何も出来ないことはない
あの瞬間のことは、よく覚えていない。
試合中、放物線を描いて落ちてきたバスケットボールが、リングに弾かれた。
俺はただ、そのボールを取るために飛び上がっただけだ。
その後、身体の中で何かが破裂したような音が聞こえた。
物凄い音だった。
頭が割れたかと思った。
そこから記憶は無い。
次に意識が戻ったのは病院で、壊れていたのは足の方だった。
医者は深刻な表情で言った。
「もう二度と、激しい運動は出来ません」
俺はその宣告を、意外と冷静に聞くことが出来た。
申し訳ないことだが、俺は全国に名を轟かせるような選手ではない。
部長を務めているとはいっても、弱小もいいところのバスケットボール部だ。そもそも、くじ引きで決まったような部長である。
放課後になると、練習をサボろうとする部員どもを捕まえに行くのが仕事だった。
「……あ、この足じゃ、もう誰も捕まらんなぁ」
苦笑いする。
まあいい。またくじ引きをして、後輩の誰かにこの損な役目を与えてやろう。
俺の苦労を味わえ、サボりども。
そして、リハビリを残して退院となった。
その間、誰も見舞いに来なかった。
「あいつら……」
寂しくないと言えば、嘘になる。
っていうか、見舞いにくらい来いや、野郎ども。
別にお前らの所為じゃないってのに。
あまり必要のない松葉杖を使いながら(使い慣れないと腋が痛くなる)、家に帰ることになった。
母の運転する車の助手席で、モヤモヤした気持ちを抱えながら外の景色を見ていた。
何かこのまま帰るのもアレなので、母に無理を言って、学校に寄ってもらった。
部活動も終盤で、校門から入っても誰とも出会わない。
空を見上げると、夕暮れのオレンジ色と、夜が来る前の紺色が交じり合っていた。
電灯の灯った体育館に向かう。
すると、体育館の入り口から、見知った顔が出てきた。
肩にタオルをかけ、白地のシャツとハーフパンツを着ていた。シャツが身体に張り付くほど、汗をかいていた。
俺は声をかけた。
「よう」
「へ?」
女子バスケットボール部長、篠山陽子は俺を見た。
そして、急に泣きそうになった。
「ちょ、おいおいおいおい、何やってんのお前。俺が何かしたか?」
「……ん、いや、何も。ちょっとさ、最近、涙もろくて」
「歳とったな」
「うっさい。誰の所為だと思ってんの?」
「知るか。見舞いも来なかったくせに」
篠山は笑った。
「えー、寂しかった? 慰めてあげようか?」
「いらん」
「なら、ハグしてあげよう。陽子さんの特別サービスだぞぅ」
まるで試合で見せるディフェンスのように隙のない構えを取った。
動けない俺としては、言葉で撃退するしかない。
「近寄るな。汗がつく」
「うわー、言うてはならんことを……。てかさー、いいじゃんかー、ハグさせろよぅ」
「三年後ならな」
「それどういう意味だ! 今の私じゃ不満だっつーのか。それとも、三年後には私と顔を合わせていない自信でもあるのか。……この男という奴はぁ」
ぐぎぎぎ、と唸る。
俺はそれを無視して、体育館の方を覗いた。
「男バスやってる?」
「やってるよ。でもまあ、今は見ないであげたら?」
「は? どういうこと?」
「青春じゃね? 見たことないくらい頑張ってるよ。明日、公式戦だからね。勝ちたいんでしょ。誰かさんのために」
「あー……」
正直、嬉しさはあまりなかった。
それよりも、俺だけ置いていかれたような疎外感だけが残った。
俺も一緒に、あいつらと頑張りたかった。
「何で……あいつら、こういうときだけ……」
篠山は俺の顔を見て、微笑んだ。
「わかってんよ? 部長って損だよね。でも、受け止めてやんなきゃね」
動いたら涙が出そうで動けなかった。
その間に、篠山に抱きしめられた。
「汗がつくって言っただろ……」
「でも、だめとは言わなかったよ?」
少しの間だけ、頭一個分ほど背の小さい同級生に、ハグされていた。
篠山が身体を離す。
俺の上着に汗染みが出来ていた。
「おー、私の魚拓ー」
「お前は魚だったのか」
「え、人魚? 可愛い?」
「つーか魚人だろ」
「うわぁ、文字が入れ替わっただけで、かなりイメージ変わるもんだね」
俺は空を見上げた。
空の色は、もう既に濃紺に変わっていた。またすぐに、星空へと変わるだろう。
篠山は腰に手を当てて、笑った。
「怪我したってね、何も出来ないことはないよ。誰にだって役割はあるんだから」
「へーへー、わかってるよ」
俺はきっと、損な役割なのだ。
誰だって、褒めるより褒められたい。
だけどまあ、あの練習嫌いどもが頑張っていることは、きっと俺しか褒めてやることが出来ないのではないかと思う。
そう考えると、褒めてやらんこともない。
まったく、部長というのは面倒な役割だ。
そして翌日。
我が弱小バスケットボール部は、皆様の予想通り、見事に敗退した。
ダブルスコアのおまけつきである。
数日頑張ったくらいで、毎日頑張っている人間に勝てるわけがないのだ。
それなのに落ち込む部員ども。
だから俺は、苦笑いしながら言ってやった。
「俺が卒業するまでに、せめて一勝はしてくれよ」
期待はしていない。
けど、それくらいの楽しみはあっていいだろうと思った。