第10話 潜入捜査開始
ハーバリーからカルロベまでは馬を全力疾走させれば一日も掛からずに着く距離であるが、直線距離ならばもっと早く到着できる。
だが、その直線移動を阻むのが森だ。そのせいで馬は整備された街道を通らないといけない。
整備されているので安全といえば安全だが、俺には別の道がある。
「やっぱ走るより飛ぶ方が早いな……」
空を行く大凧飛行の術だ。条件次第だが空路は障害物に影響されない。天候さえ気を付ければこれが一番早いだろう。
しかもこの大凧は俺の意思で自由に動くのだからこれほど快適な移動手段は中々ないだろう。
とはいえ、カルロベに近づくと流石に降りないといけない。これはこれで結構目立つからな。
「見えてきた。あれがカルロベか」
そんなこんなで三十分ほどの時間をかけて俺はカルロベが目視できる距離にまで近づく。ここからは大凧を収納して、木々に乗り移って移動という事になる。
港町というだけあって町のさらに後ろには海が広がっていた。カルロベ自体は小さな町なのだがその周囲の土地は入り組み、複雑な地形をしていた。
確か、こういうのをリアス式海岸とか言うんだよな。森が間にあるだけだというのにハーバリーとは全く違う国にいるようだ。
「……それにしても、なんだこのニオイ……」
風に乗って何やら不快なニオイが漂ってくる。
微量ではあるが魚が腐ったようなニオイだ。
果たして、それが忍者特有の技能なのかはわからんが、どうやら俺は嗅覚も敏感になっているらしい。まるで犬になったような気分だが。
にしても気分が悪くなるニオイだ。
「港町だからってそんなニオイが漂うものかよ……やる気がなくなるよ、全く」
そういやサリーは嫌なニオイがするといっていたな。これが関係しているのか?
とすれば、このニオイの根本原因が今回の事件に何らかの鍵を握ってるとみてもいいかもしれない。
「さて、それでは参るとするかな」
任務開始だ。
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潜入の基本はなんといっても変装だ。忍者でございと言った忍者装束で潜入するなんてのはまぁまずありえない。
気配や姿を消す忍法を駆使すればできなくもないが今回の場合は相手に姿が見えておいた方がいいと判断した。
なんせアムたちの話を聞けばこの町はよそから人を招き入れて毒を盛るからな。
そして、今の俺の姿は出稼ぎにきた若者と言った姿だ。ほんの少し顔を泥で汚し、よれた服を着こんだ茶髪の十五、六歳程度の村の少年といった具合だ。
今回の潜入捜査に当たってハーバリーで見かけた適当な少年の姿を拝借したわけだ。
「門番仕事しろよ」
村に仕事がなく兄弟全員が働きに出たというあからさまな説明だけで、俺はあっさりとカルロベに入る事が出来た。
ただ受付を兼ねている門番はボーっとしておりどこを見てるのかわからない表情をしているのがどうしても気になった。正直、理由なんて答えなくても町に入れてくれそうではあった。
「あの門番の顔、あれはいつぞやの兵士たちと同じだったな……」
詳しく調べないとどういう状況なのかはちょっとわからんな。
それも含めて町の調査を続ければおのずとわかっていくだろうが。
さて、町の様子だが、人通りが妙に少なく、閑散としている。
確か今年は豊漁って話じゃなかったか? それに昨日は結婚披露宴だって話を聞いたが、どうにもそんな楽しい事をしているような町には見えないな。
「のどかってより、不気味に静かだな」
俺は周囲を見渡すようにきょろきょろとしている。村から出てきた田舎者という姿ならこういう事をしても不自然ではない。
(人が少ないのは漁に出ているから……というのもあるだろうが、それにしたってもうちょい騒がしくてもよくないか?)
勝手なイメージだが港町というのは良くも悪くもにぎやかなものと思っていた。
さびれた町という感じの方が強い。どうにも話に聞いていた姿とかけ離れている。
「港の方に向かってみるか」
眺めているだけじゃ情報は集まらない。
今の俺は出稼ぎ少年なのだから、仕事を求めなければ。
そういうわけで港の方角へ足を運ぶと、中心部よりは人の姿を見かけるようになった。それでも数は多くない。
「あの、すみません」
「あん? なんだ、見かけない顔だが」
漁猟用の網の手入れをしている中年のおっちゃんがいたので声をかける。返答は普通だ。おっちゃんは俺を見て一瞬眉をひそめたが、すぐに出稼ぎにきた子どもだとわかったのか、また視線を落として網の手入れに戻った。
「出稼ぎか。今は船が出払っている。仕事が欲しいならあっちの男に言え」
おっちゃんは木造りの小屋を指さした。
漁師たちの寄り合い所みたいなところだろうか。隣には魚の加工場らしき建物も見えるが門は閉じられてる。
「ありがとうございます」
「お前は運がいいな。今日はめでたい日だ」
「え?」
無表情だったはずのおっちゃんだが、その時の声はどこか明るい。
「今日はめでたい日だ。奥様が身ごもられた。奥様にお子ができた。だから今日はめでたい日だ。宴だ」
「そ、そうですか……」
明るい声なのにぶつぶつと言葉を続けていて妙に気持ち悪い。
いやそれより、奥様が身ごもられたって、まさか町長の奥さんが妊娠か? いやでも待てよ。結婚したの、昨日だろ?
「なんだぁ一体……」
どう考えてもこの町は黒だ。原因は全く分からないがおかしい。異常だ。
冗談抜きに軍隊に来てもらって制圧した方がいいんじゃないかって思えるぐらいにやばいところだぞここ。
そんな事を考えつつ、俺は小屋に訪れる。
すると、そこには変装した俺と同じような背格好の少年や身なりの汚い中年の男たちが数人いた。
(顔に精気がある。とすると、こいつらも出稼ぎか?)
そこにいた男たちは町の住民とは空気が違う。何というか、正常だと感じた。
俺は軽く会釈をしつつ、その集団の傍に寄っていく。
「君も出稼ぎ?」
すると少年たちの中で最年長っぽい子が俺に話しかけてくる。十八かそこらって感じだな。
「はい、村は老人ばかりで」
「こっちもおんなじ。もっと勉強していればハーバリーで商人の手伝いが出来たんだけど」
やっぱり彼らは出稼ぎか。
「この町、豊漁なんですよね? きっと稼げますよ」
「そうだな。でも、なんか静かな町だなぁ。村の方がもっと活気があるんだが……」
どうやら彼らもこの違和感に気が付いている様子だが、そこまで深刻にとらえていない様子だった。
それからはたわいもない会話を交わしつつ、時間を潰す。
十分後、にわかに外が騒がしくなり、小屋に一人の老人が入ってきた。全身が海水で濡れていて、今まさに漁から帰ってきたって風体だ。
「すまねぇな。獲っても獲っても魚が減らねぇもんでよ。ついつい時間がかかっちまった。んで、おめぇらが今日の出稼ぎか?」
老人は俺たちを見渡すとにかっと笑った。
「お前らは運がいい! 今日の仕事はなしだ。なぜなら今日は宴だ。我らが町の町長の奥様に子どもが出来た。ならお祝いしなければならない。だから宴だ。本当にお前たちは運がいい。今日は働かずに酒が飲めるぞ。飯も出る。町長様は優しいからな。だが、明日からは働いてもらう」
老人の言葉に少年たちは困惑していたが、中年の男たちはうれしそうな顔をしていた。
「でぇじょうぶだ。安心しろ。金をとるってことはしねぇよ。マジで、今日は仕事がないんだよ」
少年たちの不安を悟ったのか老人は優しそうな声音で言った。
すると少年たちもその声の暖かさに安心したのか笑顔を作る。
俺も作り笑顔で対応だ。
「まぁ、全く仕事がないわけじゃないが……今から漁師の仕事を教えるたって時間がねぇからな。それより町総出の宴だ。そっちの準備を手伝ってくれねぇか?」
(うさんくせー……仕事がないとかありえないだろ。獲ってきた魚どうするんだよ。出稼ぎ労働者に酒って懐柔じゃね?)
「よかったな。今日はちょっとだけ得した気分だ」
最年長の少年が俺の肩を叩いてくれる。
「ハイ、ソウデスネ……」
あぁ純粋な村少年よ。
どうして怪しいと思わない。どうみたっておかしいじゃん。
などという事を言えるわけもなく、俺たちはその日、宴とやらの準備に取り掛かることとなった。
今の今まで静かだった町が急に騒がしくなる。住民たちも一体どこに隠れていたのか分からないが、突然出てきた。
そして、夜が来る。