腹の中
「ふんふん、成る程ね……」
控えめの照明で照らされる施設内を練り歩く事十分、俺の鞄には今、ハッキング用PCの代わりに大量の書類が押し込められている。
地図は事前に手に入れていた為特に迷うこともなく、資料を回収できた。警備のシステムやその他諸々は既に機能停止させた。油を売っていても問題はあるまい。
二、三冊に軽く目を通せば研究内容は理解できた。要するに、ここで行われているのは人体実験だ。人間が従来持つ兵器技術と魔術を融合させようと言う試みがここでは行われているようだ。
『異囊』を機械で無理矢理動かすのだから、人体に加えられる改造というのも相当なものだろう。新たな技術が発見された際には必ず軍事転用が試みられるのは世の常だが、今回その生贄となるのは誰かの命だ、何とも虫唾が走る。
その時、俺の耳元につけた小型無線機がけたたましい機械音を鳴らした。
『てめぇコラ‼︎どこほっつき歩いてやがる‼︎』
驚いてスイッチを入れる間も無く、野卑な怒声が俺の鼓膜を突ん裂く。
「……今施設の内部を把握しているのさ、施設は制圧したんだろう?外側も別働隊が抑えてるんだ、問題ないだろう」
『ああ?……んおお』
お茶を濁すような発言に違和感を覚える。この手の腕っ節だけが自慢の奴らというのは自分の手柄を誇張したがるものだが、この態度は何とも言えない事情があるようだ。
「何か問題でもあったのか?そういえば死体も何も見ていないが」
『あ?ああ、不思議な事によぉ、人がよぉ、誰一人として見当たらねぇんだわ』
「何だと?」
それを聞いて真っ先に思い浮かんだのが、これは罠である、という事。
すでに計画を知っていた施設員が何らかの手を打ち俺たち悪役は一網打尽……というのは創作ではありがちな展開だが、実際にやられる側は堪ったもんじゃない。
「おい、隊長と替わってくれ」
『何、隊長に?ちょっと待てよ……』
ブツリ、と音の鳴った後回線が切り替わる。
俺はすでに地図に示された合流地点である中央制御室へ走り出していた。
何とも言えない嫌な予感がする。
『エージェントサカマキ、何をしている』
「あんたこそ何してんだ隊長ッ、罠じゃあねえのかこれは!」
『問題無い。外部からは別働隊がこの施設を囲んでいる。察知されていたとしても作戦遂行の支障はない。それよりも早く『来てくれないかな?一人で解くにはこの枷はちょっと』
「……何?ノイズがひどいぞ」
『……大体、急ぐべきだと言うが君だって呑気に資料を回収して回っていたじゃあな『慎重なんだね』いかね』
「説明書も無しに兵器を扱うつもりか⁉︎いや、今はそんな話してる場合じゃないんだ、すぐにそちらに向かう‼︎」
『待ってるよ』来い』
「……‼︎」
高まる危機感に応じて、俺を足を動かす速度はどんどん上がっていく。
やはり、施設内で何らかの異常事態が発生している。先程から無線機に混じってくるノイズは、明らかに誰かの声だ。俺たちが奪取しようとしている『戒式魔導』の被験体というのが資料通りの性能を持つならば、俺たちはまんまと奴らの巣穴に飛び込んで来た餌という事になる。
すでに開け放たれた自動ドアを潜り中央制御室まで辿り着くと、隊長以下七名の隊員たちは暇そうに俺を待っていた。
「突然無線を切るとは無作法だな。早く終わらせてもらうぞ」
隊長が不機嫌そうにコンソールパネルを指差す。この異常な状況にまだ気付かないのか。
「そんな事をしている場合か!施設がもぬけの殻なのを見て分らないのか⁉︎早く撤退するぞ、周辺部隊にも指示するんだ!」
「貴様ッ‼︎」
隊長の顔が般若のように歪むと、その右手で俺の首を掴む。
「誰に口を聞いている?君は君の仕事を果たせばよい‼︎」
俺の首に食い込んだ指に力が籠ると、視界が加速して俺の背中に激痛が走る。投げ飛ばされたと気づく時には俺の面は床についていた。
いつもなら軽口を叩く後ろの隊員たちも、今回は黙っている。隊長をこれ以上怒らせたくないようだ。
「……どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」
『そうだね』
もうこれ以上は無駄だった。俺一人が逃げてもどうせ周辺部隊に裏切りとみなされ殺されるだけだ。
諦めてコンソールパネルとPCを繋ぎ、作業を開始する。
操作自体は簡単だった。指紋や角膜の認証といった面倒な工程をすっ飛ばすだけで、やる事は実験体を、施設全体に張り巡らされた物資運搬路に運ばせるというごく普通の、システム内での通常作業だ。
「Aゲートに実験体が順番に行く、受け取り準備に回ってくれ」
俺の言葉を聞いた隊長が隊員に指示を飛ばすと、彼らは行動を開始する。俺の仕事はこれで終わり。
「終わったろ……撤退準備を始めてくれ」
フン、と鼻を鳴らして俺を嘲ると、隊長は無線機の電源を入れる。
「ーー何だと」
「どうした?」
「無線が繋がらんぞ……何の異常もないはずだが」
「……」
嫌な予感は当たったようだ。俺たちはどうやら本当に怪物の腹の中にいるらしい。
それを肯定するかのように、ノイズの中から可愛らしい鼻歌が漏れ出ていた。