──
「ゥあっ──ぶねェええええええッ!」
放たれた剛爪が、ピタッと止まった。
「オイコラオッサン! これどうなってンだァ?! 勝手に動いてンぞォ?!」
「だから言ったろう。まだ使いこなせていないと」
「土御門……大丈夫か?」
「近寄ンな古河ァ!」
近寄る聡太に向け、再び剛爪を放とうと右腕が構えられるが──それを無理矢理押さえ、土御門がらしくない真面目な顔で制止した。
「……ふむ……」
「オイ聞いてンのかァ?! どうやって戻すンだよォ?!」
「ああすまん……【獣化】した時と同じだ。イメージしろ。右腕が小さくなり、元に戻るイメージを」
「チッ……! クソめんどくせェなァ……!」
ふぅ、と荒々しく息を吐き、土御門がゆっくりと目を閉じ──
──ビキビキと、鈍い音が聞こえた。
それと同時、土御門の右腕から金色の毛が抜け落ち……少しずつ、右腕が収縮を始める。
爪が短くなり、金色の毛が全て抜け落ちて──元の土御門の右腕に戻った。
「はァ! ……あァクソォ……! フラフラすンなァチクショォ……!」
「虎之介……大、丈夫……?」
「あァ? ……見りゃァわかンだろォ。絶好調だってのォ」
「……そう……よかっ、た……」
顔に手を当て、フラフラと危ない感じになりだした土御門を見て、水面が心配そうに声を掛けた。
ギロッと目だけを動かし、土御門の瞳が水面の姿を捉え……スッと背筋を伸ばして、土御門がいつもの調子を取り戻す。
心底ホッとしたような水面と、虚勢を張る土御門……2人を交互に見て、この2人って仲が良いのか? と聡太が首を傾げた。
「今はまだ慣れないだろうが、使いこなす事ができれば……ソータにも負けない力を発揮するだろう」
「古河だとォ……? なンだオイ、古河の実力を知ってるみてェな言い方だなァ?」
「知っているさ。コイツは先ほど、騎士たちを1人でボコボコにしたのだからな」
「……何やってンだよ古河ァ」
「色々あったんだよ」
「まあその話は置いておけ。とりあえず……ここにいる全員、それぞれの場所で色々と教えてもらったな?」
セシル隊長の言葉に、全員が無言で頷く。
「今日の所はこれにて解散するが……明日もまた、ここに来てもらう事になるだろう。慣れない環境で休養を取るのは難しいかも知れんが……できるだけ体を休めて、明日に備えてくれ」
そう言うと、セシル隊長が踵を返し、訓練所の奥へと消えて行った。
おそらく、剣ヶ崎たちを呼びに行ったのだろう。
「聡太、どうする?」
「そうだな……とりあえず王宮に戻るか。あのグローリアっておっさんにも、色々聞きたい事があるし」
話しながら、聡太と勇輝が訓練所の外に向かう。
土御門や破闇も、その後に続いた。
訓練所の外に出て、そのまま王宮に行く──と。
『そこの可愛いお嬢さん。良かったら俺と遊ばない?』
『ごめんなさい。私、子持ちなの』
『あ…………そうなの……』
ふと、聡太が急に歩みを止めた。
……誰だよ。こんな所でナンパして失敗してるアホは。
そう思いながら、聡太が辺りを見回し──辺りには、聡太たち以外誰もいない事に気づく。
「…………?」
「どうした聡太?」
「いや……誰か、ナンパしてなかったか?」
「は? ナンパ? ……オレには何も聞こえなかったけどな。気のせいじゃねぇのか?」
キョロキョロと辺りを見回し……勇輝が首を傾げる。
「つ、土御門は? 何か聞こえなかったか?」
「はァ? ……鳥がうっせェって事以外はァ、何も聞こえねェよォ」
聴覚が常人より優れた土御門も、何も聞こえないと首を振った。
──辺りを見回す聡太の姿を、2羽の鳥が見下ろしているとも気づかずに。
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「……はぁ……」
「どうした聡太?」
「いや……夢じゃないんだよな、って思って」
「ああ……オレも信じられてねぇよ」
聡太と勇輝は王宮を探索し、とりあえず風呂の場所と、グローリアの姿を探している。
「……ん……ここか」
「大浴場……ああ、ここが風呂だろうな」
「グローリアを探すのは後にするか……先に風呂に入らないか?」
「そうだな。土御門と手合わせして、汗かいたしな」
大浴場と書かれている扉を開け、聡太と勇輝が服を脱ぎ始める。
上裸となった聡太が、制服のズボンを脱ぐ──前に、勇輝から声が掛けられた。
「聡太……? お前それ、なんだ……?」
「あ? 何が?」
「背中だよ背中! 何の模様だよそれ……お前、タトゥー入れてたのか?!」
「んなわけねぇだろ……」
驚いて声を上げる勇輝に視線を向け──勇輝の左脇腹に、青い模様が刻まれている事に気づく。
「勇輝……お前のそれは?」
「は? ……うわ、オレにも入ってやがる?! なんだこりゃ?!」
「おいちょっと待て。俺の背中にも、こんな模様があるのか?」
「ああ、そっくりなのが刻まれてる。お前のは赤色だけどな……ってか、なんでこんなのが……?!」
脇腹に刻まれる紋様を触る勇輝の隣を通り抜け、聡太が大きな鏡の前に立つ。
くるりと鏡に背中を向け……赤い紋様が刻まれているのを見つけた。
「──ォ……おめェらァ、風呂見つけンの早ェなァ」
「土御門か……あれ? 宵闇たちは?」
「まだ訓練所にいるンだとよォ。大方ァ、剣ヶ崎に付き合わされてるンだろォなァ」
剣ヶ崎に……付き合わされてる?
充分あり得る。『ボクたちはこの世界を救わなければならない! もっと訓練するぞ!』とか言ってそうだ。
「……ンァ……? なンだオイ。それどうしたァ?」
聡太の背中と勇輝の脇腹を見て、土御門が眉を寄せながら問いかける。
「わからねぇ……土御門にはないのか?」
「知らねェ」
乱暴に学ランを脱ぎ捨て──土御門の右肩にも、黄色の紋様が刻まれているのを見つける。
「土御門……」
「チッ……ンだよオレにもあンのかよォ」
「……黄色、だな」
「気にする事でもねェだろォ……早く風呂に入ってェ、飯食って寝ようぜェ」
右肩の紋様を、あんまり気にしていない様子の土御門。
制服を脱ぎ散らかし、荒々しく風呂場の扉を開け、その先へと消えて行った。
「……ま、考えてもわからないか」
「そうだな。早く風呂行こうぜ」
土御門の後を追うようにして、聡太と勇輝も風呂へと向かった。