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俺のいつも通りの日常は良いものだ。



『 現実を信じたくないと思うのは、その現実を受け入れたくないからだ。


現実を信じようと思うのは、その現実を受け入れるべきだと気づくからだ。 』


何処からか、名前を呼ぶ声が聞こえる。

長い眠りに付いていたようで、とても短い時間だったのでは無いだろうか。そんな事を思いながら、和泉は目を開ける。


和泉は保健室のベットから少し身体を起こした。


「…和泉くん、起きた?」


和泉にそう、声を掛けてきたのは、保険医の東美佳だ。

彼女は起き上がった和泉の傍に寄り、にこやかに笑うと近くの椅子に座った。

和泉は少しボーッとして、美佳を見ると、

ふとどれ位時間が経ったのだろうかと、美佳に尋ねる。


「東先生…、すいません、今何時ですか?」


「五時間目の最中よ。随分、長い時間寝ていたわね。」


「そう、ですか…」


一時間目の途中で倒れたのだ。五時間目の最中となると、五時間程度は寝ていたのだろう。

ふと、倒れる前を思い出すとまだ目眩がする。


情けない、と和泉は思いながら辺りを見回す。どうやら祐輔はいないようだ。

授業にちゃんと行っているのだろうと思い、ホッと肩を下ろす。

愚図って和泉の傍にいる事もあるので、今回は授業をきちんと受けているんだろうと、考えると、

フフッと少し笑う。

そんな和泉を見て、美佳も少し微笑む。


「まだ寝てていいわよ。」


美佳はそう言う。

しかし、和泉にとっては一分一秒でも授業の内容を知りたいので、授業に行きたくてウズウズしている。


「いえ、授業に行きます。勉強が遅れるわけにはいかないので。」


和泉はそう言うが、美佳にはそういう訳にもいかなかった。

美佳にはやるべき事があるのだ。


「ダメよ、五時間目が終わるまで待って。」


「何でですか?」


和泉が何も分かっていないように、美佳にそう聞くと、美佳は大きな溜息を着く。そして、和泉を、怒っているのか悲しんでいるのか、どちらともつかない眼で見る。


「和泉くん、私は何があったのかは聞かない。けどね、和泉くんの体調を管理する義務があるのよ。」


和泉は黙って美佳の言う事を聞く。

和泉だって、分かっていない訳では無いのだ。

しかし、勉強は和泉にとって大切なものであった。

少し拳を握りしめれば、美佳の言葉の続きを聞く。


「ここに祐輔くんが運んでこなきゃ、危険な状態だったのよ?分かってるの?」


「…はい。」


美佳は苦しそうに言う。

美佳も、和泉の事は大方分かっている。どうして、勉強に必死なのかも知っている。だから邪魔はしたくない。

しかし、それでまた体調を崩しては元も子もないのだ。


和泉だって、分かっている。

美佳が何故こんなに和泉を心配しているのか。自分の身体のことも、自分が一番良く分かっている。


「…わかりました。五時間目が終わるまでここにいます。」


「そうね、そうしなさい。」


和泉は美佳と会話を終えると、布団に入り、また目を瞑った。しかし、眠れはしなかった。

妹と渉のキスシーンが脳裏に焼き付いていて、どうも寝る気になれない。妹の優しい顔つきが、甘い顔がどうにも頭から離れない。

そんなことを考えていると、また気分が悪くなってくる。嗚咽が出る。


「…東、先生…。」


「なに?」


先生は色々な資料や、報告書を見ながら優しく和泉に問いかける。もう、怒っても哀しんでもいないようだ。


和泉は言葉を詰まらせながら、ボソボソと言う。


「…もし、兄弟が、自分とは違う一面を誰かに見せていたら…

先生は、どう思いますか…?」


その問で、美佳は何となく察した。

兄弟の中で何かが合ったのではなく、見てしまったのだ、という事を。

そして、その一面というのはいい事では無いのだろうと。


「そうねぇ…私は、兄弟も私も、もういい大人だし、それほど気にしないと思うわ。

だって、兄弟だからって縛れる訳じゃないでしょ?」


美佳がそう言うと、和泉は少し停止した後、またボソボソと声を出す。


「そう、ですか…」


美佳の居る位置から、和泉の顔は見えない。

和泉の布団を被った後ろ姿しか見えず、和泉の気持ちがわかるような事は一つも無い。

美佳はどう答えれば良かったのだろうか、どう答えれば和泉の為になったのだろうか、そう考えた。

しかし、嘘をついても無駄だろうと、正直に自分の気持ちを答えた。それが和泉にどう伝わっているのかは分からないが。


和泉自身は自分が今、何を思って美佳に聞いたのかよく分からなかった。

ただ、聞いてみたかった。

自分と似たような状況になった時、他の人ならどうするのか。

美佳は余計に和泉に似た状況にあった。


しかし、和泉の求めた答えとは違ったようだ。

和泉のこの気持ちは、何歳かで終わらせられる問題なのだと言うことを知りたくなかった。

自分は子供なのだと肯定されている様で、悔しい。腹が立つ。


キーンコーンカーンコーン


チャイムが鳴る。

次の授業には行かないといけない、そんな使命感が和泉にはあった。

美佳も、分かっていた。


「体調は、大丈夫そう?」


美佳は、報告書を書く手を止めて和泉の方を見て言う。

その眼には少しの不安と、心配があった。


「はい、お陰様で。」


軽く微笑んで美佳にそう言う。

和泉が保健室から出ようと思い、ベットから降りるとガラッと保健室の扉が開く。


「和泉、起きた…?」


入って来たのは祐輔だった。どうやら、毎時間和泉が起きていないか見に来ていた様だった。

祐輔は和泉を見るなり目を輝かせ、飛びつく。


「和泉っ!良かった、起きなかったらどうしようかと…!」


「祐輔、大丈夫だぞ?ありがとうな…」


祐輔も和泉も、二人共優しい顔で笑っていた。いつも授業中に寝ている祐輔は、和泉が授業を休んでいる時は真面目に授業のノートを取っている。それは、和泉に教える為だ。


先生達に聞いた方が和泉はわかりやすいかもしれない。

けれど、祐輔が真面目に教えてくれるという事実が、和泉には安心を与えた。祐輔も和泉の役に立てているということが嬉しかった。


「じゃあ、戻ります。」


和泉は美佳を見て、そう一言言う。

すると美佳は笑って頷く。


「えぇ、また気分悪くなったら無理せず来るのよ?」


「はい。」


「祐輔くん、和泉くんの事よろしくね。」


「はい、大丈夫です。」


少し会話を終えると、美佳はニコッと笑って二人を見送った。

眼には多少の不安を浮かべながらも、二人の事を信用していた。


「和泉、具合はもう大丈夫?」


「大丈夫だって、もうピンピンしてるから!」


やっぱり少し不安そうな祐輔を安心させるように和泉は元気そうに腕を動かす。

祐輔はそれを見て、ニコッと笑った。


祐輔は許せなかった。


和泉が倒れた原因は、和泉の妹の夏海と、あの家庭教師のせいだ。小学生の頃から本物の妹の様に可愛がっていた。兄弟のいない祐輔にとって、夏海は可愛い存在だった。それでも和泉を傷つけるのは許し難い事だった。


そして、あの家庭教師はもっと許せなかった。


アイツは夏海が和泉の妹だと言う事を知っているのだろうか。知っていて話し掛けたのならいっその事アイツの存在を消してしまいたい。


そう思うほどに、祐輔は渉の事が嫌いだった。


祐輔が少し喋らず停止していると、和泉が不思議そうに顔を覗き込んでくる。

和泉の家庭は全体的に顔が綺麗だった。整っていた。それは、和泉も例外ではない。


モテモテのイケメン、という訳では無いが中性的で端整な顔立ちをしていて、密かに人気があった。

鈍感なのか、和泉は知らない。自分の人気がどうかなんてことには、興味が無いようなのだ。


「どうした、祐輔?」


「んー、何でもない。」


そう誤魔化すように祐輔は笑った。


祐輔は誰から見ても綺麗な顔立ちをしていた。何人に聞いても、この学校で一番綺麗なのは岸野祐輔だと答えるのだ。

それほどに、祐輔は顔が綺麗に整っていた。

和泉の前以外では余り笑わないのも、人気の一つであった。


「そうか?ならいいんだけどさ。」


「うん。」


二人には共通することがいくつもあった。

そして当たり前の様に親友になり、当たり前の様に同じ高校を選んだ。


将来は二人とも決まっていなかった。

何も考えず、ただ近くて、将来を選ぶのに困らない学校に進学した。


祐輔も和泉も、このまま一緒にずっと居れる訳では無いと、分かっていた。

このまま、大学に行くにしろ、社会に出るにしろ、別の道に進むのではないかと薄々思っていた。


それでも、この高校三年という時間を謳歌しようと決めていた。

どちらかが言い始めた訳では無いにも関わらず、二人の心は一緒であった。


「なぁ、祐輔。」


「ん、何?和泉。」


「今日見た事、誰にも言わないで欲しい。」


それは和泉の想いだった。

まだ、心の整理がついてないのだろうか、それとも思い出したく無いのか、それは分からない。


「…うん。」


けれど、祐輔は

分かっている、と言うように和泉の言葉に苦笑いをして頷いた。


それは、信頼している相手だからこそ出来る口約束だった。

和泉も祐輔も分かっていた。


きっと、いつか、事実に目を向けなければ行けない日が来るだろうと。


だけど、それはいつ来るか分からない。

それは十年後かもしれない、今日この後かもしれない。


けれど、その日が来るまでは心の奥の方でそっとして、触れないでいるのが良いと。


二人共、そう思っていた。


「そろそろチャイムなるね。」


祐輔が時計を見てそう言う。


「マジ!?急がねーと!」


和泉は祐輔の手を引っ張り、廊下を走る。

祐輔は少し驚くが、和泉に合わせて走る。


窓の外はもうすっかり晴れていて、太陽が顔を出していた。とても澄んでいる青い空だった。



もうすぐ夏がやってくる。



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